今日無事に葬儀を終えました。
桜が満開で、葬儀場も火葬場もとても綺麗で、母も一緒にこの桜を見れたらなあと思ってしまいます。

亡くなる当日、どんどん麻薬を増やしても、レスキューで追加しても、痛がっていました。
一晩苦しんで、朝も苦しみ、やっと昼から三時間くらいねむりに入りました。寝ている途中で痰の吸引のために鼻から管を入れた後から、また目が覚めて苦しみだしました。
結局苦しんだ割に痰はとれず、苦しませるだけの結果になってしまいました。
目が覚めてからは、それまでよりももっと辛そうで、苦しくて大きな呼吸をするだけで眉間にシワを寄せて苦悶の表情をしていました。
付き添っていた私と叔母は、ずっと身体をさすったり、体位をかえたりして、二人で楽しい会話をしていました。母が聞こえる会話が少しでも楽しいように…。
夜になって父が病院にくると、母は少し苦しいのが治まった様子にみえました。
夜眠るために睡眠薬を入れるのですが、昨日はすぐに効いた薬が一時間たっても効かず、また痛みを訴えるようになり、父がレスキューをお願いしました。
その時の血圧は69-40くらい。
低すぎるので、看護師が他の看護師に相談しにいきましたが、結局痛いなら痛み止めを入れるしかないと。
レスキューしてすぐに母はうとうとしはじめたので私も安心して、家へかえりました。
家に着いて、ちらかりまくりの部屋を掃除していると二階から下の子がギャン泣きする声が…パパがいっても泣き止まないみたいで、私も二階へ様子見にいっている間に、父からの電話がありました。
二度目のコールで気がついて、掛け直すも繋がらないので不安を感じてすぐ病院にいく支度をしていえをでました。
途中父からの電話で、母が急変したからすぐくるようにと。
夜中に車を飛ばしてかけつけましたが、私が病室に入った時はもう、心拍の装置が0になっていました。
電話のあとほんの数分で、あっと言う間に逝ってしまったそうです。
まだ、暖かく、寝ているだけの表情でした。信じられない気持ちで、抱きつきずっと泣き叫んで母のかおをさすっていました。
やがて父に後ろから抱きしめられ、お母さんは、苦しまないで眠るように心拍が落ちて亡くなったと聞かされました。
もう少し私が病院にいたら。
もう少しお母さんが永く息をしていたら…。
間に合ったかもしれないと思うと、やるせなくて、生まれてはじめてくらいの勢いで泣きじゃくりました。
最後は一緒にいたかったんだよ、お母さん…。




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主治医から、このまま意識を保ちつつ痛みを抑えるのは限界だと、言われました。
痛みを取るために、麻薬を増やすか増量しないでこのままいくか…。
麻薬を増やすと、鎮静効果がですぎて眠ったままになるかも、呼吸抑制で呼吸出来なくなるかも、と。
麻薬を増やさなければ、痛みはますますひどくなるが、痛みは覚醒につながるので意識は保て、コミュニケーションはとれる。
父は迷うことなく痛みをとることを優先しました。
その後は、麻薬はどんどん量が増えていきました。
1.5mlから2.6mlまで増えていた痛み止めは、3mlになり、3.5mlになり、4mlになり、最終的には4.5mlまであがりました。
どんどん上げても、レスキューを入れる時間は短い時は一時間もちません。
特に夜は眠れず、一時間おきのレスキューが続きました。
終末期になると麻薬も効かなくなるのでしょうか?
母が使っていたのは点滴のフェンタニルですが、せん妄はでましたが、鎮静効果による眠気や呼吸抑制は少なめだった気がします。
打っても打っても痛がる母…かわいそうで、何も出来ないのが辛くて…。
痛み止めも麻薬以外にロピオンやアンヒバ坐薬、夜は眠れるクスリ、セレネースだったかな?もしました。
がん性疼痛には効く麻薬もただの腰痛や褥瘡による擦り傷には効かなかったり。
本当に疼痛管理は難しいと思いました。

個人的には看護師さんが、睡眠薬や痛み止めを入れる時に「このまま目を覚まさないかもしれないですが本当にいいですか?」と何度も念を押すのが辛かったです。
痛みはなくしたい、コミュニケーションもとりたい…そんなギリギリの所で決断しているのですから、後悔なんてするにきまってます。
でも、痛くて痛くて苦痛にゆがむ顔で逝かせるのは嫌だったんです。
結局、最後まで昏睡状態にはなりませんでした。
最後の日に呼吸するのも辛い表情がまだ鮮明に残っています。






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昨日の夜
29日の夜に
おやすみなさいと眠りについたまま、静かに亡くなりました。

亡くなるまでの最後の闘病はまた後日書きたいと思います。


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