3月に5年ぶりに
妊娠をしまして
4月末に10年ぶりに
流産をしました。
今回は
手術することなく
自然にでてくる
流産となりました。
やっと
体調も回復しつつ
きづいたら
あっという間にもう6月。
10年前は
流産はダメな出来事たったので
苦しくて
悲しくてね
もう
どうしたらいいのか
わからないほどに
泣いて泣いて過ごしました。
いま当時を
振り返って思うのは
流産を通して
まるで
わたしの人生が
間違っているかのような
ダメだといわれてる感じがして
どうしたらいいのか
わからなかったんだとおもう。
流産は
流産であって
なにかを
否定することでも
ダメなことでも
ないのかもしれないのにね。
そんなことを
この10年で感じるわたしがいる。
今回は
残念ではあったけど
じっくり
ゆっくり
まったりと
なんなら
いろんな感情と
からだを
一つ一つ丁寧に
感じる
素晴らしい
体験の一つとなりました。
何といっても
一番は
こどもたちと
赤ちゃんが
きた喜びと
赤ちゃんが
お空に帰った
寂しさ
悲しみを
ごまかすのでもなく
隠すのでもなく
ダメなことではなく
一緒に
感じて
味わえたこと
それぞれが
何を感じて
何を
思ったのかを
話し合えたこと
だしあえたことが
わたしにとっての
宝物ものとなりました。
恥かしいことでもなく
隠すのでもなくて
日常の中にあるもの。
切り離すのではなくて
繋がっているもの。
寂しさも
悲しみも
虚しさも
がっかり感も
うれしい
たのしい
慈しい
喜びに
繋がっているもの。
隠すのでもなく
要らないものでもない。
そこに
あるもので
あっていい
感じていい。
どれも
大事なこと。
どれも
大切なもの。
どれも
繋がっている
とても
自然なこと。
うれしいも
悲しいも
たのしいも
寂しいも
両方セット。
両方セットで
あるもの。
きりはすのではなく
きりすてるのでもなく
両方
あっていいよ
そう自分が
自分自身へと
言えるといいね。
本来は
なにを
感じてもいいし
なにを
思ってもいい
なにを
考えてもいい。
そこに
あるものは
ダメな
ものでも
要らないものでも
はずかしいものでも
隠さないといけないものでもないく
一番自分が
大切にしたいもの
なのかもしれない。
この日常に
溢れているものすべては
奇跡であるのかもしれない。
当たり前すぎて
奇跡を忘れているだけ
奇跡は
おこすものではなく
いま
この日常が
どれほどの奇跡で
溢れかえっていたということに
気づくもの
なのかもしれない。
流産を通して
この10年を振り返り
どれほど
素晴らしい人生を
生きて
生かされていたんだろうと
深く
感じる時間になりました。
流産は
残念ではあったけど
大切なことを
再確認できた体験として
心からありがとう。
赤ちゃん
また来てね。