
情熱エルです

いやぁ~
しかし色々おました







とりあえず…
今は福岡に住んでおります

大都会 東京から大阪に戻ってどれくらいたった頃か鶴の一声で転勤タイ(笑)
福岡 博多 なかなかの都会です







なんでも、全国の主要都市で唯一人口が増加中だとか



食べ物は美味しいし…
人も優しいタイねぇ~

2年間…
サーフィンはしてました

海でのサーフィン大会にも出ました

富士山 剣ヶ峰まで登りました

部下達と野球の試合もしました



一時退院の母を連れて箱根の美術館にも行きました

部下の結婚式にも行きました

下の娘の成人もありました

仕事もバリバリやったと思う





白血病と闘いながら入退院を繰り返す神奈川に住む母の見舞いにも行きました

わかってたことなのですが…
ついに今年 2014年に入り…
母の命が年内は無理と…
自分と妹にだけ告知されました

2014年3月
来年はもう来ない…
母の最後になる誕生日の日に…
母の念願だった北陸の老舗旅館へ家族全員で行きました

それから約半年後…
9月末 亡くなりました

わかってたことだけど…
喪主でありながら人目もはばからず涙を流しました

しても しても しても…
いくら親孝行したつもりでも…
悔いばかりです…
覚悟を決めた妹が家に連れて帰り、そこに母が大好きだった孫達が代わる代わる泊り込みで…
大好きだった人達み見守られながら自宅で最後を迎えました…
妹と数年暮らした神奈川の自宅で最後を迎え、羽田空港経由で棺を空輸して生前母が大好きだった町に連れて帰りました…
妹が神奈川の自宅から大阪伊丹空港までひとりで付き添い…
その間に孫達は新幹線で移動
葬儀会館の車が先回りして伊丹空港で待機して下さり、妹と母の棺を会館まで連れて来てくれました。
妹はずっと我慢してたのでしょう…
車から降りるなり泣き崩れ、兄として初めて抱きしめて頭を撫でました。
翌日の夜からのお通夜では
お帰り~
って… 泣きながら
昔からの知り合いの、おばさんやおじさん達… 俺の野球部時代の同級生… 会社関係者… 約10年弱 離れた町なのに、沢山の方々が弔問 会葬 して下さいました
告別式では野球部時代の同級生が弔辞を…
母に、「おばちゃんありがとう」
そして、最後に… 喪主として
挨拶と自分が母への思いを綴った手紙
長い間 本当にありがとうございました。
いつかまたどこかで会いたいです…と
あれから約2週間…
1週間は会社も休みを頂きました。
癒えることはないですが…
でも、俺の戻りを待ってくれてる上司や同僚 、そして部下がいます。
おかげで頑張れてます





そんなこんなの2年間でした…
楽しい事も
辛いことも
いっぱい詰まった2年間…
さぁ人生の後半戦 頑張るわい









