おはようございます。

30歳過ぎると自身と年齢が近い友人はほぼ結婚しているためか、みんな余暇は家族と過ごすため友人付き合いがほぼ消滅しました。

余暇(休日や仕事終わり)以外のタイミングだとランチを職場が近い友人と一緒にすることもあったんですけども、今はコロナ禍だし外食を控えているため、貴重なこの機会も消滅しました。


そんな中、唐突に未婚の友人から「なんで結婚しようと思ったの?」と連絡がありました。
「本当はランチした時に聞きたかったけども、また感染者拡大してるんでLINEしてみた」
とわざわざ一言付け加えられてるんで、忖度して?真面目に返そう!と思いました。
考えを整理するために一旦ブログで書き起こしてから、要約したものを友人に返そうと思いますw


端的にいうと…
「自分のための幸せ追求に飽きたから」ですw

結婚する前に転職して仕事の成果も右肩上がりで収入も増えてほんのちょっと贅沢出来るようになって狭かった交友関係も少し広がって…ヒャッホーしてたんですけども、

「いや、なんかずっと遊んでてもつまんねーこれ」

となりました…

妻と出会ったのもそう感じるようになってからで、付き合いを続けるうちに「自分自身が誰かに施しを受けた時の幸福よりも、楽しさや喜びを共有したり、その姿を見てる方が楽しいな」と感じました。

簡単に言うと自分のために生きるよりも人のために生きる、大昔の言葉で言うと大義ってやつですね。
大学時代に必要単位のためだけに履修した文学史の授業の中で三島由紀夫について調べる機会があったんですけども、人は大義を持って生きた方が幸福を感じることができる という発言に共感は出来たけども実感はないなぁ…

と思ってましたが、大人になってこの言葉に実感を得ました。

子どもが生まれてからはますますこの実感を得られる機会が増えた気がします。

この自分のためじゃない動機ってのは案外仕事などでツライときに支えてになってくれたりするので、家族がいるから仕事頑張ることが出来るし、家族あっての自分なんだなと思っています。


なので友人には自分じゃない他の人の幸せを考えて頑張る方が幸福を感じることが出来たので、ずっとそばにいたい人の幸せのために結婚しました。的なことを返そうと思います。

ま、別に結婚ってのは制度でしかないし、ここまで書いた大義のためということも結婚だったり恋人じゃなくてもいいわけなんですが、僕は結婚すること(それまでの過程も含む)でそれを得られましたよっていうお話をしようと思います。


これでまとまった気がします。


今日は以上です。