皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
10月9日(土)大泊から佐多岬まで 8㌔
一人旅 めざす ゴールは 佐多岬
ブログを読んだ方から、一句いただきました。
歩き旅最後の日だというのに朝から雨。
家族との待ち合わせもあり、7時10分雨の中を歩きだす。自然と足が速くなる。かなりのアップダウンが続く。
途中、公園入園料の料金所があり、朝8時から午後5時までは有料で、それ以外は無料と聞いていたので、まだ時間前なので行こうとしたらおばさんが出て来て通行料500円を払ってくれと言う。
有料時間帯は8時からだろうと言ったが、おばさんは会社から取るように言われてるし、私はパートで言われたとおりやるしかない、と困惑した表情。
パートと聞くと、それ以上言うのも気の毒で、雨の中ザックを道に下ろし、お金を取り出した。濡れるし汚れるし、実はその一連の作業がいやだった。
料金所からしばらく歩き、ようやく駐車場に着いた。
そこから先はヤシの木やシダ、マングローブなど熱帯の森のような植生の中を抜けて行く。
途中縁結びの神社だという御崎神社があり、若いカップルが一生懸命祈っていた。後ろ姿に幸あれと念じた。
私はここまで無事に歩いて来られたことを感謝し、帰路の安全も祈願した。
小さなアップダウンを繰り返し、最後の急登を登り、とうとう九州最南端の地「佐多岬」に到着した。
雨は降り続いていたが、心は晴れやかだった。
参道は熱帯の植生。
最南端の碑の横で。
身内が作ってくれたゴールを祝う文章を持って
佐多岬にゴールした瞬間。肩の荷がおりた
《旅を終えて》
30年来の夢。
宗谷岬から佐多岬まで徒歩での挑戦も今日で終わり、明日からは又、元の生活に戻っていきます。
この間約4カ月、ご支援くださった多くの皆様に心から感謝申し上げます。
今年3月に定年退職となり、私は迷うことなく日本縦断を選択し、6月に北海道に渡りました。
最初のうちは一日の目安30㌔がどんなものかわからず、ただ長く辛いものでした。
しかし、慣れるにつれ余裕も生まれ、見るもの聞くものすべてが興味深く、歩いていても、1つのカーブ、1つの坂道を越えるたびに、次は何が待っているんだろうと期待に胸をふくらませて歩いてきました。
事実、日本海は本当に美しい海でした。
暑く辛い夏も、多くの方からコメント、電話、メールで励ましていただき、また、旅先で出会う地元の人達に勇気をいただき、乗り切ることができました。
旅は終わりましたが、今回の経験はこれからの私の人生のなかで、かけがえのないものとなりました。
最後になりましたが、応援していただいたすべての皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りしお礼の言葉といたします。
本当にありがとうございました。
楽しかった旅を反芻しながら
とうとう長かった旅も終わりが近づき、長い距離を歩くのは今日が最後。
1ケ月前に家族にゴールは10月9日と伝えた。きっと台風や大雨があると思ったので、2、3日余裕をみたが、幸い台風や大雨はなく、予定よりも早い進行になってしまった。しかし、何人かの身内が佐多岬まで来てくれることになっており、そんな理由から最後4日間は調整をしながら歩いている。
朝6時30分に宿を出る。今朝はかなり冷え込んでおり、肌寒いので長袖を着重ねる。
涼しいとあまり汗もかかないので歩きがはかどる。1ケ月前までのあの暑さがうそのようだ。
距離に対する感じ方もずいぶん変わって、40㌔くらいまでならあまり遠いと感じなくなった。
昨日、旅の初日のブログを見たら、宗谷岬-稚内間の31㌔であえいでいる自分がおり、あの頃に比べれば足だけは丈夫になったものだと苦笑してしまった。
この辺は道端にヤシの木やバナナが植えてあり、バナナの木には小さな青いバナナがよくなっている。
ブーゲンビリアや極楽鳥花?もあちこちに咲いていて目を楽しませてくれる。
佐多岬が近づくにつれ、看板にはやたら〃本土最南端の〇〇〃とついている。
「本土最南端の郵便局」に立ち寄ったら、局長さんが記念に写真を撮らせてもらえないかと言って、外に出てこられた。ついでに私のブログ用のも職員さんに撮ってもらった。
