最近 ダンノダイラのことを ブログで取り上げる人が増えてきた

天下泰平さんも 書いておられたね

美内すずえさんの 「アマテラス」という漫画がはやったころ

すこしブームにもなっていたが


わたしは 2006年ころ 一緒に神社めぐりをしていた。

熊野の末裔 榎本君と一緒に あちこち行っていたのだが

そのころ PTをしていた彼は奈良に勤務をしていて いろんなお年寄りから

話を聞いていたそうだ。

その一つに ダンノダイラがあった。 過去ブログ「ひふみ世癒しの小道から

十ニ柱神社にお参りに行ったときに そこに住んでいたお客様に

昔、先祖は山の上(三輪山の裏)に住んでいて 明治になり

下におろされたけど、一年に何度かは山に登り 先祖に祈り 

酒を酌み交わし相撲とったり歌ったり踊ったり祀りをしていたという話だった。

もともとの民族が大陸からやってきたものたちに追われて

裏に逃げるしかなかった時代 彼らは素性を隠し生きて居たのだろうか。


まつろわぬ民たちの彼らは 勢力に押され

故郷を追いやられて 裏山に逃げた。

その末裔たちは静かに裏山にいた 逃げた人たちもいた

逆らうと大変な目に合うから

流浪の民になったものもいるだろう。



その人たちのことを 思うことになった理由は

金剛山のふもとにある 高天彦神社 最近は知られるようになったが

誰も行かないような寂れた神社だった。

近くには高鴨神社という 加茂氏の元の神社がある。

上賀茂。下賀茂の元の神社でもある。


その高天彦神社のすぐそばに「土蜘蛛塚」があり

初めて行ったときに まつろわぬ民がいてそのみなさんが殺され

祀られたところというのが 霊的な力のある私にどんどん訴えてくる。

丹後の山にいた酒呑童子も同じ逃げた人々だろうと思う。

私が民族というものに興味を持った最初であったが

大和政権や敗れた者たちの思いを 汲むようになったのは

この2006年ころのことだった。

清水寺にいき 「アテルイ・モレ」の碑をみれば

夜中に彼らの霊魂が呼びに来る

翌日に彼らが祀られている片野神社に行かされる・・というような日々だった。

権力者たちとの戦

負け組と勝ち組が 命を削ってきたのが今の日本だ。

ま それが人というものであるでしょうけれど


わたしは その隠れた部分を祈る  そう10年お参りを続けてきたし

続けてきた。

まだまだ それは呼ばれたら行かねばなら無いと思う。

いつも無念の人たちに祈りをささげる

それがいきてる私たちの仕事だと思うからだ。

生きてることは 勝者であるのだろう・・ ならば泣かせた民が血の中にいるのだということなのかもしれない

贖罪をしながら生きるのが 今の私たちなのかもしれない