死ぬ命は死ぬし、生きる命は生きる。 | 『西山裕子』の 〜順番一つでうまくいく!〜

『西山裕子』の 〜順番一つでうまくいく!〜

結婚しても出産しても『女』として愛される人生を生きる生き方を大切にしながら

お金もパートナーシップも家族も心も身体も全方位豊かに幸せになっていく人生を。

コロナウイルスに思うこと。

うつらないように
うつってしまったらどうしよう。

不安だからで動く前に
なんで不安なのか

不安になる前に
もう少し感じてみよう。



産婦人科の吉村先生の本
『幸せなお産』が日本をかえる。

この本の中でね
一番大好きな言葉があって

死ぬ命は死ぬし
生きる命は生きるんです。

もう痺れる
これ以上の言葉ってない。

これね
自然界の真理。

昔は生と死は
自然に循環されてたこと。

いつから
生きるのがよくて
死ぬのが悪いこと

そんなふうに
なっていったんだろう。



わたしは
自宅でプライベート出産するときに
 
この本を読んで
死をしっかり
受け入れて挑みました。

三人で夜中までたくさん話しました。

命ってなんだろう

わたしたちは
生きてるのか
生かされているのか

命の神秘を毎日毎日
感じていた時間。

じんとくんの出産。へその緒をきる瞬間です。

助産師さんもいない
産婦人科の先生もいない

家族だけでの出産。

信じるのは自分の感覚のみ
頼るのも自分の身体のみ

妊娠から出産まで
自分に向きあって

向きあって、向きあって
向きあってからの出産。



いろんな意見があると思う。

命をなめてるって
言われたこともある。

どれが正解とか
どの出産が素晴らしいとか
そんな話をしたいわけじゃなくてね。

命を感じる大切な体験を
誰かにわたしていませんか?

自分の命を感じる
尊い時間を味わえてますか?

本当に自分にとって
幸せなお産をしたと
言える出産をしましたか?


わたしね一番最初は産婦人科で
出産しました。

産婦人科の先生がいるから
大丈夫やろう。

産婦人科の先生の言うこと聞けば
無事に産まれてくるやろう。

自分の出産なのに
先生にまるなげ。

自分の出産なのに
自分の感覚じゃない

他人の言いなり
他人のペースで
他人の指示で動く

もう
言われるがまま。。。



自宅で出産してみて
自分がどれだけ

自分を信じる力を奪われているのかを
初めて体験した瞬間でした。

日常の中での出産。すべてが日常のままに過ぎてゆく。

いい、悪いの話じゃなくてね。

自分を信じる人生を
生きれてこなかったから

自分より価値在る人に
答えがあるんだと信じてた。

成功してる人
偉い人
先生や医者。。。。

自分よりも地位のある人の意見が絶対で
自分なんかの意見なんて間違ってるはず

そう本気で信じてた。



だから
自宅で出産したとき

自分の感覚で
自分のペースで
自分に従うことで

こどもたちが
産まれ出てきてくれたとき

初めて自分の感覚を
信じることの尊さを知りました。

もちろんたくさんたくさん
試行錯誤して模索しっぱなしでした。

逆子でお風呂で生まれたたいちくん。産まれてから産声をあげずに二時間ほど寝てました。

本来女性には
秘められた力があって

この世界に
産み出す本能が
そなえられてあるんです。

そして男性は
女性が安心して
産み出せる環境を整えてくれる。

産み出すことって

女性も男性も本能が掻き立てられる
本当に至福な時間なんだとわたしは思う。

これって出産の話だけど
人生も同じだとわたしは思ってる。



昔、双子を流産したことがあってね

どんはに願っても
どんなに祈っても
命は生き返らなかった。

無理したからかな
動き過ぎたからかな

自分をたくさんせめては
後悔ばかりだった。


でも考えてみて

わたしが命をよみがえらせる
ことは出来ないわけで

そのわたしが
命をどうこうすることなんて

本当は出来ないんじゃないかって
そう思ったんです。

だったら命のすべてを
受け入れるしかないんだって

本当に生きる命なら
わたしがどうこうしなくても

自分で生まれでてくるはず。

死ぬ命なら
わたしと関係なく

死んでいってしまうんだと
そう肚くくった。

一つ一つの命を
短い、長い

そんなんではかるのやめて
もっと命の本質を見に行こうと

そう流産のおかげで
感じることが出来ました。

ひよりさんが臨月のとき、やえさん産後1ヶ月の家族写真。

死ぬことを
よしとした。

もちろん嫌です。

死ぬことを
受け入れる覚悟。

すぐには受け入れられないけど
最後は受け入れるってことです。

こどもたちが死ぬことを
選んだなら

それを受け入れて
あげようと肚くくった。

自分の命も同じです。



もちろん
悲しくて

なんなら
狂い苦しむとおもう。

流産のときにね
悲しくて悲しくて
死を受け入れてられなかったから。

死ぬんなら
くんなって思った。

悲しませるぐらいなら
最初っからこなければいいのに、、、、

そう思っては
泣いてたから。


でもね
それでも

きたかったんだよね
わたしのお腹のなかに

4ヶ月の短い命だったけど
それが双子が選んだ人生なら

わたしがしっかり
受け入れて前に進もうって

少しずつ
少しずつ
受けあれあげれる
わたしへと変わっていった。


その体験があったから
自宅出産をするときに

死ぬ命は死ぬし
生きる命は生きるんです。

これを我が家の出産の基準に
しようって三人で決めれました。



『生と死』
どちらも日常の中にある。

いま死んでもいいと
いえる瞬間を

今日死んでも大丈夫と
思える1日を

人生なんて
いつなにがあるかわからない。


明日もしかして
死ぬかもしれない

不安に押し殺されるのではなく
いつ何があっても

大丈夫といえる
わたしで在ろう。



いまやりたいなら
いまやってみよう。

いま行きたいなら
いま行ってあげよう。

いま見たいなら
いま見に行くて決めよう。

一瞬一瞬を
大切に。

1日1日を
大切に。

いまのこの人生を
最高に楽しんでいこう。

こんな不安なときだからこそ
自分らしく生きていこう。