未来の自分にとって、有用有益な内容の記録を残したい。私を取り巻く環境はいつだって変わりゆくし、自分だと思っていた自己も(環境の影響を受けながら)やはり変わっていくみたいだ。


その時々に感じたことや考えたこと、思ったことを書き留める。それらは自己の連続性に欠け、一瞬一瞬がバラバラでツギハギのような毎日を送っていた私の時間軸を、過去現在未来と、きちんと連続したものにしてくれた。


今は思考がまとまりにくいけれど、それもそのままあるがままに書いておこう。

本当は、一つのトピックを考察も交えて論じる(だなんて大層なこと頭悪いので出来はしないけど)ことが好きだ。いつかこの思考がまとまるようになってから、いくつか書けたらいい。



書きたいことのメモ。


○境界性パーソナリティ障害のいわゆる"高機能"、"低機能"について(もし本当にこのような分類があるとすれば私は低機能だ。しかし言及したいのは分類自体成立するのか否かということである。)


○境界性パーソナリティ障害の自己客観化をいかにして可能にするのか(境界性パーソナリティ障害の特性として自己中心性が挙げられるが、そもそもPtは自己客観視、客観化が障害されているのではないかという仮説を立ててみたい。)


○発達障害と境界性パーソナリティ障害との差異について(いわゆる重ね着症候群としての見立て、それに対する反証。境界性パーソナリティ障害という病名に対するPtの抵抗とスティグマ。)



うん、今はまだ書けないな。笑

そもそも私は医療の素人だから、あくまで患者本人として、当事者としての主観を超えられない。


春が苦手だ。

毎年春になると精神的に不安定になる。

地に足がつかなくて、グラグラとした、そしてフワフワとした拠り所のない感覚に陷ることが多い。


周囲は新しい季節で気持ちも新たに次へ次へと進んでいくのに、自分は一歩を踏み出せないまま置いていかれてしまったかのような不安にかられる。


今年は特にその不安感が強くて、どうしようもなかった。


気持ちを切り替えなくちゃ。

大丈夫。

どんな季節も同じように通り過ぎてしまうのだから。



夜寝付けても朝早くに目覚めてしまい、睡眠が不十分で自分の状態が悪くなっていることを自覚していた。


処理しなければならない目の前のタスクは何一つ片付かないまま、考えたくもないことで頭の中が忙しくなる。周りの楽しそうな談笑が私の悪口に聞こえてくる。夫の気の利いた親切さえ、揚げ足取りの嫌がらせのように感じる(彼は嫌がらせをするような人間ではないし、他者に対してとても親切で好意的だ)。


あぁ、これはまずい。

また、ここまで悪化させてしまった。


昨日は精神科通院日だった。診察では、前回受診から今までの振返りと、次の診察までの課題や現状の共有などを行った。

薬を超短時間型のものから短時間型のものへ変更。しっかりと眠れるように。現状の確認では、厳しい環境の中とにかくよく頑張っている。しかし強い不安の際には電話再診してもよいので無理をしないこと。


感情が暴走する。感情が暴走しないよう言語化する。拙い語彙力では表現しきれない程の、圧倒的な感情の嵐をできる限り文節するんだ。


冬の鬱から春の躁へ、この季節はどうしても苦手だ。