ぽめ犬はダメ旦那(♀) -拝啓、自閉の世界で生きてます。

ぽめ犬はダメ旦那(♀) -拝啓、自閉の世界で生きてます。

せくまいめんへらにーとおたくいたいひと...そんな私を一言で片付けると「ダメ旦那(♀)」です。

今のユメ:いつか理解を示してくれる精神科医を見つけて、私も納得できる診断をしてもらって、その診断(名前)を名乗って、文章を書く仕事をすること!(長い)
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厨二病のようだけれども
僕らは、美学なしには、生きられない。


僕らの美学は
平たく言ってしまえば、自殺しないで、最期の時まで生きること、だ。

この美学には
実は、ポジティブでも、なんでもない、消滅願望が隠されていたりする。


僕らは、「肉体的な死」を以ても、終わらせられない
その「戦争」を、きっちり、勝利して、終わらせるために、自殺しないことを選んだだけなのだ。

それは、僕らが生まれた、その時から始まった、愛憎劇。

互いの、生命、人生をかけた、戦争。


僕らの敵は、他ならない、僕らをこの世に産み落とした、母、その人である。



人間は、この世に生まれ落ちた、その瞬間から

「母を支配する」か「母に支配されるか」

その、どちらかを選択することを、迫られている(と、僕らは考えている)。


生まれたばかりの赤子は、母を支配することでしか、生き長らえられないのだ。


これは、僕らの場合だけれども

赤子の時、母の圧力(叱責や体罰)に屈して、母を支配することを諦めてしまったから
その後、僕らは、歪んだ力関係に、呑まれてしまったのだと思う。


人と人の関係は、支配する、支配される、それが全て、なんて、そんな極端なものではないのだけれど

当然のことながら、母子関係も、本来はそういうものではないのだけれど
少なからずとも、そういう関係性の中で育つ子供は、いるのだ。

そして、いつも「母子間戦争」に身を投じてきた、そんな子供は
大人になっても、なかなか、兵士をやめることが、できないのである、僕らがそうであるように。


僕らは、今でも、かつての戦場に留って、日々、銃口を、もういない母に、向け続けているのだ。

その銃口は、僕らが大人になり、現実的な力をつけてからは、母以外にも向くようになったが
それは、僕らが、支配を受ける兵士でありながら、支配する者も兼ねるようになったと、そういうことだ。



支配は、新たな支配を生んでしまうことがあるようだ。

少なくとも、僕らは、支配者である母に育てられ、その後、支配者になった。


母はどうだったか知らないけれど、僕らは、暴力的な性質の、支配者だ。

共依存においては、支配する側、支配される側、なんて、線引きは無意味なのかもしれないけれど
それでも、僕らは、自分はどちらかというと、支配する側だ、と、自認している。