宿に入って部屋から海を見ていると、「遠くまで来てしまったなあ」という思いが込み上げてきた。
残りはあと8㌔。
江戸時代、生麦事件がきっかけで起こった薩英戦争の時に築いた砲台。
開聞岳が間近に見える。
最北端からの距離表示。
〃本土最南端〃
郵便局長さん、事務員さんと。
錦江湾の風に吹かれて
今日歩いた区間には、かつて列車が走っていたところもある。その廃線の軌道敷が自転車・歩行者用の道路に改修された部分もあり、そこは幅も広く植栽も行われ、海際のロケーションもあって、素晴らしい歩き道になっている。
桜島が遠くなるぶん錦江湾の対岸、薩摩半島の南端にある開聞岳が近くなる。開聞岳はコニーデ形の山で、標高は千米に満たないもののミニ富士山といった感じで、菜の花を前景にした開聞岳の写真は春のカレンダーの定番になっている。
鹿屋市の金浜海岸を歩いていて、比較的新しい碑が目に入った。
碑文によれば、第二次大戦敗戦直後、飛行機ではなくアメリカ海兵隊2500人が初めて日本本土に上陸した地だとのこと。当時の地元の大混乱した様が記されていた。
鹿児島にはここ鹿屋市や対岸の知覧町に特攻隊の基地があり、今は平和記念施設の中に戦争の記憶を留めている。
すばらしい歩き道。南国の雰囲気のする申し分のない景色。今日は風があって海が波立っており、それが陽に照り返ってキラキラしている。
浜に立って見ていると、景色に吸い込まれてしまいそうになる。
あまり疲れも感じず、残り少ない旅程のことなどを考えながら歩いた。
フェリー乗り場付近から見た桜島。噴火はしていない。
海辺の歩道。極上の散歩道。
米海兵隊上陸の碑。平和を祈念して建立したと記されていた。
ブーゲンビリア。葉が輝いている。
海の向こうに霞んで見える開聞岳。心地好い風が吹いていた。
国道沿いのプライベートガーデン。すごく楽しい庭だった。オーナーに会ってみたかった。
鹿屋市城ケ崎にあった「馬場の田の神」右手にしゃもじ、左手にすりこぎを持っている。米の豊作祈願で作られる。熊本、鹿児島では時々見かける。江戸時代の作。
桜島がウエルカム噴火をしてくれた!
朝5時40分発の垂水発国分行きに乗り、昨日雨とカミナリでギブアップした地点まで戻る。
始発のバスは乗客は私だけなので、最前列に座り、運転手と話をしながら目的地に向かう。
「福山学園下」というバス停で降り準備運動をして歩き出す。
今日の歩き直しは昨夜泊まった垂水市のフェリー乗り場近くまでの30㌔。
錦江湾に沿って歩き始める。桜島は目の前だが、ここしばらく噴火がなく、警戒レベルもワンランク下がったとか。煙りのない桜島は何か物足りない。
陽がでて来ると、一気に暑くなるが、盛夏を思えば何のことはない。それに錦江湾から吹く風が、なんともマイルドで、このうえなく心地好い。
1時間30分ほど歩いた時、バスが小さくクラクションを鳴らして私を追い越していった。さっき乗ったバスが国分駅からもう折り返してきたのだ。
運転手が窓から手を出してちいさく振っている。私もバックミラーできっと見ているだろうと思って、大きく手を振った。
ささいなことだが、こんなことの積み重ねが、自分を楽しくしてくれる。
この辺を歩いていて気がつくのは、お墓を大切にしていること。ほとんどのお墓に屋根が架けてあり、多くのお墓にはきれいな生花が飾られている。そして、お墓の周りで世間話をしている人達を適当に見かける。きっと毎朝の風景なんだろう。
店に入った時におばあさんにそれを尋ねると、うれしそうにしたが、でも最近は造花の家が結構あるんですよ、とちょっと残念そうに言ったが、内心それが普通では・・と思った。
昼の軽食を食べて出発しようと立ち上がった時、桜島を何気なく見たら、なんと噴煙が立ち上っており、モクモクと新しい煙りが噴火口から湧きがっていた。
私は勝手に「桜島のウエルカム噴火だ!」と決めて、喜んでしまった。煙りがあるとないとでは、迫力が違うと思った。
どのお墓にも屋根があり、お花も飾られている。
道の駅にある足湯。
口蹄液の名残はまだあちこちに
噴火が始まったばかりの桜島。
海辺のこんな道を探して歩いた。
南国ムード漂う鹿児島の道。
火山噴火に備えたシェルター兼用のバス停。