前回のブログで
「なんか、こう
どんな子育ても、
いや、子育てに限らず、
何ならどんなスタンスで生きていても、
お互い称え合って
もっと尊重出来る世の中に
なったら嬉しいな。」
こんな事を言っておきながら、
私は両親の子育てを
とても批判しているんですよね…。
何だか矛盾しています。
色々思いを巡らしていました。
私にはきっと、
「親はこうあるべき」
という理想像があるんだと思います。
「子はこうあるべき」を
押し付けられた仕返しのつもりも
あると思います。
残念ですが、私の親は
あまり愛情のない人種です。
育った環境が大きいとも思いますが。
そんな親に、
愛情をくれ、愛情をくれ、と
ずっと求めてきました。
自分の親にはそれがあまりないと
受け入れられずに来ました。
逆に親以外の親族には
とても愛されていたのに、
それより親の愛が欲しかった。
親族の愛をあまり重要視していなかった。
私は愛されていなかったわけでは
なかったんです。
祖父母やおじやおばには
とても可愛がられていました。
孤独ではなかったはずなんです。
そりゃ、子はまず親の愛を
求めるものでしょうけど。
(そもそもそれが思い込み…かな…。)
いつもないがしろにされていた私の事を
ある時、祖父がボソッと
「アイビーは可哀想だったな…。」
と呟いたんです。
新婚当時、
夫と私と3人で話していた時の事でした。
ちゃんと見ていてくれた人はいたんです。
私の親は口では正論を吐きますが、
小さな隙や些細な違和感から、
それは世間体や親自身を守る為の
言い訳であると私は見抜いてしまいました。
見抜いた私が悪いわけでもないし、
親も必死にいい親を演じようとしても
うまく行かずに、
見抜いた厄介な娘に
八つ当たりしていた、
親も内心わかっていた、
ただそれだけなんです。
私はそれを
「何故なんだ、何故なんだ。」
って50年近くも悩んで来て。
理由はわかっているのに、
私は認められなかっただけでした。
受け入れられなかっただけでした。
それに振り回されて
自分の人生悲観して過ごすなんて
本当に勿体ない。
自分を大切に扱ってくれない人に
いつまでも依存したり
期待したりしていたら
とてもエネルギー使ってしまう。
相手が「親」だった事が
私には大問題でしたが、
親だってただのとあるひとりの人間で、
得手不得手あるはずなんです。
たまたま他人を大切に出来なかったり、
利己的なタイプだっただけで。
こうやって、
あーでもない、こーでもないって、
ずっとやってる事に
いい加減諦めなよと自分でも思います。
少しずつ、分厚い壁に、
ヒビは入っています。
ドンガラガッシャ〜ン!!
崩れるまで、
でも私は諦めません。
この壁は避けて通らないつもりです。
しっかりぶち破ってから、
先に進みます。
上手に受け入れられる日はそろそろ来る。
あとちょっと!