それは、僕らが、客観的に見て、時に、肉体的な危害をも加えるような、危ういタイプだからだ。

支配というものは、それ自体、暴力と変わらないものだと、思うけれど
暴力とわかる暴力を伴う、支配は、その凶悪性が、さらに増す。



僕らが、初めて、手という手をあげた相手は、今の妻だった。


僕らは、それまで、自分がされてきた支配を、してきた支配を、妻に対して、繰り返した。

その結果、僕らから見て、僕らより、か弱い妻は、僕らに支配され
しかし、自らも共依存の準備があった妻は、僕らを、支配するに至った。

僕ら夫婦が、共依存に陥った要因の一つには
お互い、その準備があったから、というのも、ありそうだ。


これは、僕らの場合なのだけれど

僕らは、隙のある、自分より弱い(と感じる)人間を見つけると、付け入りたくなるのだ。


上手いこと付け入って、支配する為に、相手を、自分の思い通りにする為に
最初は、優しく、朗らかに、取り入るように接するのが、僕らの十八番だった。

それに成功すると、僕らは、とりあえず、満足したような状態になるのだけれど
人間を相手にしている以上、気に食わないことは、それこそ、無限に出てくるわけで

僕らが暴力的な面を、表に出すのは、そんな時だった。


粗暴に、凶悪に、相手の非を責めたり、こちらから泣き落としにかかったり
僕らは、相手に、あらゆる、精神的な打撃を与えるようになる。

そして、僕らは、たまに、自分よりも強い(と感じる)相手にも、支配を試みるのだけれど
そういう時は、さらに、暴力性を増す。

相手を、自分の足元に降し、屈服させたい、という感情に呑まれたら
僕らは、相手が、自分の主治医であろうとも、そこが、診察であろうとも、食ってかかるのだ。


当然と言うべきかもしれないけれど、この手の支配は、何度、相手を自分の手中に収めても
自己不全感が強まるだけの、不毛で、虚しいものだ。

僕らは、それこそ、飽くほど、支配を振りかざして、恋や愛を騙ってきた。

でも、そのことで、僕らが、満たされたと感じたことは、一度もないし
それは、きっと、僕らに限ったことではないと、思う。



他人を、その人の思うように、ではなく、自分の思うように、しようとしたら
どこかに、何らかの歪みが生じることは、もはや、明白だ。


僕らの母は、僕らを、僕らの思うように、ではなく、自分の思うようにしようとして
そういう風に育てたからこそ、僕らに、失望したのだと思う。

少なくとも、現代の日本では、子供は、親の所有物ではない。

そんなことは、きっと、誰もが承知しているのだけれど
たぶん、自らの子供を前にしては、その、承知したことを、実行しにくいのだろう、とも思う。


僕らの母は、産んでやったんだから云々、というようなタイプではなかったけれど
明らかに、僕らを、自分の子供という、物として扱っていた。

そんな母は、もう、かなり前に、物として扱えない、僕らに飽いて、
というか、僕らとの共依存に飽いて、遠い、どこかの世界へ行ってしまった。

母は、永遠に、満足などできはしないのに、別の形の共依存に生きる為に
誠実な夫と、思い通りにならない子供と、年老いた親を捨てて、消えてしまった。


これは、あくまで、僕らの想像なのだけれど

そんな非道い母も、恐らく、ただの愛されたがり、だったのだ。


母もまた、人生のどこかで、共依存の準備を済ませてしまっていたのだと、思う。

だから、育児という、いくらでも、いくらでも、子供を支配できる環境を得て
愛と支配を取り違えるような、そんな、悲劇の幕を開けてしまったのだ。

僕らも、また、愛と支配を取り違える、そんな人間だ。

そんな母に育てられたから、そんな人間になったのかもしれないけれど
とりあえず、僕らには、母の「愛されたい症候群」みたいなものが、少し、理解できるのだ。



認めたくないことだけれど

実のところ、僕らは、現実に在る母のことを、もう、大して恨んでも憎んでも、いない。


今の僕らは、まるで、その昔の、かつての母のようで
「愛されたい症候群」に罹患しながらも、理性で、その、支配したい気持ちを、日々、抑え込んでいる状態だ。

僕らの敵は、もう、現実に在る母ではなくなってしまっていて
もはや、過去の幻影とも呼べないような、空想混じりの、フィクションの母みたいなものが

僕らの中に、ずっしりと、確かに、敵として存在しているだけになってしまっている。


僕らは、毎日、飽いても、疲れても、その、母らしき敵に、銃弾を撃ち続けている。

いつから、僕らは、現実の母なんて、どうでもよくなってしまったのだろう
そして、僕らはどうして、いつまでも、架空の母と、望まない戦争を、続けているのだろう。

もし、僕らが僕らである為に、この、阿呆らしい戦争を続けなければならないのだとしたら
なんとも、やりきれないような、そんな気分になってくる。


しかし、だからといって、僕らは、もう二度と、自らの為に、実在する人を支配しようとは
架空の母と続けている戦争を、妻とも繰り広げようとは、思わないだろう。


母がそうであったように、僕もそうなのである。

母も、僕も、自分の思うようにしたくて、でも、あれこれするのは面倒くさくて
とりあえず、支配などという、手軽だけれど、ハイリスクな手段を用いるだけなのだ。

母が、僕らが、面倒だと感じているのは、たぶん、責任を負うこと、だ。


支配をすること、支配を受けることは、責任転嫁を容易にする手段、でもある。

支配している相手に、責任を押し付けたり、支配されているからと、言い訳をしたり
そう、支配というものは、面倒くさい、責任というものから、手っ取り早く、逃げられる手段でもあるのだ。



