いいですね。 とりあえず。 良いですね。

 

そういう事が良いと思います。

 

 

まあ瞬間的な所の傾きを切り取れば勢いで行くので誰にでも、違う事はあるんじゃないでしょうか?

 

統一感が無いとか言うけど、いつだって8人とかいるなかもっといるかも知れない自分の中からどれかの自分を選択して行動しているわけでしょう?

 

まあ、それについてどうこう言いたくはないかな。 その時の傾きって大事よ。

 

 

それと、やっぱり、そのぶつかったところでの対決によって生まれるんだよ。おそらくは。

 

それも大事にしないと、いつもはできないけどね。 行く時は行って良いんだと思う。

 

この2つです。

豊洲の事

 

昨日、在宅待機だったんで、ツイッターでざっと眺めていたんだけど、

 

ええっと。 なんといえばいいのか?

 

「都の大事な事項なのに、 都民置き去りにされた所でいつの間にか雑に決められてしまってふざけんなてめぇ! 責任者だしやがれっ! 感。。。」

 

これが本当に雑に決まったかどうかではなくて、そういう風に都民に感じさせてしまった事が問題であるでしょう。

ただし、本当に雑でなくちゃんとやったように感じさせて、実は雑にやるというのも今のご時世無理なんだと思いまよね。

結局、何かしらぼろがでるというか、こういう大きな事やるのに、置きざれにされ感を出さないってのも難しいし、その裏で騙すというのも難しい大きな事であると思います。

 

まあ、豊洲の事、日頃から都政を見ていないと、細かい事なんてわかんないし、一般生活を送りながらそんなに情報なんて追えないし、マスコミもなんか微妙に流行りに飛びつくだけで、いったいなにを信じたらいいの?  選挙には行ったけど、その人がちゃんとやって何かしてくれてるのかな? 感もあるし(個人の主観)

なんかもありそうな気がしてなりません。 もうちょっと違う立場の人とかなら別の何かを感じるのかもしれませんけど、、、、

 

ある意味、小池都知事も、特に裏とかなく、民意の事を考えて勢いでやったりしたんだとしたら、ちょっとおんなじような事考えてるんじゃないかなーとか楽観主義的な私は思うわけでありますが、定かではありません。

 

都の行政としては、プロセスを得て来たのかもしれませんし、邪道なのかも知れないけど、今までの流れに乗って乗ったのかなぁなんて思ったり思ったりしてますよ。

 

 

だ、だから。だけど。  ほかにいろいろ言われている事もありますよね。 安全性とか何かしらの何かが・・・

もう作っちゃったかも知れないし、知れないけど、どうにかよくわからないままそのまま、にしたら、えーと、あとでもっとぐだぐだになるケースってたくさんあるよっ! あるよっ!

引っ込みつかなくなってるかもしれなけど。

 

 

で、感想ですが、断定しますけど、「意思決定プロセスの不具合」ですね。 今回の問題は。

 

意思決定プロセスに都民が乗れてないのに、決行した結果、問題がありそうな部分には徹底的に不信感を評される。 その程度の信頼関係しか行政と私の間には無かったって事ですね。(都民と書きたかったが、不信と思う一個人として確実は自分を1人称にしました。)

 

「信用できない行政、 行き止まる豊洲市場、 立ち尽くす俺。。。」

 

映画が一本取れそうです。

 

俺「だから! 遅かったと言ったんだ!」 (←パトレイバー劇場版

 

豊洲から、廃棄物13号がバシャーッ!!!

 

 

パクリかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

はい。こんにちは、 みんな元気ー? んー? 私? 私はそれほどでもないっすよ(/・ω・)/

 

えーい!  えーい!  えーい!   えーい!        

 

 

草を植えてました。  こんにちhわ。 

がgdsgsdfgfgffggffgfg

fgfgfgfgfgあgあg0ろああああああああdsdsdsssdsdsdsdsssswsss。

 

 

 

まあ、俺がなんとなく納得できない、理由が書いていたら整理されてわかりました。

 

さっき断定したのは、俺が不信に思う理由です。  ちゃちゃを入れないでください。

 

 

なので、とりあえず、願う事としては、行政に参加しているような都民が行政に参加しているような気分になれる意思決定プロセスの創造!

 

です。

 

わちゃわちゃと、意見を出し合ったものが、なんとなーく、なんとなーく、形になっていって、行くさま。   そういうものに心躍るわけでありましてさ。。。

 

今さら、そういうのをやったらておくれで時間分の積算でどうやったって処理できない状態になるんだから、今までやった事は、そのままでどうにかする算段を建てて。

 

今、今回の、失敗と思ったんだとしたら、それを、糧に、そういうシステムとか作って欲しいなあぁああああって思います。

 

 

つーか、逐一、わかりやすい形で できるところの情報は公開していく? ええと。 

してるかも知れないけど、なんだろう。 わかりやすいかたち。 うーん。(゜-゜)。。。

 

まあ、リアルタイムでいろいろやってれば、いいんじゃないかあな。 今までリアルタイムが難しかったけど、今ならいけるでしょ。

 

