へ チャンネル(平和のへ)48
キリストも、山上の垂訓という説法の始めに、「私は 律法に反対するために来たのではない。完成するために来たのだ」と語っています。キリストは 規律や法律を作ったわけではなかったわけですが、「立法では このように言われている」として昔のバビロニアの法律(バビロニア法典)まで持ち出して「しかし、私は言う」と反論を その上で 語っているわけです。(バビロン法典では 誰かが殴る犯罪でケガさせたなら同じ程度で殴る刑罰を という意味で「目には目を」という表現そしています)法律も必要だけれども、 それ以上に 心の世界が大事だよと語ったのがキリストです。自然な愛情の世界、アダムとイブの心の世界に戻る必要性を誰よりも訴えたのがキリストです。ですが、 もし、キリストが, 長生き出来ていたら、おそらく法律の世界にももっと言及していたと思います。まずキリストは道徳(自立した大人の心の中での規律)を説き、その奥に 愛の自然な姿の必要を説きます。なのですが、それは弟子たちが記録した世界しか後に残されていなかったため、すべて、ほんの断片的な言葉しか 私たちに残されていません。キリストは、復活についても 生前(私は、キリスト自身が、死後復活して墓から出て来た話は信じていません。後のキリスト教会が布教のために作り上げたお話だと思っています)もっと、多くのことを弟子たちに語っていたと思います。そしてそれは、後のキリスト教会では、同時に終末論としても 描かれる世界となってしまいました。最後の審判のお話です。最後の最後に 人類は 善人は永遠の天国に 悪人は永遠の地獄にというあの残酷の極の世界です。キリストは 現実の生活の奥の心をそのまま語っていた人です。なので この最後の審判は キリスト教では、文字通り歴史の果ての姿として 信じられてしまうこととなったのです。もちろん 一般庶民の中には 「神父様らは、そんなこと言うけど神がそんな、さじをなげだすようなことは、なさらない」とあくまで、神の愛を信じてる人は たくさんいたと思います。おっと、 ここはイスラム教についてのお話でしたよね💦。そうなのです、このイスラム教の、コーランでも 同じ終末論が顔を出します。最後には神は 同じような結末を生むのです。ただし、 その部分を なんとコーランでは ユーモラスに描いているのです。私は ここが重要であり こここそがマホメッドの コーランに込めた 柔和の世界、バランスの世界なのだと思うのです。手短に言えば、 ムスリム(イスラム教徒)も、 復活は信じています。キリストという預言者が復活したことさへ信じているかもしれません。(この科学の時空にです)しかし、 庶民は、多くに人が 神は 最後の最後には、 人類の全体が善で満ちるまで待って、 すべての人を復活させるというふうに思っていると思います。コーランでは 神の権威の世界も語られていますが、「にもかかわらず許す」という形で神の愛が 繰り返し語られています(この点についての詳しいことは いつかお話したいのですが、ここでは省きます)。その暗唱の文化がコーランの世界です。ムスリムの人たちの心には 自然な人間愛の心が醸成されているのです。キリストの語る、野のユリの例えの話も 自然に養われている感じです。アダムとイブの心に近い心の世界が マホメッドの作り出す物語の暗唱の生み出したバランスの奥に、 自然と養われているという事なのです。おそらく自分では気が付いていない心の領域かもしれませんが、その無意識領域で、 ムスリムの心は 豊かで愛情深いのです。喜捨(ほどこし)の法律があったりするわけですが、 法律で定められてるからというのではなくて、 こうしてムスリムは 自然な心の奥からの喜捨の世界を生み出しているのです。(このことで お話したくなることはたくさんありますが、ここではここまでそします)そして、イスラム法学者の方々も、この心の面にも、もっとこの地点で自信を持ってほしいのです。そしてそして、マホメッドが言われる「私が、最後の預言者」という イスラム教の教義の原典のお話を、一度乗り越えてほしいのです。神が 人類に何らかの預言与える、何か言葉を授けるなとどいうことはありえないのです。神が 人類の歴史と関わるという事はありえないのです。====昼か 夕方につづく====((ここからは、、さらに急ぎます。 一神教が本来一つであることを理解していただくという目標にむかって、最後のひと踏ん張りの地点だからです))イスラム教では キリストもモーセも アブラハムも そしてアダムも預言者です。そして 最後の預言者が マホメッドご自身だというのがその中軸にある宗教なのです。なのですけど、その預言者ということ自体に、マホメッドご自身は それを方便(物語)として理解していたことを ほのめかしている言行録があります。第二代正統カリフによって伝えられた有名なマホメッド言行録なのだすが、ここも一部抜粋します。マホメッドと そのカリフが 一緒に座っている時 白い服の黒髭の男性がやって来て マホメッドに問いかける場面の 最後の部分のが抜粋です。。『『 つづいて男性は、「終末について教えてください」と問いかけました。彼(マホメッド)は「問われたものが問うものより知っている事ではありません」と答えました。男性は 「では、その兆候について教えてください」と問いました。彼(マホメッド)は「やがて、子供が親の主人のようにふるまい、裸のみすぼらしい羊飼いたちが高い建物を競って建てるのを見るでしょう」と答えました。その男性が立ち去っても私は(カリフのこと)じっと動かずにいました。彼(マホメッド)は私に「ウルマよ。問いかけたものが誰か、わかりますか」と尋ねました。私が「アッラーとアッラーの使徒(マホメッドの事)こそがご存じです」と答えると彼(マホメッド)は「あれこそ ジブリール(大天使ガブリエルの事)、あなたたちの宗教についてあなたたちに教えるためにいらしたのです」 』』ここを 皆さん、考えてほしいのですが、『ジブリール』というのは、 あの聖母マリアに「受胎告知」告げた天使であり女性です(^_-)-☆。 (「大天使ガブリエルの告知」のお話です)そしてマホメッドにコーランを語ったのも この女性の天使ガブリエルであるわけです。なぜ、それが、黒髭の男性として ここに登場するのでしょう?=====夕方に続く===やはり、 ここは急ぎます。 みなさんは、 もう マホメッドの言われる預言者というのがマホメッドが 当時の人たちにわかりやすいように方便として語ったものだということが、 簡単に解るようになっていると思います。もちろん、 長い長い間 預言者マホメッドを信じて来た人たちはすぐには、これを読んでもピンとこないだろうと思います。なので、 明日、もう少し 過去の古代ユダヤの世界にもう一度立ち返ってそのへんを、よりはっきりさせるつもりでした。マホメッドが、使徒、つまりカナンの地を中心に世界を平和にする使命を持った人物であったことは そこからも理解できると思いますが、あくまで、ご自分を最後の預言者とされたこと自体、解りやすい物語のための方便だったという事です。マホメッドは、やがて科学時代が来れば 誰もがそれを理解すると思っていたと思います。長くなりましたが 今日は、ここまでは、書かせていただきました。明日からは さらなる急展開で今のイランと、そしてハマスの世界へと お話を飛ばさせていただきます。あくまで、みなさんの教養が目的でこれを書いてるわけでは無いからです。イランの宗教の もともとの世界は ペルシアのゾロアスター教なのですが、そのへんのところからの お話となります。学問では、ゾロアスター教こそ ユダや教より古い最初の一神教だとされていますがほんとに、そうなのでしょうか?では、 明日からの急展開も是非是非 お楽しみに(^_-)-☆。よろしくお願いいたします。