人を愛することにだって、責任は付き物だ、と、僕らは、そう思う。

僕ら自身は、無責任というものが大嫌いな、不誠実にうるさい、そんな人間だけれど
それは、人から無責任な愛され方をするのが嫌い、というだけだ。

僕らは、自分の無責任に、なにかを感じた憶えが、ほとんど、いや、全くなかった。

妻と共依存に陥っている、と、そのことに気付いて、散々悩んでから
ようやく、僕らは、人を、妻を愛する自分にも、責任が発生していることを、知ったのだった。


僕らは、自分に共依存の準備があることを、胃が痛くなるほど、承知していても
感情に流された際、また、無自覚に支配を繰り広げようとする。

僕らは、妻を、一見、愛情に満ちた、紳士的な振る舞いで、支配しようとするから
自分の言動の、ほとんどを疑わないといけないのが、頭痛の種だ。


しかし、そこまでしても、妻のことは支配したくないのが、僕らの本音だ。


あまり、「自分」の言動を疑ってばかりいると、今度は、別の問題が出てくるのだけれど
こっちを打てば、こっちが出る、というのは、この世の常な気もする。

僕らが、どこまでもまっすぐに、自分の責任を負おうとしていたとして
もし、その時、妻が、無自覚のうちに、僕らを支配していた場合は、また、問題が大きくなってしまうから

やはり、延々、頭が痛いことは、覚悟しなければいけないのだと、思うし。





共依存は、愛憎をモチーフにした悲劇だと、僕らは思う。

どこまでも、誰にでも、伝わっていく、負の塊だ、と。


感情の裏に隠された、隠した、支配に気付くことは、そう、容易くない。

自分の思うようにしたい、それが、自分の思い通りにしたい、という、ニュアンスに変わった時
人は、そんな自分の欲望に、まず、支配されることになる。

僕らも、また、支配する側にいるけれども、支配される側に在り続けてもいる。

それは、恐らく、僕らが、自分の欲望に支配されているという
その事実を承知し、なんとか、そこから抜け出そう、という段階にないからだと、そう思う。



きっと、本質的には、人間は、自由なものだ。


けれど、それを忘れて、主張することを怠り、感情に、欲望に流されて
支配という、便利な道具を振りかざしたならば

理性を必要とする、自制という、難しい機械は、なかなか、手に馴染まなくなることだろう。


人間は、いつ、どこで、自由を忘れて、手段を間違えるのだろう。



一つ、僕らが、今から、間違えられないことがあるとしたら
忘れてはいけないことがあるとしたら、それは、僕らが、何者であるか、ということだ。

僕らは、かつて、母子間の共依存に巻き込まれた、兵士である。

未だに、銃を手放せない、過去の亡霊と生きる、現在の僕らは
そう、いつまでも、いつまでも、きっと、これからも、共依存の当事者なのだ。


共依存の準備がある、当事者である僕らは
自分の支配が、今、どこに向いているのか、どこに向くのか、それを監視し続けなければならない。

支配が、支配として機能しないように、努力し続けなければならない
共依存の悲劇の幕を、また、悪戯に開けてはならない、繰り返してはならないのだ。



人は、家庭という足場なしに、どこかへ向かって歩き続けたり
自分や他人という、生物の面倒を見たりは、できないものだと思う。

家庭というものは、家族がいても、いなくても
大切な存在がいるとか、自分の足がかりになるものがあるとか、それだけで成り立つものだと、そう思う。

僕らの場合は、妻がいれば、それで、もう、家庭の出来上がりだし
自己表現できる環境が、それこそ、支配よりお手軽な、足がかりになってくれたりもする。


けれど、共依存は、支配関係は、そういうものを、自分の足場を、大切な存在を
全て、容赦なく、叩き壊してしまうリスクを、孕んでいる。


そんなことは、共依存は、できることなら、繰り返さない方がいいのだ。

できなくても、繰り返さない為の、努力は続けるべきだと、僕らは思っている。


僕らは、自らの手で、自らの人生を、他人を、他人の人生を叩き壊してきたから
そうして、全て奪われた気になっては、さらなる悲劇の、中毒者になってきたから

自分が、新たに一つ、二つ、なにかを背負うことで、もう、悲劇を繰り返さずに済むならば
その方がいいと、そう思っている。


苦労をしても、責任を果たしながら生きる方がいいと、そう、痛感している。




しかし、思うのは

感情と理性、支配と愛情、その狭間を、共依存者として、この先も漂い続けたとして
僕らは、どこへ流れ着くのだろう、ということだ。


生まれた、その瞬間、既に戦場にいて、未だ、どこへも帰れない、帰る故郷のない僕らは
消滅による解放を求め、その美学に生き、死の、甘い誘惑から逃れることに、日々、必死過ぎるのだ。


