今年も我が家のジューンベリーは沢山の実をつけました。味も悪くない。出掛けに熟した実を二、三粒摘んで口に含むのが何となく小気味いい。木を植えるなら断然果実の成る木がいいと思っていた。出来たら桃とかリンゴとか、せめてサクランボかレモンと思っていたが、庭師の勧めでジューンベリーとオリーブと相俟った。しかし、オリーブは手入れが難しそうで、なかなか実を付けてくれない。ジューンベリーの実は確かに小振りで果物という感じからは迫力に欠けるが、それはそれで案外可愛い。春先に白い花を付けてから、あれよあれよと一気に赤い実がつく。秋にはきれいな紅葉も魅せ、冬の落葉後の枝ぶりもなかなかのもので、一年を通して楽しませてくれる。この律儀で淡々と成長と変化を遂げるジューンベリーの木の一年のサイクルがとても分かりやすく、窓外のカレンダーとして我が家に付帯している。家族は勿論、飼い犬もジューンベリーが大好物らしく、ジューンベリーでつって躾を促すことにも重宝している。好物なのは我が家だけではない。とにかく実がつく頃には外で小鳥のさえずりが一挙に増す。窓からその鳥たちを覗くと、大体は番いの時が多い。彼らもジューンベリーを恋の相手に捧げものとして活用しているかもしれない。鳥の種類も驚く程多い。定番のスズメは勿論、まさかこんな都会にも目を奪われる程の綺麗な野鳥がいたのかといつも感心させられるくらい多彩だ。鳥の名前は全然知らないので、あれもこれもと具体的にご紹介出来ないのは非常に残念だ。どこからやって来て、どういう風にして我が家のジューンベリーを見つけたのかは謎だが、日に日に回数も種類も増す様に見える。あれだけの数の実を我が家だけで食すのは到底無理。小鳥たちが枝に寄り添いながら実を摘んで運ぶ光景を見るのは本当に微笑ましく長閑だ。木や葉や実の観賞以外にこういった和やかなオマケが付いていたのは想定外だっただけに、小振りながらとても魅惑的なジューンベリーに一目おきたい気分に成る。まだ実付きの量は半分くらい有る。梅雨が来る前に、羽を濡らす事無く我が家のジューンベリーを恋の貢ぎ物として一粒残らず喰いつばんで欲しい。ジューンベリーも人間よりも、種を遠くに運んでくれる鳥たちに食される方が本望だと思うし。年をとっても決して庭いじりや植木などの『ガーデニング』とやらに手を出すまいと固く心に決めていた自分だったが、これはもしかしたらその初期症状かも知れないと不安も過りつつ、ジューンベリーの赤い実に惑わされている今日このごろです。
時々、奇遇というか、偶然というか、不思議な事が起きる。
たった今会話していたばかりの言葉がテレビのドラマの台詞で登場したり、
つい最近選曲したばかりのレアな音楽がコマーシャルで使われていたり、とか。
どこかで自分と波長の合う人間がいるらしい。
みんなもそうだろうか?
