本日は婆ちゃんの命日なので


少し婆ちゃんとの思い出話を書こう


婆ちゃんが、亡くなって3年が経ちました。


4年かな。2年かな。



実家の近くに住んでいたので物心ついた時から、婆ちゃんはいつも近くにいました。


小学生の頃、毎月発売日に婆ちゃんがコロコロコミックを買ってくれるので


決まった月初めに、


婆ちゃんちにあるコロコロコミックにまんまと誘われるように顔を出していました。


毎回ガチャポンもやらせてくれました。


今はそのガチャポンの景品はどこにもありませんが、ガチャガチャをやるのが楽しかった。


婆ちゃんは何も言わずに毎回笑顔で100円を差し出してくれました。


当時はガチャポンは100円でした。


今は500円のガチャポンまである。


僕が爺ちゃんになっても、孫にガチャポンはやらせません。


その頃には2000円とかになってそうだから。


幼稚園の時、夜はいつも婆ちゃんと一緒の布団で寝ました。


その時に婆ちゃんが話をしてくれる、戦争の話が好きでした。


好きというか、当時の鮮明な苦労話や、食生活、とにかく当時の自分の生活には考えられないような話で


何かを考えるきっかけになっていたのかも。


怯えながら、婆ちゃんと一緒に寝ていました。


婆ちゃんはいつも早起きでした。


早起きじゃない年寄りが、この世に存在するのかは知らんけど。


一緒に朝早く起こされ、散歩に行くのが日課でした。


何を話したのかは覚えてないけど、一緒に早く起きたら


ご褒美にコンビニで漫画を買ってくれました。


婆ちゃんはいつも、爺ちゃんから僕を守ってくれました。


僕はいつもトイレの便器におしっこを引っ掛けていました。


大人になった今なら、拭けば済む話ですが


何故か幼少期の僕は、美女木JCTの如く他方向に発射されたおしっこを拭かずに


決まって爺ちゃんに怒鳴られていました。


そんな時


婆ちゃんはいつも僕を守ってくれました。


とにかく、優しかった婆ちゃん。


中学生になってからは、部活も忙しくなり


サッカーに明け暮れた僕は婆ちゃんちに行く機会が少なくなっていました。


高校、大学くらいでしょうか


いつの間にか婆ちゃんはベットで寝たきりになり


声もほとんど出なくなっていき


気づけば、まともに会話が出来るような状態では無くなっていました。


それでも、声をかければ笑い


ゆっくりと伝えたい事を喋ってくれました。


時には、手を握りながら泣くことも


そんな寝たきり生活から7、8年でしょうか


婆ちゃんは病院のベットで、あの世へ行きました


最後は家族全員が駆けつけて


まるでTVドラマのような、逝き方でした。


人の死に際に立ち会うの婆ちゃんが初めてで


長い生涯の生き様を見せてくれました。


とにかく優しかった婆ちゃん。


怒る時は、いつも爺ちゃん。


婆ちゃんが死んだときの爺ちゃんの顔は力無さそうだった


ボロボロ泣いている訳でもなく


なんて表現すれば良いのだろう


一緒に人生を生きた同志のような。


男女ではない、同じ人間として


喜怒哀楽を共にした、深みのある姿でした。


少し思い出話をするつもりが長くなってしまった


婆ちゃんから教わった優しさを


僕は少しずつ分け周りの人に分け与えていきたい


って、職場の先輩の磯野さんが言ってました。