僕らにも、他と平等な終焉が、ただ、優しく、静かな幕引きが、いつか訪れますように、と
そう、願わずにはいられないし、僕らは、絶え間なく、祈っているのだろう。




一日の終わりには、祈るように眠るけれど、僕らは、また、明日を迎える。

皆が皆、そのことを知っているから、夜の時間は、誰にとっても等しく、底なしの闇であるのかもしれない。


ある人には、安らぎを、ある人には、恐怖を、夜のそれは、どこか、支配と愛の違いに、似ている。

僕らは、今までも、これからも、夜に怯えるように、ゆらゆらと、支配と愛の境界域を、漂う。

よく考えたら
「僕ら」は昔から、「僕ら」だったわけで。

生まれた時から、今まで、そして、これからも、「僕ら」は「僕ら」なわけで。




アスペルガー症候群、AD/HD、LD。

医学が言うには、それらは、僕らが持って生まれたもの。


解離性障害、あと、わけわからんちんな気分の変調。

医学が言うには、それらは、僕らが、どっかのタイミングで患ったもの。


正直、その医学の言うことが正しくても、間違ってても、僕らには関係ないのだと思う。


医学は、僕らにとって、自分を定義するもの、でしかない。
しかも、主に、治るとか、治らないとか、そういうことを考える時の、指針になるだけだ。

そればかりじゃないけれど、それでもあるし、それが、僕らなりの「医学の使い方」だ。


少なくとも、今の医学は、僕らを治せない。

全ての精神科医がそうである、とは、言わないけれど
この「質問」を投げかけたら、きっと、多くの精神科医は、困った顔をするだろう。



【僕らは、知的境界域の自閉症スペクトラムです、解離性障害でもあります。

よくわからない気分の変調があって、とても、働ける状態じゃありません。

ほとんどのお薬が合いません、カウンセリングも合いませんでした。


でも、僕らは、個人的には、すごく幸せなんです。

プライベートは、とても充実していますから。

でも、医学的にも、社会的にも、僕らって、治療が必要な状態なんですよね。

でも、僕らは、幸せなんです、どうしたら、この 幸せな自分 を治せますか?】




え、自分が幸せなら、それでいいじゃないの、幸せじゃいけないわけ?


もしかしたら、この質問には、そんな答えが返ってくるのかもしれない。

(いや、リア充自慢しに、わざわざ精神科くんな、と、塩をまかれるかも?)

実は、僕らも、それでいいじゃないの、とは、思う。


けれど、やっぱり、僕らは「困っている」から、治さないわけにいかないし。

僕らは、今までずっと、引かなかった、引けなかった、もう長い間、ずっと、ずっと。


しかし、よく考えてみたら
僕らは、一体「なに」に困っていたのか。


そもそも、本当に、「困っていた」のか、最近、疑問に思うこととなった。





僕らは、少なくとも、一昨日までは、こう思っていた。

「自分の病気を治さなきゃ、障害を軽くしなきゃ」。


僕らは、「自分が病気や障害で困っている」から、必死で治そうとしていたのだけれども
どうやら、それ自体が、思い込み、だったように思う。

厳密には、「僕ら」は「困っていなかった」のだ。

「困れ、お前は、自立も仕事もできない、障害者だ、困った奴なんだ」、とかいう
そういう観念に、「困らせられていた」のだと思う。



「質問」にある通り、僕らは、自分はパーフェクトなまでに幸せだ、と、感じている。

けれど、医学的にも、社会的にも、僕らは「問題のある障害者」と、される状態で生きている。

(僕らの、ざっくりとした自己評価では、そうなる)



