「山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー」 角川文庫 2008年12月   820円  

 

 角川文庫版のアンソロジーは、[277]「北村薫のミステリ・ライブラリー」でロバート・アーサーの「ガラスの橋」とクリスチアナ・ブランドの「ジェミニ―・クリケット事件」を、[278]「有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー」でロバート・アーサーの「五十一番目の密室」を紹介した。

 この山口雅也編のアンソロジーには、<最後の密室>と題した章に「最後で最高の密室 (スティーヴン・バー)」「密室学入門 最後の密室 (土屋隆夫)」、<密室の未来>と題した章に「真鍮色の密室 (アイザック・アシモフ)」「マイナス 1 (J・G・バラード)」の4編が収められている。<最後の密室>と<密室の未来>、これまで「密室」を特集してきたが、その最後を飾るにこれほどふさわしいものはないだろうと思いこの4編だけを取り上げた。まさに最後で最高の「密室」なのだ。

 

 「最後で最高の密室」。作者についてはほとんど情報が無いと「解説」にあった。最後で最高の「密室」の物語だ。

 私が論理学者と小説家を相手に話をしていたところにクラブの最古参のムーア博士が加わってきて、軍人であり探検家でもあったべトラス・デンダ―の驚愕の事件について話してくれた。テンダーの死の状況はグロテスクなものだったので今まで公にはされなかったし、息子の失踪もうやむやのうちにもみ消された事件で、その真相を知っているのはごく限られた人たちだった。テンダーは厳しい夫であり厳しい父親だった。ムーア博士は母親が亡くなった後息子を引き取っていたが、テンダーが現れ強引に連れ去り寮に入れ、それからしばらくして古い屋敷の中でテンダーは殺された。当時、屋敷には彼一人しかいなかった。テンダーは二階の寝室で首を切られ、頭部は枕の上に、体はベッドから離れた床の上にあった。部屋には彼が常用していた睡眠薬のカラ瓶が床に転がっていただけで、首を切るために使われた斧は地下室にあった。息子が父親を殺し家を出たのかもしれないが、すべての窓と扉は内側から鍵がかかり、扉には閂が落ちていた。外に出た痕跡はどこにもなかった。

 犯人はこの家から出て行ったはずがない、それが盲点なのだ。犯人はこの家から出ていくのは不可能だった。一人の人間がその場所にいないからといって、彼がそこから出て行ったに違いないとそう決め込んでしまつたことが間違っていたのですと言ってムーア博士がこの密室殺人の謎解きをする。

 

 「密室学入門 最後の密室」。これは[237]「密室の奇術師 」で前に読んだものだ。この一編も「最後」の密室だ。

 封印された密室。この不可能犯罪の謎をどう論理的に解明するか、多くの推理作家がこれに挑戦してきた。ポーの「モルグ街の殺人」から始まる密室犯罪は、ルルーの「黄色い部屋」に受けつがれ、ディクソン・カーの一連の密室ものに発展した。しかし、「密室」は今やその光芒の歴史を閉じて、すでに黄昏の時期を迎えつつある。密室は過去のものだ。密室学は推理小説における考古学としてわずかに、あなたの古典的教養を満足させるだけのものになってしまった。しかし、推理小説のファンであるあなたに、わたしはここに、最後の密室をお目に掛けたい。推理小説における最後の記録となるべきこの一章をご覧ください。あなたの密室的教養に、ぜひ、この一項を付け加えて下さいませんか。という前段があった。密室殺人を企てた犯人が密室に取り込まれてしまった物語だ。

 

 「密室の未来」は二編のSFだ。「真鍮色の密室」は[293]「密室大集合 (その2)」で読んだものだ。

 床も天井も四囲の壁も二フィートの厚さの銅の板で継ぎ目なく造られた真鍮色の部屋で悪魔と対峙している。この部屋はどこにも抜け道はない。お前はこの壁をすり抜けることは不可能だが、意思の力でどんな方向にも動くことができると悪魔が言う。主人公は密室に閉じ込められ悪魔から同意を迫られている。悪魔から逃れるためにどうやってこの密室から抜け出したのか、いかにもSF的な解決手法だった。

 

 「マイナス 1」。作者はニューウェーヴSFの旗手と言われた人だ。「こんなの本格ミステリーじゃないという声が聞こえてきそうだが、しかし密室状況での人間消失を扱っている」と解説にあった。SF作家の描く「密室」だ。

 グリーン・ヒル精神病院でジェームス・ヒントンという入院患者が姿を消してしまった。ドクターたちが院内を探し回るがどこにもいない。改めて確認すると誰もヒントンのことを知らないし、顔も知らない。だから、たとえ本人が発見されたとしても、誰一人彼であることを認めることができない、という大きな矛盾のなかで物語が始まる。病院は私的な牢獄としての役割を果たしていた。いてくれては負担になる者、迷惑者きわまりない異端児や困り者、できそこないの息子、やっかいな未亡人、もうろくした老婆などが収容されている。世間から隔絶され誰の目にも触れない病院という牢獄にとどまっている限り、金を払ってくれる人々は満足している。だからヒントンの逃亡は危険な色合いを帯びていた。院長はヒントンのファイルを暖炉のなかに投げ込む。

 果たして我々が探しているのはヒントンなのだろうか。まつたく存在していない人間に架空の人格をあたえているのではないか。彼は本当に存在した患者なのか、彼のファイルがないということは、存在していないということではないのかと院長は言う。さらに、誤った仮定が仮定を呼び、幻想が幻想を生んで非現実的な空想の姿が構成されてしまったのではないか。そして、唯一可能な説明はヒントンは実在の人物ではなかったということだ、と院長集まった全員に理解を求める。そこに「ヒントン夫人が面会を求めております」と言って看護婦が入って来た。「面会だと。その女性はひどい妄想に苦しんでいるに違いない。彼女はただちに治療を行う必要がある。諸君、われわれは彼女の治療に当たってはできるかぎりの手立てを尽くさなければならない」と院長は宣言する。

 マイナス2。この1行でこの物語が終わる。