今日はびじゅチューンのスタンプがラインから送られてきた。

そこから井上さんのこれもいいよって教えてもらった。

 

分かち合えなかったからこそ手にいれたものがあるというタイトル通りの内容である。

詳しくは動画を見てほしい。

 

私は小学生の時に、何言っているか分からないと言われてからは私一人の国を築こうとしてきた。何かあったとしても他人と自分は国が違うのだから異文化交流で分かち合えないことがあると思いながら生きてきた。むしろ私の言葉わかるひとは通訳者に…と通訳者を探して捕まえて生活しているぐらいだった。

 

私はこの頃あたりから、常識、普通という言葉が嫌いだった。

中学でふつうの生活という台本と出会ってからは人によって普通という枠組みは違うと知ってからなおさら嫌いになった。

 

しかし、就職してからは暗黙のルールや、部署のルール、組織のルールとルールだらけであるが、記載があるものはまだいいが、普通わかるでしょということも多い。

その人の生活背景を考えてその人の普通探しが始まるのだ。

自分の普通の中では正解できないから他人の中を探るしかない。

そうやってちょっとずつ色んな人を見てきてやっと分かった気になってきた。

 

そんな時にこの動画に出会った。

 

分かっていた気になっていただけだったなという部分と分からないことはあるものだということが再確認できた。

 

また、この動画をみて表現として自分の気持ちを出していく人に表現ではない方法を求めていた自分がいたことがあったなと過去を振り返っていた。

色々な表し方でコミュニケーションをとる大切さを学んだ気がする。

 

また、違うことで違った視点が見れるということは、違った視点でフォローしあえるということだ。

人を1人みるのでも複数の視点があると抜けがなくなりやすい。違うみんなの目でみていくことでフォローできることもあるだろう。

 

違う視点はどういう視点なのか見ていくのが楽しみだ‼