僕らは、幼少期から「自立」とか「いいこ」を、周りから押し付けられてきたので


自分が、「引きこもり」であり「ニート」であるのは、絶対的によくないことだし
「発達障害」と「精神病」を治さない限り、自分は「悪」なのだ、幸せになれないのだ


とか、たぶん、そんな考え方をしてきて、例の観念を生み出してしまい
あの、よろしくない思い込みと、すり替えてしまったのだと思う。



医学的に問題がある、社会的に問題がある「自分」は「障害者」でしかない。

例え、プライベートがウハウハ幸せであっても、それでよしとできない。

それこそが、僕らの「病気」だったのかもしれない。


働けない、自立できない、そんな自分に価値はない、という観念が
「実は、病気と障害があっても、幸せだし、問題ないよ?」なんていう
素晴らしく、大切なものを、見えなくしていた。


そのことこそが、最近まで、僕らの心身を蝕んでいた、ように思う。





発達障害は、どうか知らないけれど
僕らの、解離性障害は、いつか治るのかもしれない。


医学が進歩したら、発達障害も、母に虐待されたという記憶も、「治せる」ようになるのかもしれない。


ただ、今、病気とも障害とも付き合っていこうか、とか
むしろ、そういう厄介事もひっくるめて、僕らである、とか

そういう風に考えるようになった、僕らからしてみたら
「治す」ということが、どういうことなのか、ますます、わからなくなったのも、事実だ。



僕らの考え方は、正しいようにも思えるけれど
「自分が幸せなら、それでいいじゃないの」という、自己中心的な考え方でもある。

それは、まったく現実的な考え方じゃないし、それでは食うにも困ると思う、いつかは。


けれど、僕らは

それじゃあ、個人の価値観とか、幸せとかは、大して重要じゃないの?と
しつこく、食い下がってみたくなるのだ。


お金で買える幸せもあるし、人に変えられる価値観もある。

でも、社会の中で生きることで、自己というものを壊しかねない人は
幸せを失うリスクを背負うことで、常に憂鬱な顔をして生きなくちゃいけない人は

結局、どうしたらよいのだろう。



「そういうもの」なのだろうか。

僕らは、「そういうもの」を受け入れられず
けれど、無条件に受け入れろ、と、教えられた結果、自己も幸せも失いかけた。


世の中は、不条理なことばかりだ。

母は、幼い僕らに、そんな、暗黙の了解に似た「なにか」を教えてくれたように思う。


残念ながら、僕らは、暗黙の了解というものを、上手く理解できない子だったから
こう、なんともしがたい、屁理屈ばかり唱える、変わり者に育ってしまったのだと思う。

僕らは、気分の変調により、隣家の物音で苛立ってばかりいるけれど
それは、きっと、隣人のせいでもなければ、僕らのせいでもないはずだ。



たぶん、きっと、今、僕らが社会で生きられないという現実も、誰のせいでもないのだ。


自分を悪者にしても、自分の困り事を増やしても
他人を憎んでも、妻に依存しても、精神科に通っても

その罪も罰も、所在不明のまま、時間は過ぎてきた。



まぁ、僕らの「幸せ」は、恐らくだけれど、環境に依存しているところが、大きい。

精神障害の手帳は持っておかないと、たぶん、「不幸せ」を味わうことになると思う。


特に困ってはいないけれど、困らないために、精神科へ通う、ことになると思う。

そんな精神科の患者も、きっと、世の中には大勢いる、はず。


今さら、少しばかり社会から外れても、それは、構わないけれど
やっぱり、「病気と障害は治さないと観念」は、僕らにつきまといそうだ。



それでも、まぁ、幸せ、なのだけれど。


それも含めて、「僕ら」なのだろうけれど、それは、もはや曖昧すぎて、よくわからない。

等身大の「僕ら」なんて、きっと、そんなものなんだろう。

A. あります、二回ほど。


気付いたら
髪の毛ないんですよね。

後ろ髪以外、坊主とか。

解離してる間に
知らない人格が頭刈っちゃうんですね。

実によくある話……


だったらいいのに(´А` )
 

