最幸の眠りをお届け!
あなたの夢を叶える自然手技療法師
ひだまり院長の煇之です。
「食」
我慢などせずとも、なんでも簡単に安価で手に入りやすくなった現代、すべてに鈍くなった感覚が当たり前の中で、純粋な身体からの声を聞けるようになることは、結果として笑顔で健やかに過ごすことになるのではないだろうか。
色々と勉強してきて思う事。
私たちの身体を形作る細胞の元になっているのは、日々行っている食事。
食べるという行為をしないと生きてはいけないということ。
そして、食べるものを意識しないと健康にはなれないということ。
先人が食べたいものを食べれる豊かな社会を作ろうと頑張って来てくれたおかげで、今の私たちは飢えるという事を殆ど知らない状況は感謝しかありません。
少し手を伸ばせば、食べたいものが食べれるという現代の環境。
これはとても幸せなこと。
でもとても不幸せなこと。
現代は美味しいものを食べれれば幸せということだけではなく、如何に健康的で美味しい食事をするか。
毎日にようにこれを食べると良い、食べないほうが良いと言った情報が溢れすぎて何を食べていいのか分からない。
誰でもこれを食べれば、食べ続ければ健康でいられるものはないと思っている。
分子栄養学、食養、健康食品、サプリメント等々。
性別も年齢も環境も生まれ持った性質も違うのに。
全てのものには良い面もあれば、必ず悪い面もある。
足りなかった栄養素が補充されれば元気になる。
でも食べ続ければ悪い面が顔を出してくる。
最初は良かったのにだんだん元気がなくなる...。
「食」について勉強すれば、何を食べればいいのか分からなくなる。
こうすれば良いと簡単に言えるほど身体は単純ではない。
頭で考えるより身体に自然に任せるほうが上手くいくこともある。
「身体に任せきる」ということ。
身体のバランスが整っていている場合、今の自分に必要な食べ物(栄養素)は、食欲となって表れる。
身体が必要と感じるものは美味しいと感じる。
水を飲んでも、塩を舐めても、今の自分に必要なものなら美味しいと感じられる。
逆に、身体のバランスが崩れてくると、自分にとって一番いけないもの、不必要なのもが、なぜかどうしても食べたくなってくる。
そして体調を崩す。
「発病すると言うことは、大きくなり過ぎた体内の矛盾を吐き出す為の行為であり、精算行為である」
完璧な生活をしている人などいない。
疲労、ストレス、過ぎた行為などが重なったり、生まれ持ったものなどが関与しながら病に臥せることもままある。
それをいけないことと考えて戦って行くことも、もちろん正当なこと。
でも「病気は身体の大掃除。隠し持っていた身体のネガティブな部分を吐き出して、心底、元気になる為の行為」と少しだけ視点を変えて考える事も必要ではないか。
バランスの整った身体で必要としているものを食べるということはとても美味しいと感じることで、とても幸せなこと。
身体の矯正をするうえで、食事について聞くと、
「食欲はないんだけど栄養バランスもあるから無理して食べている」
「最近胃腸の調子が悪いんだけど三食食べるように頑張っている」
日本人には食事の前に「いただきます」という習慣がある。
料理を作ってくれた方、野菜を作ってくれた方、魚をとってくれた方などその食事に携わってくれた方々への感謝の心を表している。
そして、肉や魚はもちろん、野菜や果物などの『命』を私の『命』にさせていただきますと食材に感謝する心を表している。
美味しいと感じて食事をすることと、必要だから食べる、なんとなくたべるという行為。
無理に食べるという行為は、「命」に対する冒涜。
美味しくないなぁと思っても食べる。
これは身体に悪いと思って食べる。
身体はどんな反応をするだろうか。
「脳」は身体に悪いと思って食べれば、毒と判断しないだろうか。
食欲がないのに食べるという行為は身体をいじめる行為ではないだろうか。
食事がまずいと思うなら、食欲がわかなければ、食べないという選択肢も必要ではないだろうか。
必要以上に食べ過ぎているため体調を崩す事も多い。
状況にもよるが、1~2日くらいは食べなくても特に問題はない。
何となく食べるという行為ではなく、美味しいと思って食べる食事が楽しめる身体になれるのではないか。
食事が美味しいと感じる、身体が欲する要求ということも、お水の甘さなど、すべてが体感として理解できるようになるだろう。