おじさんの腹立ち日記 <その163>   令和元年 7月28日(日)
 
これはもうボイコットでしょ
 
こんなシーンがテレビで、それも午後、夜、翌朝、どのチャンネルに回しても同じニュースとして流されたのを観て、それは驚いたことだった。
719日、韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じた判決を巡り、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の設置に韓国側が応じなかったことについて駐日大使を外務省に呼び河野外相が抗議した。駐日大使の発言を通訳が話し出したのを、「ちょっと待ってください」とさえぎり、「韓国側の提案は全く受け入れられるものではないことは以前にお伝えしている。それを知らないフリをして改めて提案するのは極めて無礼だ」と毅然とした態度で応対したシーンのことだ。
河野外相のこの時の正確な発言は次の通りだ。
「ちょっと待ってください。韓国側の提案はまったく受け入れられるものではない、国際法違反の状況を是正するものではないということは、以前に韓国側にお伝えしております。それを知らないふりをして改めて提案するのは極めて無礼でございます。この旧朝鮮半島出身労働者の問題を他の問題と関連しているかのように位置付けるのはやめていただきたい。それは韓国の世論におかしな影響を与えることになります」。
いまだかって、メディアが集まったなかで音声が入った映像として報道されることを承知したうえで、これほど明瞭に毅然として韓国の官僚、政治家に対して「極めて無礼」と言った政治家はいなかった。
テレビに流されたこのシーンに快哉を胸にした人が多くいたのではないだろうか。
おじさんとしては、やっと言ってくれたか、と非常に満足した気分になった。
 
足を踏まれ続けても抗議するどころか、痛いとか止めてくれとか、そういうことも言わずただじっと踏まれ続けられているのを我慢してきた。ある者は日本の植民地支配の贖罪のつもりで、ある者はまったく朝鮮人って扱いにくい人種だという差別感で、朝鮮人の横暴に対して日本人は忍の一字でやり過ごしてきた。だから、朝鮮人にしてみたら、ここまでは許される、ここまでは許容の範囲内、と少しずつエスカレートしていくのは当たり前のことだった。韓国の朝鮮人の反日感情を醸成したのは実は日本と日本人だったのではないか、韓国を対等な相手国と見てこなかったことにそもそもの原因があるのではないか、と思ってしまう。
“最終的かつ完全に“とか“不可逆的に“という言葉で飾られた「政府間の合意」が、政権が変わったとたんなかったことにされる、反故にされるということを目の当たりにしてきた。「日韓関係は難しい」のではなく、難しくしているだけなのだ。「合意」に達したものは「文書」にして残す、「文書」に残すためにはしっかりと意見を戦わせ、別な解釈が生じる余地のないほど精緻な「合意文書」を作成する、実に簡単な作業の積み重ねなのだ。両国政府は「合意」したものについて誠実に履行する、これを責任といい、国であろうと、会社であろうと、町役場であろうと、「合意文書」にある約束を遵守するのは当たり前の姿勢だ。
もしそれが破られたら、誠実に履行されていないと異議を申し立て、それでも是正されなければ何らかのリスクがあることもごく当たり前のことだ。相手のご機嫌をとるかのように甘やかすのではなく、自分たちがいわれのない引け目を持つことなく、交渉とは対等な立場で行われるべきものなのだ。
今回の河野外相の「無礼」発言が、過剰な思い入れなどを排除した「単なる隣国同士」という新たな日韓関係が始まるきっかけになればと思っている。
 
案の定、ソウル市内では反日デモが起こり日本製品の不買運動もエスカレートしている。ソウルの日本大使館の前ではユニクロなどの日本のメーカーの名前を張った段ボール箱を踏みつけ、多分スーパードライだろう、缶のブルトップを開けて中身を道路に振りまいているシーンをニュース映像で見た。もちろん、国旗日の丸はガソリンをかけて燃やされ、墨で黒々と×印された安倍首相の顔写真も一緒に燃やされていた。
今まで文政権と対立してきた野党は、「反日」という掛け声一つですっかり文政権支持に変わってしまった。釜山市長は友好都市関係の見直しを言い出した。「反日」を叫ぶとなりふりかまわず一致団結できる韓国の朝鮮人の精神性には、もう失笑しかない。
本当は大好きなユニクロを踏みつけ、本当は大好きなやスーパードライを道路に撒くようなそんなポーズを決めて見せる必要などない。韓国の朝鮮人の怒りを全世界に向かって表明する手段があるではないか。
おじさんは“その手”のあることを教えてやりたい。
 
◇ こうなったらもうボイコットしかないでしょ
もうここまで来たら次は「東京オリンピックのボイコット」しかないでしょ、と韓国の朝鮮人に教えてやりたい。
誰か「ボイコットだ」と言い出さないか、ソウル市庁舎の前に座り込んで「東京オリンピックボイコット」と拳を突き上げ、「ボイコットだ、ボイコットだ」とやりださないかと心待ちにしている。
ほんの一人握りの人間の「反日感情」の表出が「国家政策」にまでなってしまう、ずっとそういうシーンばかり見てきた。嘘のような話だが、誰かが言い出せば、誰かが拳を突き上げれば「東京オリンピック、ボイコット」は勝手に走り出してしまうだろう。どこまでも対立する気なら、本当に戦う気があるのなら、覚悟を持って向かって来い。もうこの間までの「宥和」など期待するなよ。今度ばかりは「徹底的」だぞ、とそう言ってやりたい。
 
誰か、「ボイコットだ」と言い出さないか、おじさんはそれを心待ちにしている。案外、韓国政府筋ではその声があがるのを恐れているのではないだろうか。どんなにそれが理不尽な言いがかりとわかっていても、こと「反日」に関わる「世論」に表立って反対することは不可能事、何しろ「親日」と見られただけでもその人と家族は韓国にいられなくなる。「反日」は誰の制止も制約も受けない「超越的にスーパー」なの
だ。
誰も言い出さないようだったら、オジサンがソウルに飛んで「反日オブジェ」の前にうずくまって“東京オリンピックなんか、ボイコットだ”と呟いてみようか。あっという間に火が回って、翌日には「世論」になってしまう。「世論」になってしまえば、誰にもそれを消すことができない。
おい、誰か“ボイコットだ”、“ボイコットだ”、言ってみろよ。
おじさんは挑発してるんだぜ。