おじさんの腹立ち日記 <その157>   令和元年 6月16日(日)
 
頼むから一人で静かに
                                       
◇ 悲しい事件
川崎市の登戸でまた無差別殺傷事件があった。通学バスに乗り込もうとしていた児童の列に二本の柳刃包丁で襲い掛かり、女子児童と見送りに来ていた父親を刺殺、18人に重軽傷を負わせ、その直後に自ら頸部を刺して自殺した、という何とも言葉の出ない悲惨な出来事だった。 犯人は引きこもり状態にあった51歳の男性で、自室には外の世界と連絡が取れるパソコンやスマートホンといったものがなく、同居する親族
も一月から顔も見ていないということを知らされると暗然となってくる。
犯行に至った動機は明らかにされることはないだろうが、一人では死にたくないので誰かを巻き添えにしたということなら何とも迷惑このうえないことである。それ以上に無抵抗な幼い子どもを巻き添えに選んだということに表しようのない怒りを感じてしまう。自殺なんかするなといっても“死にたい”と思っている人間を止める手立てはそう多くあるものではない。死にたいなら敢えてそれを止めることはしないが、一人静かに、そっと、誰にも迷惑をかけずに死んで、と思わないわけにはいかなかった。
ネットでこの事件の関連記事を見ていたら、事件が起きた日の午後のフジテレビの情報番組でキャスターと出演していたコメンテイターの発言に対する賛否で盛り上がっていた。「社会に不満を持つ犯人像であれば、すべてを敵に回して死んでいくわけですよね。だったら、自分一人で自分の命を絶てばすむことじゃないですか」という女性キャスターの発言。それを受けて男性コメンテイターの「言ってはいけないことかもしれないけど、死にたいなら一人で死ねよ、と言ってやりたくなりますよね」という発言。また、TBSの番組で落語家の「一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよ、そういう人は。何で子どものところに飛び込んだんだ」という発言が紹介され、それに対して様々な反応が寄せらせていた。全体的にこれらの発言に同意するような意見が多かったような印象だった。
 
一人で死んでくれ、という率直な気持ちは巻き添えに遭って幼い娘を突然失うことになった両親や祖父母たち、負傷した子どもたちの両親や祖父母たち、その子どもたちを知る大勢の人に普通に湧き上がってくる率直な感情だと思うし、私もまったく同じような感想を持っている。
そんなところに、61日の「朝日新聞」は「「一人で死んでくれ」発言に波紋」というヘッドライン、見出しに「相次いだ番組コメントに異論」と、前にあげたフジテレビとTBSの発言の「異論」を記事にした。貧困者らを支援するNPO代表の「次の凶行を生まないためにも、一人で死ぬべきという非難は控えてほしい、事件が起こる背景には容疑者が育った環境や社会状況もあり、「死ね」というだけでは事件を防げない」
という発言。他に犯罪被害者支援NPO代表、精神科医の意見、大学の教授の「自殺を奨励しているかのように受け取られる内容であり、適切ではない」という意見まであった。三人の記者の署名入りの記事だが三人意見も朝日新聞社としての見解もどこにもなかった。「異論を言う人」の「意見」を寄せ集めただけ、まるでコピペそのもののような記事だった。わざわざ記者名まで入れる必要がどこにあったのだと、むしろそのことに腹が立った。
 
◇ 頼むから人に迷惑をかけないで
サラリーマン時代、通勤途中の電車が駅に停まったまま動かなくなり、「前の駅で人身事故が発生したため」という車内アナウンスがあつたきりで、一時間以上満員電車の中で立ったまま待たされたことがあった。後で飛び込み自殺ということが分かったが迷惑なことだった。死にたければ勝手に死ね、おれを巻き込むな、と隣に立っていたおじさんが呟いていたが私もまつたく同じ気持ちだった。何も朝の通勤通学のラッシュ時を選んで電車に飛び込まなくても、他に死に場所はいくらでもあったろうに、と思ったものだ。私は自殺願望の巻き添えに遭った被害者などにはなりたくないし、私の家族がその被害者になってもらいたくないし、また知人や友人やその家族にもそのような目に遭ってもらいたくない。
死にたいという奴を止めようとは思わない。だから、邪魔はしないからそっと静かに、誰の迷惑にもならず、そっと死んでくれ、と思う。
 
登戸無差別殺傷事件の真相がまだ何も解明されない62日に、元農水省の次官まで勤めた男性が息子を刺殺したという事件が起きた。父親によって刺殺された息子は44歳、引きこもりの状態で家庭内暴力もあつたようだ。家が小学校の校庭と接していて、子供の声がうるさいという口論から引き起こされたもののようだ。もし包丁でも持って学校を襲ったとしたら、幼い子供たちの命を奪った男の父親としてマスコミに
報道される、そんなことになる前に自分が加害者になることを覚悟したうえでの犯行だったのかもしれない。次官のあとチェコ大使まで勤めた栄誉と引き換えに自ら犯罪者になる道を選んだ。
静かに一人で死んでくれ、と願った夜もあったことだろうと思うとただ切なくなってくる。
 
◇ 引きこもり百万人以上
先月末に内閣府は、自宅に半年以上閉じこもっているいわゆる「ひきこもり」の4064歳が、全国で推613千人いるという調査結果を発表した。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は7年以上が半数を占めた。中高年層を対象にしたひきこもりの調査は初めてのことで、引きこもりの高齢化、長期化が明らかにされた。
前の調査で明らかになったひきこもりの1539歳の推計541千人をプラスすると総数で1104千人もの数になる。不登校からひきこもりになったという流れで、「ひきこもり」といえば十代から二十代のものと思っていたが、大人になって社会人を経験してからその後何年も何十年も外部との接触を絶ち、親の年金で暮らしている「ひきこもり」がこれほど多いとは想像を絶していた。
親が八十代、ひきこもりの子どもが五十代という「8050問題」はこれからさらに現実的な社会問題化していくのだろうと思うと暗然とさせられる。
何も生産しない、積極的な消費もしない、将来の社会保障の対象になる人間が百万人もいるという現実。誰が彼らの生活を支えるのかという社会保障の問題が一方にあり、万が一彼らが暴発して、彼らを支えるべく社会的経済的生活を営んできた一般の生活者の生活が脅かされる事態、という危惧が片方にある。
社会構造そのものが破壊されることだけは避けなくてはならない。社会不安となる要素をできるだけ取り除く何らかの方策は絶対に必要である。
それでも私は思う。死にたいと思う人を止めようとはしないから、頼むから一人で静かに、と。