こんにちは。あいゆです。
真夜中にツラツラとお祝いの言葉を書きなぐっていたら思いのほか寝るのが遅くなって、今もモゾモゾと布団の上で書いてます。
いやぁ…私ほんとエイトさんにハマったなぁとしみじみ思う。笑
ほんとにブログにいなかった1.2ヶ月は死にそうな思いで日々過ごしていました。そんな中で、冗談とかではなく本当にエイトさんが生きがいだった。
4月は罪と夏、パノラマ、NOROSHIのCD全形態を某フリマアプリで買ってしまってた。CDはアルバムしか買わないと決めていたのに笑
なんでこの3つかというと、
一つは、2月の終わりに初めてジャニーズショップに行って、案の定買い込んでしまった生写真がこの3曲の時のやつなんですね。なんか合わせたくなっちゃって笑
二つ目は、シングルのみ収録されていて、アルバムには入らない「カップリング曲」がどれも素敵だったこと。特に罪と夏に入ってる、山田のThe Light。
っていうくだらない(私の中では全然くだらなくない!)理由でした、ちゃんちゃん。
ここから下は本当に重いし、所感を羅列してるので読んでやっていいよという方だけどーぞ笑
ほんとにねぇ、今もまだ抜け出せたわけではないんだけど、3月19日にあった当時の4回生を送り出す会から、GWに入るまで死にものぐるいでした。
ここでしか言わないけど、4月に入った時には精神的に病んでしまって、心療内科にもコッソリ行きました。診察結果は、鬱状態、とのことでした。
3/19の送別会は、本当にたくさんのOBGが来ていて、それだけで圧倒されました。
あの日の記憶は正直あんまりない。
この日に、ずっと連絡が取れずじまいだった同回生と2ヵ月ぶりに会ったけど、あの時は「どんな顔で会えばいいんだろう。どんな言葉を掛けたら良いんだろう。」それしか頭になくて。
勿論、4回生の方お疲れ様でしたという思いもあったし、送別会の代表だったから代表挨拶もしなくちゃいけなくて、緊張はしてた。でもそれ以上に、あの子と会わなければいけないという事実がしんどかったなぁ。でも当時は誰にも、あの子に会うことがしんどいことは伝えてなかった。
いや、あの子に対するモヤモヤは送り出した先輩に1度聞いてもらっていたか。でもやっぱ本音は言えなかったなぁ。
本音っていうのは、会いたくないし、あの子に会ったらこちらが怒ってしまいそう。ってこと。
あの子が居なくなってから、常に孤独との戦いだった。先輩も後輩もOBGも顧問も居たけど、結局は1人だった。
後輩からは、「自分たちより一年長くいた人だという認識はあるが、先輩だとは思えない。」ってハッキリ言われたなぁ。
グサっときましたね。別に先輩だから敬えとか、そんな思いはぜんっぜんなかったのだけれど、そうか、私はその程度の存在かぁと思ってしまって…。
私にはその感覚が全く分からない。学年は一つ上の先輩は私にもいるけど、彼は実際年が2つ上で、本当に「先輩感」しかない人だから。それが「恐怖」に変わるのもそんなに遅くなかった。
顧問の期待も、そんなに無いことは前々からうっすら感じてはいたよ。なぜなら、私にはダメだしがほとんど無かったから。
居なくなってしまったあの子は、自分ばかりが顧問に怒られて隣にいる私が怒られていないことが耐えられなかったらしいことは聞いた。
でも同じぐらい私は惨めだった。ハナから期待されていないということだから。勿論、顧問は期待していないだなんて言わないし、そんなことは流石に思っていなかったんだとも思う。あの子の方が確実にサークルに割く時間がある、それを見越してあの子を鍛えて強くさせないとという思いが強かったんだろうと思う。
でも、その期待の星がいなくなって、私を同じように育てようとはしていなかったように思う。こんなこと言うと怒られそうだけど。
私にはほんとに甘々だった。
とにかく潰させないようにしているのが見え見えで笑
それは顧問の優しさゆえだったのか、それともあの子を潰してしまったせめてもの罪滅ぼしだったのか、それは分からないけど。
その甘えに従順に甘えてしまっていた自分と、その甘やかされている裏に「期待していない」という事実が見え隠れしていたようで、それが何よりも辛かった。
自分は何のためにここまでやってるんだろうと何度も思ったし、鬱状態になる頃には「なんにも出来ない自分がなんでここに居るんだ、自分なんか生きていたってしょうがない、迷惑しか掛けてない」って本気で思ってたから。