いや、仕事増えるかも知れないけど、かえっていいかも知れないよ。

 

そう、思うよ。

 

雑文ですが、そのままの思考が残っているのでここに載せます。

あああ、突っ走ってなんか変な事になる感じの事が起きそうだけど。

なんか、止まらないで突っ走ってしまう。ような気がする。

怒られてとまえれば良いんだけど、 だめっぽいかも知れない。


いやー。  いやー。   やばいね。  なんか楽しいと歯止めがかからないのもあるし。


大変だ。   どうしよう。   日本で日本。


まあ、ちょっと良くなった。
そこにいる。

ただそこにいる、そういうもので、そうしていると、なんだって、どうするか、言ってみてるみたいだけど、そういうの、どうしても、べつに、うんとこしょ、そういうのは、そういうので、あるから、こういうのは、こういうの、だけど、こういうのと、そういうので、そんなこと、あったりして、みみずとか、食べちゃったけど、大丈夫かな。

そうしてたら、いつまでも、そうなるのも、そうだけど、ああ、そうなんだな、となげくので、しかたないけど、それとか、それは、そうだから、あるんですね、ちょっと、わかったけど、どうしても、どうしてもなんだね、どうしてもどうしても、だけど、もう、じゃあ、どれをどうするために、どうするの?
どうしようかなと思う日々ですね。
そうです。 金銭の効率と労働の効率同一視しないで別の軸で考えた方が良いかと思います。

そのあとで合成しませう。
えっと、 


お店とかで購入するサービスでのサービスと、サービスを使って便利になること、でも、ありそうでも作って無いものは売ってないです。 
手作りの物とかは、時給換算とかしちゃうと、手作りのものとか労働の対価とはまったく合わないのとちょっと似てるかもしれない。

その無い、サービスをすることが、負担になるとか、そういうのを使って、必需なサービスなのだとしたら、それを分け合うことが大切になると思います。それはそういうことなのですよね。

でも、それが、分け合うのでなくて、良いと思えるサービスを作ることで、需要が増え供給量を上げることにつながる可能性もあるのかも知れないんですが。
それを目当てにそれだけを考えるのもどうかと思いますけどね。

応分に配分することをして配分の問題があったりして、それをできる人にたくさん配分することはできないことになる可能性の時間を飛ばしたりしていて、そういうのも考えてある程度、応分に配分する方がよいと思うんですよね。 それ以上はサービスとして追加での料金がかかるとして。

それをそこを、穴を埋めるようにする事まで、にしておけば、平等感とかも出てくるのかと、か、良いの、かも、知れないし、ただ、そういう、量的な問題は、試算と、現状の数値の把握が必要になってくるんだと思うけどね。

それが、手作り感のある物だとしたら、まったく割りにあいませんよね。 難しいところですよね。


そして、そうなるとして効率を上げて利益を上げたとしても負担は減らないんですよね。どうしても、負担は負担では無いんでしょうが。

しかし、また、利益を増やす事と、負担を減らす事はイコールではつながらず。

利益を上げる行動でしか利益は上げられず。 負担を減らす行動でした負担は減らせない。


利益から、間接的に媒介できるとしても、負担としては減らず、自分で減らすしか無いのだと。
と、言うか、負担を減らす事が手作り的要素が入るため、 ちょっと割りにあわないのかな、と?


しかし、それもそれで、違う負担の方が実は実態であると思い。そこを大切にしてする事が良いかと思いますね。


個人的な生活の集合が、そのまま社会の維持ととを別々に考えると、やった方がよいと思える事がなぜか別々になってしまうもので、同じものの一部分なだけなのに、別になってしまう。

そこの部分をちょっと考えなおしたりしてみてはどうなのかと、思いますね。


金銭的には基本的に割りに合わないが、別の大切な事の負担で行ってきた事を、他の事で代替えできるか?
現状できないと思います。

本質的に大切にする所がそれぞれあって、それの部分を大切にするのだから、それ以外の所は、その集合がどうなっているかで、なるようにしかならないですよね。

それを観測するもの自体もそれの一部なのであると言う事なんですよ。 と思いますけどね。


私は、それはそれと、そうなるしかないと思いますし、そういう風にするか、他にもっと考えてみるかも試行錯誤して、頑張ってくださいと思います。
好きなことを好きなこととしてやるエネルギーの需要にして回る。

のをうまく社会に取り込めないかな。
あったら良いね。

1週間~1ヵ月とか。


たとえ制度とかあってもそういうのにたどり着くまでの道のりが未整備だからあんまりなんですよね。

社会的な道が未整備な場所がいくつもある辺境が意外とたくさんあるんですよね。

その道はしかし静的なものじゃなくて動的な生きてる人とかだとしたら、あったりなかったりいてしまいまうもんね。
なんか、 どうしてもだめだ細かいこととかする気が無くなって雑になってくる。

この前のきりのいいところから、なんだかやる気とかでない。

やることとかとっかかりとかにも、なんとかこれはって所だけはなんとかしてるけど、

それ以上はちょっと拒否感が出てしまっていて、どうにもこうにもって感じです。