2月18日。この日付が何の日かわかる人はほとんどいないと思う。
バレンタインの4日後だからと言う変な考察もいらない。
この日付は私の書いた初めての二次創作作品
「輝きの行方」がpixivに投稿された時の日付だ。
私は小さい頃から絵を描くのが好きだった。
沢田ユキオ氏の「スーパーマリオくん」と言うギャグ漫画はご存知だろうか。
私が小学生の頃に、母に初めて買ってもらった漫画だ。
私はそこに出てくる「スーパーちびヨッシーズ」がこの上なく好きでよく真似事でチラシの裏に漫画を描いていた。最初は作品と同じようにヨッシーを使ってギャグ漫画を描いた。小学生の考えた子供騙しのネタを家で、学校で、毎日のように描き、それを父や祖父によく見せていたものだ。
四年生になると家にあるぬいぐるみを漫画に登場させるようになった。自慢ではないが、ぬいぐるみの数に関してはそこらの同級生には負けなかった。ヨッシーはもちろん、ピカチュウなどのポケモン、動物のぬいぐるみやモンハンのぬいぐるみを紙に起こして、それをコマの中で私なりに動かした。一時期、学校の教室でその漫画を公開した事もあった。今思えばなんてことをしていたんだと寒気がする。
やはりそれも最初はギャグ漫画から始まり、自分の家を彼らのステージにしてたくさん冒険させたりもした。ちなみに、家にある茶の間を彼らの中では「茶ノ市」と言う大都市として登場させたこともあった。
それがある時を境に私の作風はガラリと変わった。
フォロワーさんの言葉を借りるなら「硬派は作品」になった感じだ。
そのきっかけとなった出来事を、私は今でもはっきりと覚えている。
2011年3月11日 午後2時46分
東日本大震災の発生だ。
まだ9歳と幼かった私にとって、テレビに映るそれは、衝撃的すぎた。崖は崩れ、人々は慄き、家が流され、車が流され……。正直、あまり話したくない。
その頃から私は地学を学ぶようになった。地震がどうやって起きて、それによってどんな影響が出るのか。火山とは何で、地球とは何なのか。知りたくなった。それを見かねた母は誕生日プレゼントに図鑑をくれたし、地元で開催された火山学習にも進んで参加した。
学んで、学んで、その成果を私は漫画として描き残した。私の住む地の火山を噴火させ、その地にある断層を大胆に動かし、その中でぬいぐるみたちを翻弄させた。時には台風を起こし、隕石を落とした。
そしてその震災が私にもたらした決定的なものは「ミリタリー」だった。
ロナルド・レーガンと言う空母がある。世界最大級の空母で今は横須賀に配備されているその艦。私がそれを知ったのはテレビで特集されていた「トモダチ作戦」の番組だった。ここで長々とそれを述べるのは心苦しいから、潔くググってほしい。
とにかくその勇ましさと、日本人を助けてくれた米軍というものに興味を持ち、そして同じく助けてくれた自衛隊に興味を持った。
政治も学び、世界がどんな状況で、日本がどんな問題を抱えているのか。歴史がどんなで、今の日本はどうやって作られた。そういった点をぬいぐるみを使って私は漫画として描いた(代表的なものは日中戦争を起こした作品くらいだが)
ここまできてもう分かった人もいるかもしれない。
私は地学を学び、軍事を学び、世界を学び、それをぬいぐるみを使って漫画に描いた。
そう、私は「人」を描いていないんだ。
いいや、私は多分「人は難しいし、どうせ描けないから」と遠回しにそれから逃げていたんだ。そうやって私はノートにボールペンと定規でヨッシーを描いた。ピカチュウを書いて、ポッチャマを描いた。そうやって私は中三になった。
部活も引退し(野球やってた)高校受験が迫った夏休み前のその日。
私は高校三年間、お世話になるであろうそれと出会った。
それが「ラブライブ!」だった。
たまたま急上昇ランキングに載っていたその曲はなぜか私の興味を引いた。それをタップし、現れたのはとにかく美しい金髪の彼女だった。
私は一目で彼女に惚れ、ラブライブ!に惚れた。時期的に、田舎な私の地では映画は終わっていて、待って待って、映画のブルーレイを買い、そこで私はμ’sのfinal liveに行った。
衝撃だった。これが沼かと思った。これがアニメか。
そんな余韻に浸っていた最中、彼女たちに続く輝きが現れる。それがAqoursだった。彼女たちの輝きは、私の輝きになり、今の今までずっと応援し続けている。
そして私のAqours愛をより一層深めたのは、pixivで出会った神絵師の皆さんだ。絵師さんが紡ぐうその美しい世界に私は惹かれた。絵が好きだった身として、彼らの絵は私の原動力となり、楽しみになっていた。
そして惹かれていった私は、ふと、こう思った。
「人が描けるようになりたい」
そういった背景があり、岩しろは始まった。@iwaaashiroooのツイッターの一番最初に投稿されたそれは初めて描いた曜ちゃんで。それからも私は絵を描き続けた。いろんな資料や本を買って、それを自分の創作に取り入れた。
でも、現実は甘くなかった。
上手くならない。どれだけ描いても、線が生きない。構造を学んでも、角度を理解しても、それを絵に活かせない。
正直、嫌になった。デジタル絵の練習を始めてもそれは変わらず、手応えを感じられないまま一年が過ぎた頃。
私は読書にハマった。「君の膵臓をたべたい」で有名な住野よるの作品を読み漁った。本当の読書家には申し訳ないが、私は私なりにたくさん読んだ。
読んで、読んで、読んで、そして私は考える。
「小説が書けるようになりたい」
所詮私は、影響を受けやすいタチだった。絵の時も、小説の時も。だから学校では相手の顔色を伺い、それに合わせて争いを好まない、臆病な人間になっていたのだろう。そんな時書いた作品。
それが「輝きの行方」だった。
まだ高校二年生だった私が書いたそれは、文法も、比喩も、構成も、その全てが幼稚で(今もそれは変わらないけれど)今読み返しても「何言ってんだ、この人」と思うことが結構ある。App Storeの無料執筆アプリで通学中や暇な時に黙々と書き続けたそれは前述の通り無茶苦茶。今まとめるために加筆修正している「ルビィの掌握」も同様だ。
でも、一つ確かなことがある。
「輝きの行方」が「ルビィの掌握」が、幼稚な文で、無茶苦茶な構成でも
私の伝えたいことは本当に素直に、ストレートに伝えられている気がした。曜が地下を助けたあのシーンでも、ダイヤがルビィを助けたあのシーンでも
私は私が伝えなければならない気持ちをそのままに伝えられている気がした。
私がスマホ片手に文字を打ち込んでいたその時、絵で描きたかったことが、文字でならみんなに分かってもらえる気がした。
それが「逃げ」によって生まれた副産物である事に変わりはない。
それでも
私は小説を書くのが好きだ。
絵を描くのが好きだ。
物語を作るのが好きだ。
だから、この気持ちは忘れたくない。
いつか、その見返りを求めたいがために、自分の伝えたい何かを見失ってしまうときが来てしまっても
評価や、名声、反響のために文字を打ってしまうときが来てしまっても
私は、私の伝えたいその文字を打ち続けたい。
もちろん、絵も描き続けていきたい。
そしてみんなに私の思いを見てもらいたい。
それが私の”それ”の理由。
短い短編分も書いてしまった。長くなって申し訳ない。