実際、鍛えられていなかったし甘えてた私は、新歓準備の時、なんにも役に立っていなかった。
一つ上の先輩や後輩に言葉や態度では示さなくても甘えてた。
計画性の欠片もなかった自分が、新歓代表やりますだなんてよく言えたもんだと、今でも思う。
それはきっと周りも皆思ってただろうなぁ。
正直、送別会をやるまでは、新歓代表やってやるぞって気持ちは強かった。でも
送別会で沢山のOBGを目の前にしたら、「サークルがどれだけの歴史を持っているのか」という事実を突きつけられた気がして、怖気付いてしまった。
私の代で新入生0人でしたってなったら本気で笑えないし、死ぬしかないとすら思った。まぁ、とんでもないプレッシャーを感じたわけです。
先輩も、なんにも動けない私にさぞかし腹が立ってイライラしていただろうなと思う。それはもう言動を見ているとヒシヒシと感じましたわ。
終いには、私は居るようで居ない存在として扱われていた。
そう思うのは、被害妄想が過ぎるのかなぁとか思ったりもするけど、多分あながち間違いではないと思うんだよね。
あの先輩にとったら、まぁ邪魔だったんでしょう。突っ立ってるだけみたいなもんだったから。
先輩には思えない、って私に言った後輩(男)と、その先輩しかいない空間に自分が入ることはとんでもなく辛いことだった。いや、今もそれは変わらないか。
先輩はともかく、その後輩は、私なんかより本当によく出来る子だから、自分の不甲斐なさを映しているようで苦しかったし、先輩とは思ってないというだけあって、悔しく思う場面も多かったから。
何度か荷物だけ置いてトイレに逃げ込んで泣いたこともあった。
でも、最終的には、自分が代表なんだから逃げたらダメだというその1点だけが残った。
よく耐えたなぁと思う。ボロボロだったけど。
家を出る前に「行きたくないなぁ…」って思って泣いて、帰ってきて「また自分は何も出来んかったなぁ…ほんとクズだ」と思って泣く日々が続いてた。
ほんとクズだなぁと思うだけならまだしも、こんなクズが存在する価値って何だ?と思い始め、もう消えてしまいたい→死にたいに変わったとき、自分の中でも少し焦りが出た。
あ、死にたいって思うようになってきてしまったなって。それでやっと心療内科に行った。
その時にはもう、段々とストレスで食欲も失せて、1日1食や2食が普通になって、随分痩せた。
元々頭痛持ちだったけど、この期間ですごく悪化した。少し天気が崩れるようなら動けなくなるほど。
体も心も限界だった。
それでも新入生と会うときは笑顔でいなくちゃいけなくて、またそれがしんどかった。
幾度となくOBGには、
「いつでも連絡してこい」
「愚痴を吐け」
そう言われてきたけど、やっぱり自分が一番出来てないのに愚痴なんて言えるわけがないやと思って耐えてきた。
どこにも本音で甘えて泣かせてくれる人はいなかった。それは私が誰も信頼できていなかったからっていうのもあるんだろうけど。
総じて孤独だった。
でも、唯一の救いだったのは、1人のOBがしょっちゅうご飯に誘ってくれたこと。
全部とまではいかなくても、ほんの少し心の中に溜まっていたものを吐き出す時間をくれた。一つ上の先輩には今更相談できない些細なことも聞いてくれた。
あれすら無かったら、多分本当に自殺していたと思う。
あのOBさんには本当に救われた。
連絡もマメにくれる人で、グイグイくるなぁ…💦と思わない日がなかったわけじゃないけど、そのグイグイがないと潰れてたなと思う。
そう、心療内科にかかった時に、薬を処方されたけどあれは結局飲んでない。
元々服用してる薬があったのと、処方薬は私にとってお守りみたいなものだったから。
もうどうしようもなく生きることに疲れた時に飲もう
そう決めてた。だから今も机の引き出しにしまったまま。
ブログにいなかった期間は大体そんな感じ。
あとは、今もまだ専門との壁に挟まれて苦しんでるってことぐらいか。
まぁ、それはまた今度。
とにかく、心身ともにボロボロで、GWで親元でダラダラと甘えて(笑)少し回復したものの、まだ生きることにしんどさを覚えているけど、そんな自分の生活の中で唯一の楽しみがエイトさんなんです。(結局)
夏のツアーは大阪に申し込んでて、今週末に当落結果が出ます!ドキドキ!ワクワク!
最近はエイタメのDVDも出ましたね!
その感想もまた今度。
長々と書いてしまってごめんなさい。
では、また!
あいゆ