目に見えないコミュニケーション~信頼される感覚~⑦ | あまあま子育てからの脱却(汗)ブログ

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三姉妹の母親です。
このブログは、自分の子育てが間違った権威による《あまあま子育て》であると知り( ̄Д ̄;) モンスターペアレントであると自覚しΣ( ̄ロ ̄lll)
日夜あまあま子育て&モンスターペアレントからの脱却を図る三姉妹母の奮闘ブログです。

最終章です(笑)

これを書こうとすると色々起きて、当初書こうと予定してたものが変更になり続けてます。
今日こそ書き終えれるかな笑い泣き笑い泣き笑い泣き



信頼って、期待じゃないなっていうのがまず1つと。

信頼って、その人の行動や行いに対して持つものでは無いんだなってこと。行動や行いに持ってる時点で期待、期待混じりの信用になってるのかな?と。

これはあくまで私の体験を通して感じたもので、正解ではないけれど。


信頼って。その人のエッセンスを信じてる自分自身を信じる・信頼するってことなんじゃないかな?と感じました。

相手に向けるもの、感じてもらうもの、分かってもらうものではなくて。自分が持つもの。



自分が相手の何を信頼しているのか、があるからこそ。その部分において尊重も出来るし、受容も出来るし、容認も出来る。
もちろん、自分の責任のもとで。


自分の中に相手のなにかに対して信頼がなければ、尊重なんて出来ないのかー笑い泣きアセアセアセアセアセアセ


一生懸命子供を尊重したい!ってやってても出来なかった1つの要因はここだったんだー笑い泣き笑い泣き笑い泣き

って、今書きながら『そうだったのかびっくり』進行中(笑)



で、これを知っているからこそ。
聖なる権威は執行出来るのかぁ…これはまた別の機会に。


話戻そうアセアセアセアセ
信頼される感覚って。

今まで私は自動的にありもしない期待をくっ付けていたから分からなかったけど。



尊重されていると感じることが出来ました。

『尊重されるってこんな感じなんだガーンキラキラキラキラと。

失敗しても間違っても、それが私の体験なんだということを尊重される感覚。

それが良いとか悪いとかというジャッジメントではなくて。受容とか容認されてる感覚。


そしてそれは

怖くなったり緊張したり重くなったり萎縮したりしないものなんだと知りました。



信頼されるというか、信頼関係があるという関係性は、何か求められたり、期待されたりというものが存在しない。


あわあわ(・゚д゚`≡・゚д゚`)おろおろ:(´◦ω◦`):じたばたo(>ロ<o) (o>ロ<)o


そんな感情的反応をしてる自分を本来の自分にスっと戻してくれるような、そんな感じがしました。



(;・ω・)ハッ!として、すぐ恥ずかしさがやって来ます。

『私は何をやってたんだガーンアセアセ

『ちょっアセアセ今、めちゃ恥ずい滝汗滝汗滝汗


でもそこに、期待がないのであれば。

尊重というものがあり、信頼を感じられたら。



一瞬の恥ずかしさの後、

ただただ安心します照れイエローハーツホッとします照れブルーハーツ


今体験したものを落ち着いて自分の中に落とし込めていけたりA〜ha( ¯∀¯ )ルンルン


その信頼や尊重されてることを感じることで、次へのチャレンジへの力にも勇気にもなります(๑و•̀ω•́)و✨



十分にその体験が何だったのかを理解するスペースが与えられるんだなと感じました。



これが起きたのが、美穂子さん最後の子育てマスターコースだったのがなんとも(笑)

でも不思議なことに。

言葉でこうして、起きたことを言葉にすると長ーいのに。私がしっかり聞けてなかった箇所はほんの数分でした。



言葉で説明したり伝えたりすることは、何とも時間を要するな(;-ω-)ウーン


で、思うんです。


子育てにおいて、

何かを伝えよう教えようと言葉や説明を使うことの難しさや伝わらなさ加減を笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私の演説がなぜ子供に伝わらないのか笑い泣き笑い泣き

このブログが読みづらい!と言われるのか笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私の下手くそは紛れもない事実ですよゲローゲローゲロー

世の中にはとてもシンプルに的確な言葉で伝えてる人はたくさんいらっしゃいますから✨


それでも。

子育てや人間関係において。

言葉で図っていくコミュニケーションの難しさを感じずにはいられません。



子育ては言葉だけでは無理なんだ、と今更ここ笑い泣き笑い泣き笑い泣き


今回の信頼や尊重、受容される感覚は。

体験して学んだものです。


そしてその体験は言葉にするとものすごく長く、たくさんのことが瞬間的に起きています。



これらを踏まえて………


子育てに大切なのはテクニックじゃなくて、やっぱり親の在り方で。


何を子供に伝えていきたいのか、どんな風に子供を育てたいのか、それを軸に持ち関わっていく。


でもそれは言葉や行動で示し伝わるのはほんの僅かで。


それらの言葉や行動の奥にある親の何かを子供は敏感に感じること、受け取ることもまた事実で。


だから、親がいかに自分の内側に起きてる様々なものをクリアにして。


純度の高い愛や信頼や尊重の中、子供と関係性を築けるか…


人間は完璧ではないし、親だって完璧じゃない。

だから純度の高い、というか


無条件の愛や信頼や尊重を四六時中保つなんてゲローゲローゲロー困難極めます(笑)


良いんです、それで多分(笑)


困難極めながらも、


無理笑い泣き笑い泣きと感じながらも、

それでも1つの1つ出来るとこからやり続ける姿こそ、


子供が大人になって子供を持ち育てる時の指針になるのではないかな?と思うんです。


完璧な姿を見せる必要はなく、何よりその過程をリアルタイムで見せれる方に私は何だか希望を見てますお願いお願いお願い(笑)

単純か?単純だ(笑)



『見とけ子供ら!こんな時はこんな風に自分をクリアにするんじゃームキーッキラキラキラキラキラキラキラキラ』とか(笑)



親の在り方が子供との見えないコミュニケーションに大いに関係してるのは事実で。


その目には見えないけど確実に存在しているその領域が出来ることは、言葉や行動で出来ることよりももっと広範囲で深い。


使わない手はないだろうニヤニヤニヤニヤニヤニヤ


いえ、悪用はしません(笑)

悪用したってバレます(笑)

大人だって、分かりますもんね(笑)


また長くなりましたが。

目に見えないエネルギーレベルのコミュニケーションが出来ること。それが担う領域というか、影響力。

そしてそれを作り出すのは親の在り方だということが分かりました。


どこまでも自分だけど。


私の夢は聖なる権威使いを一家に1人キラキラ

お父さんやお母さん、子供からでも。

どこからでも始められると私は思ってます。


我が家に1人聖なる権威使いがいるんですが、パートナーシップのこじれもあり、最近ひねくれておりますぼけーぼけーぼけー


ひねくれた旦那に愛をハート

頑張れ私、憎しみを愛へ昇華させろ(笑)



ではではまた。

読んで頂いてありがとうございましたm(_ _)m


次回は難航する聖なる権威使いへの道、です(笑)