少し脇道に逸れるが、世の中には自分とそっくりな人間が三人いると子どもの頃に聞いた事が有る。
北海道の田舎に禅源寺というお寺があって、私の同級生の家でもあった。
よく友だちみんなで境内でも遊び、そこの本堂には『五百羅漢』という、石像ではなかったが広い本堂の欄間にびっしりと、お釈迦様の滅後、教えを広めようと集まった阿羅漢という修行を積んで悟りに達した僧たちの絵が飾られていた。
この五百の絵の中に、必ず一人自分とそっくりな阿羅漢がいると誰かに言われた筈だ。
幼かった私は本堂そのものも、ましてその絵もかなり恐くて一人では見れない程の独特な空間だったが、
それでも何度か本堂の欄間を見上げながら自分と似ている僧を捜した。
しかし、子どもの頃の自分の顔にそっくりな坊さんの絵なぞは見当たらなかった。
しかし、大人になってからはどこかで自分とかなり近い遺伝子を持った人間が、自分と似た様な人生を送り、考え方の似通った人間の一人くらいはいるかも知れないと思う様になった。
さて、本堂ではなく本筋に話しを戻すとします。
私は台本を書く仕事をしているので、台本の訓練になるかと思い、日頃したためていた言葉やストーリーを元に、ここ二年程前から小説紛いのものを書いています。
その書き貯めた小説もどきは別のブログにアップしています。
機会とヒマがあれば読んで欲しいとは思いますが、今日話したかった事は、つい二日前にその小説もどきのある場面を書いている時の話しです。
ちなみに私は電車デビューがここ最近の新米で、ラッシュ・アワーに尻込みしながらも通勤の行き帰りに携帯電話の新規メールの中に文章を書き込んでいます。
それを後からパソコンの方にメールして清書するという具合にして頁を増やしています。
今書いているのは、頼まれた百万円の宝くじを猫ばばした冴えないサラリーマンと引ったくりを生業にしている若者が当選金を持って北海道に逃避行する話です。
若い方は、当選金の分け前を元手に中古車専用のバイク屋さんをやりたいと言う夢があり、自分も北海道のどこまでも続く一本道を走りながら旅をしたいという件で、その例えで『イージー・ライダー』の○○と主演の名前を入れるところで迷ったのです。
本当は直ぐに頭に浮かんだのはデニス・ホッパーだったのだが、一般にはピーター・フォンダの方がその光景がより鮮明かと思い、デニス・ホッパーは断念した。
私はショーン・コネリーやジョージ・クルーニーといった二枚目も好きだが、もっと好きなのはジャック・ニコルソンやマーロン・ブランド、ロバート・デニーやウィレム・デフォーなど、狂気を滲ませる一癖も二癖もある俳優が大好きです。
そしてデニス・ホッパーはその最たる俳優でした。
なんとなく分かるでしょう!?
これはつい二日前の話しです。
そして今朝の朝刊を見て驚きました。
あのデニス・ホッパーが前立腺がんで亡くなったからだ。
たまたま小説もどきの、しかもイージー・ライダーの件のシーンが無ければ、普段は思い出さない筈の
デニス・ホッパーを入れるかどうかで迷い、断念した彼の訃報が突然入って来る。
これはただの偶然かも知れないが、この偶然は何なんだろうと考えてしまう。
虫の知らせとはよく聞くが、縁もゆかりも無いスターの名前が何故連続して登場したのか?
似た様な体験が他にもたくさん有るが、その中でもジョン・レノンの場合もそっくりだった。
1980年の12月。
雪がちら付く寒い日で、私はファッションの専門学校に通っていた。
その日は授業に出ずに、渋谷のYUKI-YAというカジュアル・ショップのバイトに出ていた。
季節がらクリスマス商戦に向けた商品や飾り付けをしていた。
その日は何だか『イマジン』の曲ばかりが頭で何度も何度もループしていた。
そして夕方ジョン・レノンの暗殺を店のラジオで聞いたのだ。
これも只の偶然に過ぎないと思うが、その時も不思議な気持ちになったのを今でも鮮明に憶えている。
だからといって自分に霊感や何か特殊な能力が備わっているのかもなんて微塵も思っていません。
この奇遇・偶然をどう自分で処理すれば良いのか?
と言うよりも、なぜ二つの関係性を普通に流せなかったのか?
それをちょっと考えてみたくなっただけなのかも知れない。
鬼才、破天荒、超個性派名優、
デニス・ホッパー
に合掌。
たった今会話していたばかりの言葉がテレビのドラマの台詞で登場したり、
つい最近選曲したばかりのレアな音楽がコマーシャルで使われていたり、とか。
どこかで自分と波長の合う人間がいるらしい。
みんなもそうだろうか?
