コロナ禍が続き在宅が多くなった。


地上波テレビをみても感染者がどうだワクチンがどうだと


自然とYouTubeはネットフリックスをみることになる。




コロナ禍で在宅が続いている。


外出が思うにまかせないようになると、自然、テレビを見る機会が多くなる。


最近の地上波は面白くない。コロナ番組はここまでくるともう飽きた以外のなにものでもない。


地上波がダメだとなると、残るはYouTubeかネットフリックスとなる。


YouTubeは中には本当にくだらないものもあるけれど、講演とか講義番組はただで有意義な話が聞けてありがたい。とくに最近は地上波ではみられないようなリアルな番組もあって面白い。


このところ、ネットフリックスで昔の映画をよく見る。


やはり、外国映画のほうが見応えがあるのだが、時には日本映画にもいいものがある。


昨日、見た映画は重い映画だった。


タイトルは「私は貝になりたい。」である。


といっても中居と仲間で撮った平成版ではなく、

フランキー界、新珠三千代の昭和版であり、しかも白黒映画である。




小学生の頃、正月に両親が映画を見に行くといって出かけたことがある。そのタイトルを聞いて子供ながら変わった名前の映画だなあと思ったのが今でも記憶に残ってる。



「私は貝になりたい」



絞首刑が決まり、死への旅をさとす僧侶が、あなたは生まれ変わったら何になりたいですかと尋ねると、その主人公は

「私は生まれ変わったら金持ちの子供に生まれたい」と当初答える。


戦中、戦後の貧しい生活に明け暮れた主人公にとって貧乏ほど嫌なものはなかったのだろう。



やがて、死刑当日、最期にいい残すことはないかと問われた主人公は、思いなおしたようで、ここでそのセリフをいう。



「人間も動物もわけのわからないことで、殺されたりイジメられたりする。そんなものよりも、深海の海底で変わることなくひっそりと過ごせる貝のほうがいい。


そうだ、私は貝になりたい。」



さて、この映画の前に、同じネットフリックスで「新聞記者」という映画を見た。


モリカケ問題で自殺した財務省の職員家族と東京新聞の記者を主人公にしたものである。


国家権力の不条理、不合理を告発するという意味では同じような背景があるのかも知らないが、単に映画作品として両者を比較した場合、その重みが圧倒的に違う。


方や俳優が力を入れれば入れるほど、ひいてしまうリアルティのなさと白黒画像で自然に演じる名優の見事な演技。


映画とはやはり、重い映画のほうが見応えがあるもので、そんな映画は見終わったあとに、その為に費やした時間は惜しくないと思う。



重い映画には真実があり、軽い映画には意図がある。


あなたはどう思われますか。