おじさんの腹立ち日記 <その8>   平成28年7月24日(日)
 
有権者を忘れるな、と言うけれど  
 

 それでも「まだ何も問われていない」、と言い張るのか

参院選の選挙結果の掲載された朝日新聞の一面に、「憲法論議 有権者を忘れるな」というゼネラルエディターという肩書の人物がこんなことを書いていた。
「首相が本気で改憲を目指すのであれば、自ら国民に問いかけるべきではないか。私たちはそう指摘してきた。しかし首相はかたくなに憲法を語ることを避けた。それは有権者に対してフェアな姿勢ではない。逆に言えば、有権者はまだ何も問われていないのだ。そのことをまず、しっかり覚えておきたい」。
 
有権者をこれほど馬鹿にしたお説はない。
「無知なお前たちは、何も分かっていないで、自民党に投票したのだ」と、上から目線で言い放っているが、ちゃんと分かっていて、何もかも分かっていて、それでも自民党に投票した、ということがなぜ分からないのか。それとも、「分かって、それでも自民党に投票した奴はみんな馬鹿だ」と言いたいのか。
まるで、我われ庶民を無知蒙昧な馬鹿な奴、と決めつけるような口ぶりだ。
その次の頁に掲載された「本社出口調査」を見てみろ。
憲法を「変える必要がある」49%、「変える必要はない」44%で「憲法を変える必要がある」が五ポイント上回っている。さらに、「改憲4党に投票した人の憲法改正への意識は」という調査では、「憲法を変える必要がある」自民62%、公明58%、大阪維新の会61%、こころ64%、となっている。
「問いかけ」に、ちゃんと答えていることがこの数字から見てとれる。
みんな考え考え投票したと言うのに、「有権者が投票先を決める際に憲法改正を重視していなかったからだと言える」と簡単にまとめている。明確に答えているのに、その数字には目もくれようとしない。
自分が想定している以外の「答」は、“それは違うでしょ”という中学校の国語の女先生の口調だ。そして自分が気に入る答えが出るまで、答えさせるのだ。それはセンセイ、我儘というものだぜ。
 
もう一度言う。54%を越した投票率の国政選挙で示された民意を、それは民意ではない、なぜなら「有権者はまだ何も問われていないから」と言い切ってしまう、こんなに有権者をバカにした話はない。
お前は「問われていない」と思っているかもしれないが、私は「問われ」たことに、きちんと「答え」たのだ。
なぜ、「これもひとつの「民意」である」、と理解しようとしないのか。
 
民進党も共産党も、まるで他に争点が無いかのように「改憲に必要な2/3の絶対阻止」と叫んでいたし、そもそも朝日新聞も「改憲を目指す与党の2/3阻止」と書き続けてきた。それなのに、「改憲は争点になっていない」などと言えるはずもないではないか。
明らかに「憲法改正」は今回の参議院選挙の「争点」になっていたし、「民意」は示されたのだ。
 

 国民投票をやるべきだ

私は国民投票という手法には反対する者だ。国内を二分すべきではない、と考えるからだ。
日本人は二つのなかから一つを選択することに、非常に憶病になる国民性を持っていると思っている。
特に多数決などで物事を決めた場合、否決された方に「怨念」が残る、と思っているしそう信じている。
だから、どんなことでも「話し合い」で決着、なのだ。とにかく、何が何でもまず「話し合い」なのだ。
徹底的に話し合い、反対者を一人ひとり説得しそして全員の合意で物事を決めるべきだ、と信念のように思っている。「みんなで話し合って、みんなが合意した」ことが、何よりも大事なことと固く信じている。「結論」ではないのだ、結論に至る「プロセス」が、「結論」より重視されるのだ。
「話し合ってもラチがあかない、多数決で決めよう」などと言ったら、すぐに「強権的だ」という声があがる。決めるべき事柄ではなく、「多数決で決める」というその姿勢が悪い、あるいは、そういうことを言い出す態度が悪い、と責められる。日本国内どこにでもある、よく聞く話だ。
 
明白に示された「民意」なのに、「有権者はまだ何も問われていない」などという、有権者をバカにした話を聞くと、「じゃ、きちんとシロクロをつけようではないか」と言いたくなってくる。
時間をかけていくら話し合っても「憲法改正」について合意に達することは不可能事だ、反対する側は何が何でも反対で、「反対」することにだけに意義を見出そうとしている。憲法改正絶対反対を呼号している連中のあり方は、これはもう宗教的信念としか言いようがない。これを「宗教闘争」とみれば、そこに、「説得」も「妥協」もないことは明らかだ。「条件闘争」など一ミリもない、「諾」か「否」のどちらかしかない。
ならば民主主義の原理原則である多数決によって決着しようではないか。
1ポイントでも多い方が勝ち、その主張の通りになる、これほど分かりやすい話はない。
「憲法改正の是非を問う国民投票」を実施しようではないか。それこそが民主主義だ。