少し脇道に逸れるが、世の中には自分とそっくりな人間が三人いると子どもの頃に聞いた事が有る。
北海道の田舎に禅源寺というお寺があって、私の同級生の家でもあった。
よく友だちみんなで境内でも遊び、そこの本堂には『五百羅漢』という、石像ではなかったが広い本堂の欄間にびっしりと、お釈迦様の滅後、教えを広めようと集まった阿羅漢という修行を積んで悟りに達した僧たちの絵が飾られていた。
この五百の絵の中に、必ず一人自分とそっくりな阿羅漢がいると誰かに言われた筈だ。
幼かった私は本堂そのものも、ましてその絵もかなり恐くて一人では見れない程の独特な空間だったが、
それでも何度か本堂の欄間を見上げながら自分と似ている僧を捜した。
しかし、子どもの頃の自分の顔にそっくりな坊さんの絵なぞは見当たらなかった。
しかし、大人になってからはどこかで自分とかなり近い遺伝子を持った人間が、自分と似た様な人生を送り、考え方の似通った人間の一人くらいはいるかも知れないと思う様になった。
さて、本堂ではなく本筋に話しを戻すとします。
私は台本を書く仕事をしているので、台本の訓練になるかと思い、日頃したためていた言葉やストーリーを元に、ここ二年程前から小説紛いのものを書いています。
その書き貯めた小説もどきは別のブログにアップしています。
機会とヒマがあれば読んで欲しいとは思いますが、今日話したかった事は、つい二日前にその小説もどきのある場面を書いている時の話しです。
ちなみに私は電車デビューがここ最近の新米で、ラッシュ・アワーに尻込みしながらも通勤の行き帰りに携帯電話の新規メールの中に文章を書き込んでいます。
それを後からパソコンの方にメールして清書するという具合にして頁を増やしています。
今書いているのは、頼まれた百万円の宝くじを猫ばばした冴えないサラリーマンと引ったくりを生業にしている若者が当選金を持って北海道に逃避行する話です。
若い方は、当選金の分け前を元手に中古車専用のバイク屋さんをやりたいと言う夢があり、自分も北海道のどこまでも続く一本道を走りながら旅をしたいという件で、その例えで『イージー・ライダー』の○○と主演の名前を入れるところで迷ったのです。
本当は直ぐに頭に浮かんだのはデニス・ホッパーだったのだが、一般にはピーター・フォンダの方がその光景がより鮮明かと思い、デニス・ホッパーは断念した。
私はショーン・コネリーやジョージ・クルーニーといった二枚目も好きだが、もっと好きなのはジャック・ニコルソンやマーロン・ブランド、ロバート・デニーやウィレム・デフォーなど、狂気を滲ませる一癖も二癖もある俳優が大好きです。
そしてデニス・ホッパーはその最たる俳優でした。
なんとなく分かるでしょう!?
これはつい二日前の話しです。
そして今朝の朝刊を見て驚きました。
あのデニス・ホッパーが前立腺がんで亡くなったからだ。
たまたま小説もどきの、しかもイージー・ライダーの件のシーンが無ければ、普段は思い出さない筈の
デニス・ホッパーを入れるかどうかで迷い、断念した彼の訃報が突然入って来る。
これはただの偶然かも知れないが、この偶然は何なんだろうと考えてしまう。
虫の知らせとはよく聞くが、縁もゆかりも無いスターの名前が何故連続して登場したのか?
似た様な体験が他にもたくさん有るが、その中でもジョン・レノンの場合もそっくりだった。
1980年の12月。
雪がちら付く寒い日で、私はファッションの専門学校に通っていた。
その日は授業に出ずに、渋谷のYUKI-YAというカジュアル・ショップのバイトに出ていた。
季節がらクリスマス商戦に向けた商品や飾り付けをしていた。
その日は何だか『イマジン』の曲ばかりが頭で何度も何度もループしていた。
そして夕方ジョン・レノンの暗殺を店のラジオで聞いたのだ。
これも只の偶然に過ぎないと思うが、その時も不思議な気持ちになったのを今でも鮮明に憶えている。
だからといって自分に霊感や何か特殊な能力が備わっているのかもなんて微塵も思っていません。
この奇遇・偶然をどう自分で処理すれば良いのか?
と言うよりも、なぜ二つの関係性を普通に流せなかったのか?
