下諏訪宿

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下諏訪宿(しもすわじゅく)とは、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場。現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた。古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている。

本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている。諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つ知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができる。皇女和宮降嫁の際宿泊した。
脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
旧称は下ノ諏訪。

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本陣 岩波家

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明治天皇御小休処、和宮御宿泊処、中山道随一名庭園、である。

武田耕雲斎も宿泊した。

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天狗勢は進んで、下諏訪宿に入った。宿場の者たちはみな逃げていて、人の姿はない。
幹部たちは、無人になっている本陣の岩波太左衛門の家と来迎寺に入り、他の者たちは
旅籠屋や民家に入った。

かれらは激しい空腹感におそわれていて、すぐに火をたいて炊飯をはじめた。家々には
洗った米がザルに入れたままになっていたり、焼き魚や煮物が食べ残されていたりして、
町の者たちがあわただしく逃げていってことをしめしていた・・・・。

(天狗争乱 吉村昭著より)

来迎寺

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藤田小四郎らが宿泊した。

場所: 長野県 下諏訪町横町( 地図