鬱病の定義って何でしょう。心の病、心の怪我、脳の病、自律神経の乱れ、等。

 

最近自室が荒れてきて、出した服を元の場所にしまえない、皿洗えない、勉強机ぐちゃぐちゃ、メール返信できない、シャワー入れない等、もしや鬱なのではと思ったけど普通に7時に起きてバス乗って今教室でブログ書いてる。

 

アメリカのバスは色んな事が起こって楽しいです。

この前も登校中に運転手のおっちゃんがバス停で急に降りてどこえやら消えてしまって、なんだどうしたと思いながら周りの乗客を見回すも誰も気に留めていない様子。

 

しばらくするとランチを購入したであろうビニールバッグを持ったおっちゃんが何食わぬ顔で戻ってきて運転再開した。

仕事より人間の生理を優先する国アメリカ。

日本では考えられない違いを日々楽しんでおります。

 

愉しい話はここまででさて本題、

 

留学前、心配事の内の一つが不安症と鬱病持ちのおばあちゃんの事でした。

 

両親離婚後、父とは別居、母は個人事業主として働き、私と妹は祖母に預けられました。大好きなんですおばあちゃんの作るごはん。特にパンなんか最高で、機械で生地から作ってくれるんですけど、ほぼ毎朝焼きたてのおいしいパンを食べさせてもらっていました。

機会のゴウンゴウンいう音と生地が焼けている匂いで目が覚めるのです。幸せです。

 

おばあちゃんは添加物とか、農薬とか、神経質に気にする人なので、カップラーメンだのポテチだのたまには食べたくなるじゃありませんか、それらを食べてる所が見つかると、

体に悪いと嫌な顔をさせるのはまだマシで、

普段こんなに頑張ってあなた達の為を思って作っているのにと泣かれるので大変です。

 

おばあちゃんの悲しんでいる顔も泣いている顔も見たくない。

20年間育ててもらって、十分に愛されている。

 

自己満足につき合わされて面倒だなんてひどい事、口が裂けても言えるわけがない。

 

おばあちゃんって打つの面倒なので祖母にしますね。

 

何時からだったかも、きっかけもあまりよく覚えていないけれど、

たしか私が高校生だった頃か、祖母と祖父の関係が最悪になって祖母は祖父を目視する度に死ねだの、むかつくだの、暴言を小声で、だけども聞こえるようにボソボソと繰り返すのです。

登場人物全員同じ一つの家に住んでいるのでね、毎日罵詈雑言聞かされるわけです。

 

母は三人兄弟です。

祖母は、子供たちが幼いころ自分だけで子育てするのが本当に辛かった。

私が大変な思いをしている間じじ(祖父)は浮気していた。

子ども三人つれて死のうと思ったと泣きながら私に話すんです。

 

泣きながら辛かった辛かったと、

じじだってひどい事たくさんした、殴られた、どうしても許せないと泣いて言うので、許さなくてもいいよと私はいいました。

暴言を吐くことで祖母の気が済むのなら辞めなくていいよと言いました。

 

今思えばそれもよくなかった。

 

祖母の話を聞いていたのは私だけでした。

家族でばばに優しいのはいぶちゃんだけ。いぶちゃんが留学してしまうなんて、とまた更に泣くので困っていました。

 

通常思考ができないほど追い詰められた状態の人に正論を解いても無意味なので、祖母の言う事を全て肯定しました。

 

自称鬱の人間は、こちらの言う常識とか良識を、全て自分の中で捻じ曲げて解釈して、攻められたと、わかってくれないと卑屈になるのです。

あの方たちは恐れているのです自分の秩序を覆されること、自身の信念を否定されること。自分で自分を肯定する自信がないので自分を人質に周囲に自分を肯定させようとするのです。

 

自称鬱と書きましたが、白々しく感じているわけではないです。

個人的には実際にそこに在る、時として現れる現象と捉えています。なので鬱は甘えだとか弱さだとか、そんな軽薄な考え方はしていません。

 

祖母は自己犠牲の人です。みんなの為に、あなたの為にと早起きしてご飯を作って、無農薬の野菜を使いたいからって、畑までおこして、

感謝しています。

 

祖母の寛大を享受して、都合の悪い所は見て見ぬ振りをしてきたのは自分です。

祖母がこうなったのは私のせいでもある。

 

でもある時ね、このままではいけないと思って、思い切って祖母に言ってみたのです。

 

私たちの為ではなくてもっと自分の為に生きてほしいと、

あなたは無意識下で見返りを求めていて、尽くせど尽くせど望んでる形の感謝だとかが還元されないからつらいんのではないかといったんです。

 

そしたらこんなに頑張っているのにどうしてそんな事言うのかと泣かれました。

私が選択した言葉にも問題があったのかもしれない。

でもそれよりも、こんなに伝わらないものなんだというショックの方が大きかったので完全に諦めました。

 

もうおばあちゃんだし、何十年もそのままで生きてきた人の考えなんてそう簡単に変えられない。

これからも祖母の言うことは間違っていようが卑屈であろうが全て肯定してヨシヨシしておこうと決めました。

 

私には間違っていると聞こえても祖母の中ではそれは正しい事であり中枢なんです。

もうめんどくさい。