それをちょっと考えてみたくなっただけなのかも知れない。
鬼才、破天荒、超個性派名優、
デニス・ホッパー
に合掌。
連休中にたまたま「Sinead O'Connor & The Band (Garth Hudson, Rick Danko, Levon Helm) 」の”MOTHER”/THE WALLという曲を聴いて、久し振りにRoger Watersを動画で見ました。
Sinead O'Connor も The Bandも、勿論PINK FLOYDもとても想い出深いアーティスト達の競演(今は何でもコラボと云うんですね。)だったのでとても幸せな気持ちになったのと、もう一つ感じた事が有ったので今回はその事を書きたいと思います。
私は年代的にビートルズ世代の少しだけ後の世代です。
高校生の頃、ビートルズは勿論、ストーンズ、ザ・フー、ディープパープルやツェッペリン、ウィッシュボーン・アッシュなどをコピーするのがその頃の定番でした。
私は例によって多数派ではなかったPINK FLOYDにはまり、以来彼らは私の神様となり、彼らのお導きで現在の仕事についたといっても過言では有りません。
「原子心母」「おせっかい」「エコーズ」、そして「狂気」、「炎~あなたがここにいてほしい」など、彼らのサウンドはイマジネーションの宝庫でした。
彼らの音楽には色も映像も浮かび、そしてメッセージも突き刺さって来る魔力に魅せられたのを良く憶えています。
私は前述のロジャー・ウォーター派ではなく、初期の名曲を生んだ鬼才シド・バレットとデビッド・ギルモアの崇拝者でした。
独裁的に見えたロジャーが主導権を握ってからは、ピンク・フロイド独特な幻想的な曲は少なくなり、ストレートなメッセージ性が少々鼻についたからでした。
一方、THE BANDは音楽そのものより、解散コンサート「THE LAST WALTZ」の上品なエンディング曲が印象的で、ウッド・ストックとは違う散り際の哀愁を漂わせていました。
Sinead O'Connorは、上サンと付合い出した頃に、彗星の様に突如ミュージック・シーンに登場したスキン・ヘッズの女性ヴォーカリストでした。
ミュージック・ビデオの大半を彼女の顔どアップでしめて、宝石の様な瞳とプリンスの作った"Nothing Compares 2U"の切なく美しいバラードに釘付けとなり、上サンと二人で何度も何度も見ました。
それ以来何年経っても彼女のその曲を聴くと一気にあの頃に戻れる魔法の一曲となりました。
さて、たまたま聴いた私のフェイバリット3アーティストの曲。
その後、YOU TUBEで見たのがベルリンの壁崩壊直後の1990年「THE WALL Berlin Live」でした。
今回書きたかった事はその映像の中のRoger Watersではありません。
私の三大名曲の一つ、「THE GREAT GIG IN THE SKY」の映像の中にいたRoger Watersです。
ロマンス・グレーのリチャード・ギアばりの中年ベイシストに変貌を遂げていたのには驚きました。
個人的にあまり興味がなかったせいも有り、彼をずっと目にしていなかったので、ビックリしました。
決してハンサム君ではなかった彼が、とても魅力的に見えました。
それはただ単にロマンス・グレーになったという風貌(ヴィジュアル)だけではなく、伝説のバンド時代から現在に至るまでずっとミュージシャンを続け、今も尚色褪せない自信とステージ・ショー・ワークが醸し出す色気でした。
ミック・ジャガーもしかり、キースもしかり、年をとるごとに魅力を増す男達を目にした時に、真逆を進んでいるような自分に一抹の寂しさを覚えました。
あまり好きじゃなかったあのRoger Watersがあんなに渋くて色っぽいなんて、、、。
孔子の曰った、論語が目の前を過りました。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
年をとるのも中々大変だが、彼らの様に益々魅力を身にまとう男達に脱帽です。
Sinead O'Connor も The Bandも、勿論PINK FLOYDもとても想い出深いアーティスト達の競演(今は何でもコラボと云うんですね。)だったのでとても幸せな気持ちになったのと、もう一つ感じた事が有ったので今回はその事を書きたいと思います。
私は年代的にビートルズ世代の少しだけ後の世代です。
高校生の頃、ビートルズは勿論、ストーンズ、ザ・フー、ディープパープルやツェッペリン、ウィッシュボーン・アッシュなどをコピーするのがその頃の定番でした。
私は例によって多数派ではなかったPINK FLOYDにはまり、以来彼らは私の神様となり、彼らのお導きで現在の仕事についたといっても過言では有りません。
