第一章 魔女

 

「父さん、ブステナは遠いの?」
 
 ブステナのことをよく知らないアンドレイは、出発の支度をしながら父親であるフェリックスに様々な質問をしていた。
 
「今回は車で行くから1時間半くらいで着く。」

 

 車を運転するのはフェリックスである。
 フェリックスは40代の技師であり、ラウラの家族とは長い付き合いがある。
 そして、息子であるアンドレイはラウラと同じ歳であり、幼少の頃からよく一緒にラウラと遊んでいた。
 
「父さん、誰から人を生き返らせる魔女の話を聞いたの?」
「お前の爺さんから聞いた。戦時中、爺さんは敵の部隊の襲撃に遭い、仲間を全員殺され、独りで逃げ回っていたところ、その村に辿りついたらしい。そして、そこで魔女に出会い、戦死した仲間達を魔女に生き返らせてもらい、仲間達と共に敵の部隊を殲滅させたらしい。」
「それ、本当なの?」
「本当じゃなかったら、あの時、爺さんは敵に殺されていたかもしれない。そうなると、私もお前も生まれなかったということになる。だから、行ってみる価値はあるんじゃないのか?」

 

 祖父が生きていたら、祖父に真意を確かめるところだが、生憎祖父は数年前に他界した。

 

「父さん、だったら、爺さんも生き返らせようか。」
「その理屈は分かるが、今回はラウラの死が早過ぎたから私達はラウラを生き返らせようとしているんだ。老死した爺さんまで生き返らせるつもりはないよ。」
「その魔女も老死していないかな。」
「それは分からないが、とにかく行ってみよう。何もしない訳にはいかないだろう?」

 

 そう言っている間に出発の支度が終わり、彼等は車に乗り込んだ。
 彼等が住んでいる町ブクラットはブステナから比較的近い。
 予定通り、彼等は1時間半後にブステナに到着し、魔女を探し始めた。
 
「父さん、ブステナのどこに魔女がいるの?」
「爺さんの話によると、この辺の山の中に大きな屋敷があるらしい。そこに魔女がいる。とりあえず、山の中に大きな屋敷がないか地元の人に聞いてみよう。」

 

 丁度その時、老婆が目の前を歩いていたので、フェリックスは彼女に声をかけた。

 

「すみません。この辺の山の中に大きな屋敷があると聞いてきたのですが、何かご存じありませんか?」
「ああ、あんた達も彼女に薬をもらいに来たのかい。どこか悪いところでもあるの?」
「ええ、まあ…友人が重い病気にかかっていまして。」
「そうかい、彼女は腕の良い医者だからね。きっと治してくれるだろう。あの山の中に大きな屋敷があって、そこに彼女はいるよ。」
「どうもありがとう御座います。」

 

 腕の良い医者、それが人を生き返らせる魔女の正体だろうか。
 だとすれば、死んだ仲間を生き返らせてもらったという祖父の話は、実は大怪我をした仲間を治療してもらったという話なのかもしれない。
 そう思うと、アンドレイは徒労感に襲われた。

 

「父さん、腕の良い医者であっても、人を生き返らせることは出来ないよ。僕はラウラが好きだったし、生き返らせたいとは思っていたけど、こればかりはどうしようもない。」
「決めつけるのはまだ早い。その腕の良い医者が人を生き返らせる魔女かもしれないだろう。人を生き返らせる力があるのであれば、病気を治療することくらい容易いものさ。とにかく、その腕の良い医者に会いに行こう。」

 

 早速、彼等は老婆から教えてもらった山へ向かった。
 すると、すぐに屋敷らしきものが見えてきた。
 おそらく、あれが腕の良い医者がいる屋敷だろう。
 期待と不安を抱えながら、彼等は急ぎ足で屋敷へ向かった。

 

