I PRAY FOR THIS HEART TO BE UNBROKEN.
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忘れること。

辛いことは忘れられないし、忘れなくてもいい。

でもそれを引きずっていることが一番ダメなのかな。

引きずっていてもそれをどうにかしようとしている、それだけでダメなのかな。

自分の人生を大きく変えられてしまった出来事なんてなかなか忘れられない。

どんな些細な事だって鮮明に覚えている。

どんなどんな小さいなことだって。

忘れることもできなければ、忘れさせられることもできない。

記憶って怖いものだ。

でも、何も変わろうとしていない私は一体何なのだろうか。

変わらなくていいと思っている自分が悲しい。

どうしてもう少し違う考えができないのだろうか。

一歩は大きすぎてなかなか踏み出せない。

躊躇しているうちに、踏み出すことを考えることもやめてしまった。

でもいつだって始められる。

辛いことを覚えていることは辛いけど、それをどう今後に生かすかが人生を大きく変えるんだと思う。

どうにかして前に進む。

それをやめてしまったとき、それでも時間は止まらない。

私は歩く。

何も変わっていなくても、何も変わろうとしなくても。

人を信じることをやめてしまった自分が、ほかになにを信じることができるのだろうか。

それでも、私は歩く。

大丈夫。

人を信じなくてもいい、でも自分を信じて。

自分が自分を見失わない限り、自分は自分を裏切らない。

自分に責任を持って。

私は私をコントロールする。

もう決してだまされたりしない。

悲しくもないのに。

意味もなく涙が出てくる。


パソコンの前に座って、何もせずにぼーっとしているだけなのに、意味もなく涙が出てくる。


涙を流している自分にはっと気づいて、涙をぬぐったら、もっと涙がでてきた。


その涙をぬぐったら、もっともっと涙がでてきた。


だから着ているTシャツのそでてできるかぎり強く目を押さえつけた。


しばらく泣き止むことができなかった。


泣くほど辛いことなんてないのに。


人間は不思議だ。


何も考えてないと思ったら、本当は頭の奥の奥で何かを考えて、自然に体が反応している。


しっかりして。


今は泣いてる場合じゃない。


しっかり前を見て。


頑張るんだ。



何を求めているのだろうか。

何のために生きているのだろう。


私はいつだって笑える。


どんなに悲しいことの後にだって笑える。


いつものように。


”どんなに”の度合いは間違いなくたいしたことはないのだろうけど。


私は自分を偽っている。


誰も私を知らない。


でも知ってほしくもないと


私の気持ちなんてわかってたまるかと


誰も認めてくれなくていいと


思ってしまうのはなぜだろう。


何もかも。

時々自分がコントロールできなくなる。

どうしていいかわからなくなって、でもどうにもできなくてずっとずっとイライラしてて、みんなに気を配れなくなって、迷惑かけて・・・私はどうしてこんなにも弱い人間なのだろうか。


こんな自分が大嫌いだ。


周りにいい顔してるのにも疲れて、もう誰にもかまってもらえなくてもいいとさえ思えてきて、一人で生きて行きたいと感じている。


どうしていいかわからない。


私は一体何を求めているのだろうか。


誰にもわかりはしないだろうけど、自分のことを一番わかっているのは自分なのに、なぜ今こんなにも自分を見失いかけているのだろう。


自分をコントロールできないのは怖い。


もう本当にこの場から去ってしまいそうな勢いだ。


しっかり前を見て、自分の足で立っていないといけないのに、フラフラする。


私の前には何もないようで、誰もいないようで。


このまま消えてしまったほうがいいのかな。


私は何のために生まれ、何のために生きているのだろうか。


どうして神様は生きていても仕方のない私に命を与えてくれたのだろう。


生きている価値があるから、それに自分が気づいていないだけだから、私は生かされているのだろうか。


今の私には分からない。


いや、誰にもわからないだろう。

I WONDER.

これは自分で思いついたことなのか、誰かから聞いたことなのかよく覚えていないけれど、


「人は自分のことを語るのが好きだ」


と言うこと。


嬉しいことも悲しいことも話そうとする。


中にはもちろん、語れないくらい辛い経験をしている人だっている。


この広い世界、みんながみんな同じとは限らない。


この文章を知ってから(もしくは思いついてから)、私は自分のことを語らないようにしてきた。


もちろんわざと。


例えば、友達が自分のことを聞いてきても、多くは語らず、すぐに相手に質問を返す。


だからなのか、たまにいる”聞き役”に徹している人達から自分はどういう人間なのかが分からないと言われることがよくある。


”話し役”の人達にとって、”聞き役”はあくまで”聞き役”なので、相手のことはあまり気にならないらしい。


なので、そういう人達は「どういう人間なのかわからない」なんてことは一切言ってこない。




今日から私は日々思ったことをここに書き記していこうと思う。


長い間、”自分を語る”ことをしてこなかった私にとっては、かなりのストレスだからだ。


”聞いているだけ”の人なんてそうそういない。


やっぱり人は自分のことを語りたいのだと思う。



自分を隠してきたことによって、その環境に慣れてしまった私は、自分をさらけ出すことさえ怖いと思うようになっている。


この世に存在する誰にも自分のことをわかってもらいたいなんて思わない。


”気持ち分かるよ”なんて安い言葉かけないでほしい。


誰にも私の気持ちは分からないし、私も誰の気持ちも分からない。


わかってほしいなんて思わない。


人は一人で生きていけないとよく言うが、本当なのだろうか。


生活をする上で、電気や水道などを管理している人が必要だ、と言うのもこれに入るのだろうか。


この地球上には色んな人がいすぎて、色んな考えがありすぎて分からない。