退院してから、お家で療養していました。
病院にいる時よりずっとご飯も食べて、毎日好きなものをオーダー、鰻にすき焼き、鱒ずし、あとは・・・とまあ、毎日好きなの食べれていいよねー。って話してました。
でもホントは一口くらいしか食べてなかったみたいで。。。
そして、4/8の朝に、薬を間違えて飲んでしまっていたと。尿が出る薬は朝1回でいいのに、朝昼夜となんと3回も飲んでいて、薬が足りなくなって気が付くという、かなりのうっかりさん。
ちゃんと小袋に分かれていたのに、なぜ間違える??と、ホントにびっくりで。
そして、本人が病院に連絡して、母を今から向わせますと。
病人だから父は行けず、母に頼むものも、母に了解も得ず、自分で話を進めていて。
母は、4/11に病院行くのだからそれまで薬がなくても大丈夫か聞いて欲しかったらしくて、
雨も降っていて、私もそれを聞いて、なんてわがままなんだろうなあって、
ちょっとプンプンしちゃいました。
病人だからだけど、わがままが酷かった。イラッとするのもすごくて。
あまり見たくなかった。
なので、私はその日からリビングにはあまりいないようになってしまったの。
私も大人げないのよね。。。
これからこのわがままが続くのかー。って思ったら、今週はほっとこうと思ってしまった。
そして、4/10、私は腹痛に襲われ会社をお休みして、部屋に引きこもり、
なので、全く父と顔を合わせることなく、夜にちらりとリビングに行って、父の顔を見て、
話しかけることもなく。私の夕食も自分の部屋に持って食べてしまった。
今まで、病気が分かってからは、なるべくリビングで過ごそうと思っていたのに、
ちょっと避けてしまった。
そして、この日、母が大人用パンパースを買ってきた。
父は下剤を飲み過ぎて、漏らしてしまうと。なので、パンパースにしようねってなって、
夜からパンパースデビュー。
そして、私も下剤を飲み過ぎて、辛かったぁぁあ。
朝方寝ていたらお腹が痛くて、トイレに。
リビングの電気も付いていたので、父が起きたのかなあって、
トイレを空けて、したら父が入っていた。
で、扉を閉めて。
でも、ん?なんか違う。
もう一回空けて、声を掛ける。
便座に座ったまま、頭は壁にもたれかかっていて、目は下を向いてうつろ。
パパ。パパ。
と太もももをたたいてみたけど反応がなくて・・・。
やばい気を失ってると、
そして、なんどもなんども呼びかけて。
したら、母も私の声で飛び起きて、
どうしよう。って。
あたふたして。
私もリビングに戻って、病院に電話しようって。
母が、パパ脈がないじゃないって。手が冷たくなってるって。
私も慌てて確認して、確かに。。ない・・・・。でも見方が悪いだけで。
信じたくない。
そして病院に電話して、救急車を呼んだ。
脈はないですと。
でも、心臓マッサージをずっとずっとやり続けてくれて。
救急車乗ってもずっとやり続けてくれて。
でもそのまま、パパは天国に行っちゃいました。
すい臓がんを判明してから2ヶ月経たずに、さよならでした。
ご飯も食べるし、お話も出来るし、まだまだ元気と思っていたのに。
あまりにも早すぎました。
抗がん剤を効かないと3ヶ月、効いてもまあ1年は持たないかなと言われていた。
抗がん剤の効きも良くて、数値も良くて、退院して、通院は1回しかしないで逝っちゃった。
来月は父の誕生日だったのに、誕生日をお祝いすることができませんでした。
元気に見せてたけど、ホントはすごく辛かったのかも。
分かってあげられなくてごめんなさい。
声を掛けてあげられなくてごめんなさい。
いっぱいいっぱいありがとう。
いろいろある人生だったけど、私の父が父で良かったです。
まだまだ生きたかったと思う中で、パパのがビックリだよね。
でも、これからは、私とお母さんとお姉ちゃんの事をずーっと見守っていてね。
私を幸せに導いてね。
私もパパが見守っていてくれるって思っているから頑張れるよ。
いい報告するからね。
父の病名は膵臓がんです。
でも、ホントの死因は分かりません。
心臓発作か、不整脈か、脳溢血か。
癌が誘発したらしいです。
病気の方は必死に戦っています。
余命宣告をされているのならば、絶対に優しくしてあげてください。
わがまま言われて、イラッとした顔されても、病気が更にそうするのです。
私は、一瞬背を向けてしまいました。母の味方に付いてしまいました。
母はそうはしなかったのに。私だけが。
それだけが後悔です。
一緒にいられる間、何かあっても隣にいて会話をしてあげてください。