嘘でしょう?と言われたけれど、嘘ではありません。そんなものがあるわけないでしょう?と疑われても、実際にあるのだから信じてもらうしかありません。かにみそが好きだという人に、私がプレゼントしたのはかにみそプリン。

「かにみそは大好きだけど、プリンって…」そう言って、口にするのをためらっているので、大丈夫だよと背中を押してあげました。それでもまだ、何が大丈夫なんだと不安そうな顔をしています。

大丈夫だよ。だって、それはただのかにみそプリンじゃない。奇跡のかにみそプリンなんだもの。ただのかにみそプリンなら思った通りの味かもしれないけれど、奇跡というからには奇跡的な何かが起こるはずだよ。

そう言っても、あまり信用してくれません。

「大丈夫だって。私も食べたんだから」そう言ったところで、初めて顔を上げてこちらを見てくれました。「本当…?」と聞く相手の目には、今まで無かった希望の光が見えました。もちろん、本当です。

奇跡というのを疑うわけじゃないですが、なにせかにみそが入ったプリンです。それがおいしい保証はどこにもありません。いくら私でも、味の検討が全くつかないものを、大切な友人に贈ったりしないですよ。ただ、味の感じ方には個人差があることを、よく承知しておいてもらわないと困りますが。

少なくとも、私の舌がかにみそをキャッチすることはありませんでした。かにみそ独特の生臭さやしょっぱさをイメージしていたら、それとはかけ離れた濃厚でおいしいプリンでした。その濃さには他のプリンとの違いがありましたが、それを言葉で表現するのは困難を極めます。

確かに、かにみそはキャッチしませんでした。少なくとも私の舌は。一切かにみそらしさがないとは、言っていません。かにみそを感じたのは、食べ終わってから。

もっといえばかにみそを感じたのはプリン自体にではなく、空になった容器に。プリンを食べ終えた器になんとなく鼻を近づけてみると…!かにみそだ!!

味ではほとんど感じなかったものが、鼻ではダイレクトに感じるものだから恐れ入りましたm(_ _)m

もしかしたら、味でもしっかりかにみそを感じる人もいるかもしれません。プリンとかにみそとの出会いが奇跡的なものかどうかの判断は、味わう人によって違うでしょう。少なくとも私にとっては、奇跡でした。

世の中にはびっくりさせられる物が沢山ありますね。脱毛の恥ずかしかったエピソードというサイトでは、男性・女性それぞれから聞いた、びっくりするような恥ずかしかったエピソードが掲載されています。
このところ、小さな地震がすごく続いています。
つい先日、大震災からやっと2年が経ったというのに、また同じ時期にいろんなところで揺れるなんてどういうことなのでしょうか・・・。
ここ数日、一日に何度も揺れます。
気付かない程度の揺れなのですが、こう頻繁になるとやはり気にせずにはいられません。
他のところは大丈夫なのか、と心配になります。

テレビに映る被災地の情報は少なくなりました。
支援が届いている、復興が進んでいる、と遠くに住んでいる私たちは受け取っているのですが、現状はどうなのでしょうか。
まだまだ支援が必要なところや、手つかずの所なんかもあるんじゃないか、と。
テレビで映すのも大事だけど、それにお金を使うより別の使い方もあるんじゃないか、とかいろいろ考えることが多いです。
そんな中また起こり始める地震。
次はどこなんだ、そんな気持ちさえわいてきてしまいますね。

被災地の方が頑張っているのに、どうしてがれきの受け入れやらなんやら拒んじゃうんでしょうね。
心配な気持ちは本当によくわかる、でも、助け合っていかなきゃ、と思うのはきれいごとなのでしょうか。
地震で揺れながらふと思うのです。