 屋敷に到着した彼等は、辺り一面に様々な花が咲いていることに気付いた。
 しかし、山の中に入ってから屋敷に辿りつくまでそれらの花を見かけることがなかったので、不思議な感じがした。
 自然の花だろうか。
 そんな疑問を抱えつつ、彼等は屋敷のドアをノックした。
 すると、若くて美しい女性がドアを開けてくれた。
 長くて黒い髪、しなやかな肢体、そしてゴシックなドレス。
 彼女はアンドレイがイメージしていた魔女そのものだった。
 
「何か御用でしょうか。」
「すみません、腕の良い医者がいるという話を聞いたのですが、こちらで間違いないでしょうか。」
「祖母に会いに来られたのですね。どうぞ中へ。」

 

 そう言うと、彼女は屋敷の中へ入れてくれた。
 屋敷の周りの花といい、彼女の容姿といい、アンドレイはこの屋敷からただならぬものを感じ始めていた。
 
「こちらで少々お待ちください」

 

 彼女はそう言うと、誰かを呼びに行った。
 おそらく、ここに医者を連れてくるのだろう。

 

「父さん、医者が来たら何と言うつもりなの?」
「先ず、爺さんから聞いた話について心あたりがないか聞いてみる。そして、ラウラのことを話す。」
「死人を生き返らせてだなんて言うのは非常識だよ。」
「じゃあ、爺さんが嘘を付いたとでも言うのか?」
「その話、大怪我をした仲間を医者に助けてもらったとか、そんな感じじゃない?」

 

 そんなやり取りをしていたところ、若い女性が医者と思われる老婆を連れてきた。

 

「私に用があるというのはこの人達かい、ユリア。」
「そうです、お婆様。」

 

 若い女性はユリアと言うらしい。
 そして、この老婆が彼女の祖母であり、腕の良い医者と言われる人物なのだろう。

 

 フェリックスは老婆に向かって話しかけた。

 

「初めまして。私はブクラットから来たフェリックスと言います。こちらは息子のアンドレイです。以前、私の父ジョルジェから戦時中にブステナで仲間を治療してもらったという話を聞いたのですが、こちらで治療して頂きませんでしたでしょうか。」
「ああ、あんた達はジョルジェの息子と孫か。彼等を治療したというのは私だよ。もう数十年前の話だけどね。」

 

 この老婆は祖父のことを知っているようだ。
 それにしても、数十年前に出会った人間の名前を覚えているなんて、この老婆は記憶力が良いのだろうか、それとも名前を忘れないくらい祖父と親しい関係だったのだろうか。
 少なくとも、この老婆が祖父の話に出てくる魔女の可能性が高そうだ。

 

「父の話によると、仲間は敵の部隊に殺され、その後治療をしてもらったことによって生き返ったとのことですが、死んだと思えるほど酷い怪我から回復したということでしょうか。」
「いいや、私が診た時にはすでにジョルジェの仲間は死んでいたよ。いくら私でも死人を回復させることは出来ない。私はジョルジェの仲間に薬を飲ませて死んだまま動けるようにしてあげただけ。そうしないと、ジョルジェが敵の部隊にやられ、この村も占領されてしまうところだった。あの時のことはよく覚えているよ。」
「死んだまま動けるようにするというのは、一体どういうことですか。」
「アンデッドにするということ。」

 

 アンデッド?
 ゾンビや吸血鬼のことだろうか。
 そういえば、数百年前にこの国に存在した君主ドラゴは実はアンデッドであったと記載されている文献がある。
 しかし、その文献はドラゴを恐れた敵国が書いたものだから、信憑性が低い。
 ドラゴは敵国から自国を守るために残酷な行為を多々行ったため、敵国にとってドラゴはアンデッドだと思われるほど恐ろしい人物だったのだろうという説が有力視されている。
 