※ぽめ犬、肉体は♀です


あぁ、私もいい歳なのに……。




そんなわたくし、最近

「かなり強く解離性障害が疑われます」

と、言われちゃいました。

 
自閉とかPTSDが原因だと思いますが
とにかく解離症状が酷いらしく

初対面の精神科医から
「解離性障害(仮)とうつ状態」と……。


真顔で【死にたい】とか、
まぁ、他にも色々言い出したから

久しぶりに精神科へ行ったんですね。

前の通院先は合わなくてやめたので
違うところ探して。


そうしたらば

薬の効かない解離と
薬の効きづらい、解離由来のうつ状態

まだ確定診断はできませんが、と。



私、数年に一度はそう診断されるんです。

でも

すぐ診断変えられるんよねーぇ(°Д°メ)




入院した時に
「解離性障害」言われたんよ。

それで二級の手帳書かれたし。

でも、家の事情で転院したら
転院先の医者が違うこと言ってきて。

話にならんから転院したんやけど、
したら、今度はめちゃくちゃ言われた。

ここ数年、ずっとそれ。

私らをよう診もせんで
偏見で診断を変えるな、と。

まず人の話を聞け、それから診ろ、と
私は言いたかった。


今回の担当医は
虐待の話も信じてくれてるし

私らの中の喧嘩番長が出んでもよさそう。

酷い医者に当たると
番長、診察室で怒鳴るけん(  ´_ゝ`)




で、

知らないうちに頭が坊主になってたり
本がいつの間にか投げ散らかされてたり

そんなことが頻繁にある私は
やっぱり病気なんでしょうな……。


必要って言われて、
初診のあとにカウンセリング受けたら

心理士の言ってることが分からんで
うつ状態と強迫観念と拒食が悪化して

寝込むはめになったけどなヽ(・∀・)ノ


「嫁のことを思うなら働け」
「まだやれるでしょ」

とかの励まし(?)しか理解できなくて
死にたくなったわ、フフフ。


心理士が私らの話を聞かないわけじゃなく

心理士が私らの
「自閉」と「感覚過敏」、
耳で聞いた言葉を理解するのが遅いこと、
感情論が通じないこと、を知らないのが

致命的だった……。


私らって、常識的な速度で話すと
無意味なやり取りしか出来ないんよね。

自分の感情とか疑問、
意思を言葉にするまで

めっっちゃ間が必要。


語彙ばっかり豊富らしくて、
敬語で話すのが唯一の特技とか……

私ら、なんなんやろ(  ;∀;)


言われたことを紙に書いて、
理解して、考えてから返事してたら

普通になんて生活できんわっ。

職業訓練?
内職?

箸もちゃんと使えん
目で確認せんと指示が理解できん
外に出たら耳が常時パチンコ屋にいる状態。

生まれつきそんな身体能力で、
さらに虐待なんてされながら育ってみたら、

心理士にも私らの辛さがわかると思う。



みんなと同じようにしたい。

勉強したい。
外で遊びたい。
人と話したい。

私らの中のちびすけは、
自閉なりにちゃんと考えとる。

追い詰めんでよ、心理士のあほう。


ちびすけが
「心理士ころしたい」いうたよ。

叩かれても怒鳴られても
火傷させられても、骨折られても
それは我慢できるかもしれん。

でも

やってもやってもできんことに
軽々しく口出しして、
僕らの気持ちを踏みにじるな!って。


喧嘩番長も怒ってらっしゃる。

家にある椅子とか、
ペットボトルとかを横倒しにして回るんよ。

ほんとはそれ、
窓ガラスに向かって投げつけたいはず。

でも、それやってしまったら
もっと陰湿な復讐ができんから
やらんのやと思うな。


社会から泡のように消えてしまえ、
かつての僕らのように。
社会の役に立たなくなって
生きるに困り、死へ追い詰められろ。

毎週毎週あのくそアマに会いに行って、
ご丁寧なカウンセリングを受けてやるよ。

この僕がな。

責めて責めて責めてやるから、
罪悪感に呑まれたらいい。
おしゃべりしたいだけなら、
コールセンターに転職すればいいのにな。

あぁ腹立たしい。

うちのガキどもがくそアマから受けた傷は、
もう一生、消えないから。
だから、せめて金を返してほしいわ。
上から目線でNGな説教食らわして、
その上、ない奴から金を搾取するんですか。

