「密室大全」 朝日文庫 講談社  1100円 23年7月初版 

 

 朝日文庫の密室アンソロジー、しかも「大全」と銘打ったこの一冊には「密室竜宮城 (青柳碧人)」「佳也子の屋根に雪ふりつむ (大山誠一郎)」「ある映画の記憶 (恩田陸)」「歪んだ箱 (貴志祐介)」「要介護探偵の冒険 (中山七里)」「霧ヶ峰涼の屋上密室 (東川篤哉)」「密室荘 (麻耶雄嵩)」「招き猫対密室 (若竹七海)」の8編が収められ、解説は千街晶之が書いている。

 「大全」と銘打ちながら8編のうち3編が再録だった。その3編も一人でも多くの人に読んでもらいたいという名品佳作とは言い難く、その選択が何とも残念に思えた。

 

 「密室竜宮城」は[252]「新鮮THEどんでん返し(17.2)」で、「佳也子の屋根に雪ふりつむ」は[242]「凍れる女神の秘密(14.1)」で、「ある映画の記憶」は[291]「大密室 (02.2)」で読んだものだ。 

 

 「歪んだ箱」。犯罪コンサルタントを装いながら実は泥棒である榎本径と、若くて美人な弁護士青砥純子のコンビが活躍するシリーズの一編で、前に[244]「探偵の殺される夜(16.1)」で「密室劇場」を読んでいる。この一編は杉崎という教師が語り手の倒叙ミステリーだ。杉崎は野球部の顧問で、グラウンドで練習が開始される場面から始まる。密室に仕上げるために使用されて野球用具もこの場面に出ていた。選手をランニングに送り出し、「二時間もあれば、すべて片付くはずだ」と、新婚生活を送るため新築していた家に向かう。工務店の社長の竹本が家の中で待っていた。震度4の地震で不等沈下を起こし家が傾き、床が傾斜し玄関ドアも室内のドアも開かなくなり、おまけに雨漏りもしている、その補修工事で工務店の社長とでもめていた。社長にはまったく誠意が見られなかった。「世の中の歪みを矯正するための正義の鉄槌なのだ」と思う。竹本の足を掬って床に倒し、顔面を押さえて床板を剥いでむき出しになったコンクリートの床に後頭部を叩きつけた。これは密室で起きた出来事だ、この忌まわしい欠陥住宅、歪んだ箱こそがこの男に最もふさわしい棺だと思う。

 事故から一週間、青砥純子弁護士と住宅に向かう。そこに防犯コンサルタントを名乗る榎本が待っていた。この玄関ドアはドア枠が歪んでいて内側からでしか閉じることができない、死体のあった部屋の唯一のドアも内側から叩いて閉めるしか閉じられない。「竹本社長が亡くなったとき、この部屋はいわゆる密室状態だったんですよ」と榎本が言う。内側からなら閉じられるが外側からは閉じられないドア、犯人はどうやって外に出たのか。榎本の推理に引き込まれてしまった。倒叙スタイルが決まっていた。

 

 「要介護探偵の冒険」。主人公の香月玄太郎は二年前から車椅子生活の下半身不随の要介護者、サポートするのは介護士の綴喜みち子だ。昔のアメリカのテレビドラマ「鬼警部アイアンサイド」を例に出して、安楽椅子探偵というものがある、現場には一歩も足を踏み入れず椅子の上だけで事件を解決する、「そうや、いっそ車椅子探偵というのは響きがええな」「要介護探偵というのはどうです?」ということでタイトルが決まったようだ。

 玄太郎の所有する地所に建築中の住宅の中で、この住宅を設計した建築士の死体が発見された。布状の物で背後から絞められた跡があった。竣工直前の家で内側から鍵をかけ外部からは施錠していないという状況が明らかになった。家の中で殺されたにも拘わらず、犯人が家屋から出た形跡がどこにもなかった。忌避物件になると値が崩れると、玄太郎は事件解決に奮闘する。

 

 「霧ヶ峰涼の屋上密室」。「半袖のブラウスにミニスカートという夏服に身を包んだ美少女、それが僕、霧ヶ峰涼、右投げの本格派の女子高生。好きな言葉は「一球入魂、弱気は最大の敵」。所属は野球部ではなくて探偵部だ」という自己紹介のところでクスリと笑わせてもらった。鯉ケ窪学園高校二年生の霧ヶ峰涼が主人公のシリーズの一編だ。捜査を担当する国分寺署の祖師ケ谷大蔵警部と烏山千歳刑事、通称私鉄沿線コンビも登場する。

 教育実習に来た先生と裏門へ向かう第二校舎と大きな椎の木の間を歩いている時、突然上から女子生徒が落下して先生が下敷きになった。涼は屋上に駆け上がるが女子生徒の鞄があるだけで人の気配はなかった。屋上に上がる階段の踊り場にゲームをしていた生徒がいて、上がって行ったものも降りて来たものもいないという。状況から見て他殺はありえないのだが落下した生徒は自殺を否定し、下駄箱の中にあった手紙で四時に屋上に呼び出され、すぐに突き落とされたという。生徒が屋上から落ちて来たのは四時半、屋上から地上まで30分もかかったという奇妙な墜落事件だった。

 女子生徒が先生の上に落下した状況を「ジャンボ鶴田に対してトップロープから必殺のフライングボディアタックを敢行するミル・マスカラスのような」という描写があって、私にはその状況が映像を観るように理解できたが鶴田もマスカラスも知らない人にはさっぱりだろう。

 

 「密室荘」。舞台になるのは地名が気に入ってメルカトル鮎が購入した信州の別荘だ。地名は「密室」、番地は「4-4」、別荘を買い取ると「密室荘」と名前を変えた。これで住所は「密室4-4 密室荘」となる。登場人物は「銘探偵」メルカトル鮎と語り手である美袋三条の二人だけ。そこで議論される主題は「論理と不条理」だ。

 私は誘われて三日前にこの別荘に来た。朝、地下室に案内される、八畳ほどの広さのコンクリートむきだしの何もない部屋の中央に仰向けになった男の死体があった。首に紐が巻き付いている。歳は20歳くらいの若い男、死後4、5時間というところだ。君が殺したのか、と問うとメルカトルは「まさか」と心外そうに肩をすくめ、

 私はこんな下らない殺人などしないよと答えた。死体には財布や携帯、身元を明らかにするものは何もなかった。屋内のどこにも物色された跡がない、盗まれたものもない、被害者は一直線に地下室に向かったと思われる。一階の窓はすべてクレセント場が落ちているし表に出る二つのドアも鍵がかかりドアチェーンがかかっていた。

 現場は完全な密室で二人の容疑者は閉ざされた境界の内側にいる。つまり、犯人は私か君のどちらかということだと言う。私が殺していない以上、メルカトルが犯人だ。彼はわざわざ死体を私に見せて事件を知らせた。彼が本気で隠蔽する気なら、ずっと気が付かないままでいただろうと私は思う。

 私も君も犯行は充分に可能だったし、同時に君の無実も私の無実も現状では証明することができない。今の我々を支配しているのは、自分でないから相手が殺したのだろうという脆弱な主観と、多分相手も殺していないんじゃないかという感情的な憶測だ。このふたつは両立しない。だから君はジレンマに陥っている、とメルカトル。

 犯人は私でなくメルカトルでもない。しかし容疑者はこの二人に限られている。地下室の死体こそが不条理なのだ。メルカトルがこの不条理をどのように解決したかについては書かない。まさに究極の密室ロジックだった。