「アンデッドというと、私は君主ドラゴの話を思い出すのですが、それが一体どのようなものなのか私達は存じ上げません。その薬を死人に飲ませてアンデッドにすると、死人は一体どのような状態になるのですか。」
「死んでいるが、まるで生きているかのように動き出す。見た目も性格も生前とあまり変わらないが、生前より強い力を持った状態になる。アンデッドになったジョルジェの仲間達はあっという間に敵の部隊を殲滅させてしまったよ。」
「薬を飲ませた後、死人はいつまでその状態で活動することが出来るのですか。」
「アンデッドは歳を取ることがなく、体がある限り動き続ける。但し、3年以内に人を食べる魔物に変化することがある。」
「アンデッドになった父の仲間達はその後どうなったのですか。」
「敵の部隊を殲滅させた後、彼等は自分達の体を火葬して欲しいとジョルジェに頼み、ジョルジェは彼等の体に火をつけた。彼等は人を食べる魔物になってしまうことを恐れたんだろうね。」

 

 つまり、その薬をラウラに飲ませれば、彼女は死んだまま動けるようになるということ。
 しかし、その薬を飲ませてから3年以内に彼女は人を食べる魔物になってしまう可能性がある。
 何とか魔物にならずに済む方法はないだろうか。

 

「魔物に変化することがあるとのことですが、どういった場合に魔物に変化してしまうのですか。」
「薬の材料の質で決まる。材料は、死んだ者と親しい関係にあった人間の血とこの屋敷の周りに植えてある黄昏花だが、本当に親しい関係であった人間の血を使わないと、質の悪い薬になってしまい、その薬を飲んだ者は3年以内に魔物になってしまうよ。」

 

 アンドレイはラウラの最も親しい友人だった。
 アンドレイの血を使えば、質の悪い薬にはならないはず。
 
「その薬を使って、病気で死んでしまったラウラという15歳の女の子を再び動けるようにしてあげたいのですが、薬を作ってもらうことは出来ないでしょうか。」
「15歳…それは早過ぎる死だね。私みたいな老いぼれがこうして生きているのに、そんな若い子が死ぬのは気の毒だ。薬を作ってあげよう。しかし、誰の血を使うかね。」
「アンドレイの血を使って下さい。アンドレイはラウラの幼馴染で、最も親しい友人関係にありました。」
「そうかい、分かった。では、アンドレイ、早速だが血をもらおうかね。1滴か2滴あれば十分なので、このナイフで指先でも切って血を出しなさい。」

 

 医者らしかぬ発言。
 ここには採血するための器具がないのか。
 そして、ナイフも消毒しないのか。
 やはり、この老婆は医者ではなく、魔女なのかもしれない。
 そう思いながらも、アンドレイは老婆から渡されたナイフで素直に指先を切り、血を提供した。

 

「では、もう一つの材料である黄昏花を取ってきてもらおうかね。ユリア、案内してあげなさい。」
「分かりました。」

 

 フェリックスとアンドレイはユリアに誘導され、屋敷の外に出た。
 そして、ユリアは屋敷の周りに植えてある赤い花を指差した。

 

「これが黄昏花です。黄昏花は種子をつけないので、人工的に繁殖させないといけません。屋敷の周りにしか黄昏花が見られないのはそのためです。黄昏花は君主ドラゴがこの国を治めていた頃から栽培されるようになりました。」
「ドラゴの時代から栽培されていた花ですか…。もしかして、ドラゴはアンデッドだったという話は本当だったのでしょうか。」
「ドラゴは敵国から自国を守るために有能な研究者達を集め、様々な研究をさせました。その時に黄昏花が作られ、アンデッドの薬を作ることも出来るようになりました。その後、ドラゴは一度戦で命を落としましたが、アンデッドの薬によって復活し、その力を持って敵国の侵略を防いだとされます。」
「お詳しいですね。」
「私と祖母はその研究者達の子孫で、当時の様子が記載された文献と、技術について記載された文献を持っています。それらの文献には、一般に知られていないことが数多く記載されているのです。」

 

 有能な研究者達の子孫、それが魔女の正体。
 彼女達は腕の良い医者だと思われるほど高い技術力を備えている。

 

「アンデッドの薬の材料になるのは黄昏花の花びらです。アンドレイ、花びらを採取してみて下さい。」

 

 アンドレイは黄昏花の花びらを数枚ちぎった。
 そして、屋敷に入り、ユリアの祖母に花びらを渡した。