全ては愛で解決しますみたいなこと言うが、
それなら僕らには嫁がいたら問題ないわ。
嫁ともども困ってるから、
専門家を頼ってんだろ。
てめぇの頭は張りぼてかっつーのな。

ほーんと、クソ心理士乙wwwだよな。


とか、笑顔で言わはるもん(´Е`)


うつ状態の自称自閉が
人の話わかりづらいー言うとるんよ。

なのに、まぁ、

【働けとは言ってないんですよ?
でも、奥さまのために内職とか……ね】
 

……へー、うん、できたらえぇよね。



でも、

内職だけでこのど貧乏から抜け出せるんかっ!
私らと嫁の食費、いくらやと思ってんねん!
内職の一銭だかニ銭だかで食っていけるなら、
あんたにお悩み相談なんぞせんわ!
実家寄生のニートをナメんな。

働きたくても働ける環境がない
うつになってきた
真夜中、解離して頭から冷水かぶってる

番長が三回だか四回、自殺未遂したのも
今年の冬やぞ。


学校なんて、そもそもは幼稚園から
まともに行っとらんっちゅうねん。

私ら、虐待されてたんよ?
行けるなら外の教育機関に逃げとったわ。

それせんかったのは、
行けへんような問題があったからや。


そのせいで虐待が酷くなったとか、
なんの祟りよ。

そんでも、
それは忘れて働きなさいなーとか

どこの地獄の鬼畜かっちゅうねん(´Д`|||)



番長が言っとったことで一番恐ろしいんは、
「身売り」のことやし……。


私ら、性交渉して依存対象を繋ぐ
そんないけん生活もしとったから

番長が言うた、

【男とsexして一万円稼いできましたー
そのお金で今日カウンセリングにきましたぁ!
心理士先生、これでよろしいですよねぇ?

とかやってたね、
僕が独り身で、女人格だったらね。
あぁ、うちにそういうヤバい仕返しを目論む奴がいなくてよかったよ、ほんと……】


……これ、聞いたら背筋寒くなった。



いやまぁ、

身売りで食おうかな、とか
思ってた時期ありますがね……(*Б*)

きちんとした風俗店もね、
探しましたがね……。




ちゅうかな。

私らの中の喧嘩番長が、
虐待してきた母親の生き写しやったみたい。

迫害者人格?だっけ。


で、普段は喧嘩番長が私らのボスやから

まぁ、そんならいつまでも
解離が治らんの納得、みたいなな。


しかも、

うつ状態の原因、
別のところにも見つかってもうてな。


私らと母親って共依存やったんよ
だから、昨日まで気付かんかったのよね。

私ら、嫁と共依存に陥ってた(°▽°)……



やはり繰り返してしまうんかな。

嫁の存在が自分の命より「重い」、
嫁を失った時は自殺、と決定済み。 

そんなんになってから気付いた。


フフ……

母親から虐待されてた時期、

捨てられたら生きていけへん!って

毎日、生きた心地しとらんかったから。


大切な人が死ぬより
独りぼっちになるより、
死んだ方が楽だ。


そんな風に思って生きてきたから、
今のそれが「共依存」と気付けんかったの。



だってなぁ。

虐待するようなクソババーでも、
子供にとっちゃ必要なババーやねん。

どんなにろくでもないババーでも、
大事なババー様やねん。

生ゴミみたいな母親でも、
クソババーは私らのお母さんやったからな。


まぁ、腐りきった愛で育てられたら、
なんか臭う大人が育つもんやけどな( ̄ ̄lll)

それ、私らのことですがな……。


クソババーにされたこと、
私らがクソババーにしたこと、

(まぁ、しつこい臭い付けみたいな
そんな愛情表現?)

それを嫁にもしてしまったらしくて、
死が絡む共依存に陥った、と。


嫁にクソババー傾向が見られた時に、
私らが手を打ってたらなぁ。

ちくせう(´皿`)……




しかし、まぁ。

嘆いても、私ら夫婦は不健康なまま。


なんとか立て直しますわ、
本物の愛があるなら、やり直せるからな。

そこがクソババーと嫁の違い、


……だと信じますわ。