おはようございます。
昨日の嵐は、祝島を通過した後に我孫子にDASH!夕方から春一番とは程遠い得体の知れない嵐でした。まるで祝島で聞いた嘗ての上関原発反対運動のようでした。
デモと称して誹謗中傷(祝島独特で都会では人権侵害で訴えれば有罪)や家屋の破損等それはそれは耳を疑いたくなる内容です。
しかし、推進とターゲットされた人達は、ひたすらただ息を殺してデモの通過に耐えたのです。

多勢に無勢。まるで現在、一部の反対運動の人達がマスコミ等で口にする「少数意見を無視するな」の発言は一体なんですか?と言いたくなる。
島に来ているよそ者達よ!又祝島のホームページを見て訪ねる人達よ!是非、祝島で30年も耐えてきた推進の人達の気持ちを察して下さい。
私は現在島に来ている人達を信じていません。信じるどころか、まるで正義の味方とでも勘違いしての行動に、腹が立つしだいです。

滞在中、無車検車で豚の残飯を回収してた自称カメラマンのS君とやらの眼は、散歩中の私には「見つかったどうしよう」の様にしか見えませんでした。その他、島に来てる人達の眼は何処となく空ろに見えてなりません。
島にやって来る反対者は歓迎されていると思い、都会ではとても許されない無車検、無自賠責保険等、法律違反を島のなかで平然と行っている姿を見るでしょう。仮に私に接触等の事故があれば、絶対に許さない。必ず断固法的処置を講ずるつもりですので承知ください。

話は飛びますが、時折、今は昔のような誹謗中傷は激しくないと耳にします。これは、加害者の反省も込めての発言でしょうが、軽々しく口にしてほしくない!耳を塞ぎ怯えながらデモの通過を待ち耐えた、少数の推進の人達の気持ちをどこまで理解できますか。「あの世まで絶対に忘れない」この言葉は心に突き刺さります

祝島は、信心深い島です。
僅か400軒の島に3つの寺〔浄土真宗)があります。
浄土真宗の教章の宗風には、宗門は同心の喜びに結ばれた人々の同法教団であって、信者は常に言行をつつしみ人道世法を守り、力を合わせて広く世の中にまことのみ法をひろめるようにつとめる。
また、深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを行わず占いなどの迷信にたよらない
、と書しています。
是非にこの教章の心に立ち返ってほしいと願うしだいです。

決して反原発を唱え利益に結びつける我田引水の行動には惑わされないでください。