「原子心母」「おせっかい」「エコーズ」、そして「狂気」、「炎~あなたがここにいてほしい」など、彼らのサウンドはイマジネーションの宝庫でした。
彼らの音楽には色も映像も浮かび、そしてメッセージも突き刺さって来る魔力に魅せられたのを良く憶えています。
私は前述のロジャー・ウォーター派ではなく、初期の名曲を生んだ鬼才シド・バレットとデビッド・ギルモアの崇拝者でした。
独裁的に見えたロジャーが主導権を握ってからは、ピンク・フロイド独特な幻想的な曲は少なくなり、ストレートなメッセージ性が少々鼻についたからでした。
一方、THE BANDは音楽そのものより、解散コンサート「THE LAST WALTZ」の上品なエンディング曲が印象的で、ウッド・ストックとは違う散り際の哀愁を漂わせていました。
Sinead O'Connorは、上サンと付合い出した頃に、彗星の様に突如ミュージック・シーンに登場したスキン・ヘッズの女性ヴォーカリストでした。
ミュージック・ビデオの大半を彼女の顔どアップでしめて、宝石の様な瞳とプリンスの作った"Nothing Compares 2U"の切なく美しいバラードに釘付けとなり、上サンと二人で何度も何度も見ました。
それ以来何年経っても彼女のその曲を聴くと一気にあの頃に戻れる魔法の一曲となりました。
さて、たまたま聴いた私のフェイバリット3アーティストの曲。
その後、YOU TUBEで見たのがベルリンの壁崩壊直後の1990年「THE WALL Berlin Live」でした。
今回書きたかった事はその映像の中のRoger Watersではありません。
私の三大名曲の一つ、「THE GREAT GIG IN THE SKY」の映像の中にいたRoger Watersです。
ロマンス・グレーのリチャード・ギアばりの中年ベイシストに変貌を遂げていたのには驚きました。
個人的にあまり興味がなかったせいも有り、彼をずっと目にしていなかったので、ビックリしました。
決してハンサム君ではなかった彼が、とても魅力的に見えました。
それはただ単にロマンス・グレーになったという風貌(ヴィジュアル)だけではなく、伝説のバンド時代から現在に至るまでずっとミュージシャンを続け、今も尚色褪せない自信とステージ・ショー・ワークが醸し出す色気でした。
ミック・ジャガーもしかり、キースもしかり、年をとるごとに魅力を増す男達を目にした時に、真逆を進んでいるような自分に一抹の寂しさを覚えました。
あまり好きじゃなかったあのRoger Watersがあんなに渋くて色っぽいなんて、、、。
孔子の曰った、論語が目の前を過りました。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
年をとるのも中々大変だが、彼らの様に益々魅力を身にまとう男達に脱帽です。
昔から悪い事は人一倍早く経験してきたくせに、どうも文明の力(古い?)には滅法飛びつきが遅い。
世の中がレコード(これも古い?)からCDへ移行する時も、偏屈な理由を盾に、新しいモノ好きの連中を横目にスルーして、結局今は便利便利とCDどころかデータでやり取りしている始末。
MDやDATの時も6mmに同様に固執していました。
β vs VHSの時もβ派に回り、PCもずっとMac派とどうもマイノリティー気質が中々消えない様です。こんなアナログで偏屈な自分が漸くブログを始めようと重い腰を上げたところまでは今までより前進ですが、これといった目的もないまま始めたせいで、どう一歩を踏み出していいか?と頬杖を付いたまま一向に進めない状態です。まあ、とにかく夢想は嫌いではないので、思いついたタイミングでのらりくらりとやって行きたいと思います。どうぞ、お付き合い(誰と?)の程宜しくお願い致します。
世の中がレコード(これも古い?)からCDへ移行する時も、偏屈な理由を盾に、新しいモノ好きの連中を横目にスルーして、結局今は便利便利とCDどころかデータでやり取りしている始末。
MDやDATの時も6mmに同様に固執していました。
β vs VHSの時もβ派に回り、PCもずっとMac派とどうもマイノリティー気質が中々消えない様です。こんなアナログで偏屈な自分が漸くブログを始めようと重い腰を上げたところまでは今までより前進ですが、これといった目的もないまま始めたせいで、どう一歩を踏み出していいか?と頬杖を付いたまま一向に進めない状態です。まあ、とにかく夢想は嫌いではないので、思いついたタイミングでのらりくらりとやって行きたいと思います。どうぞ、お付き合い(誰と?)の程宜しくお願い致します。