「当たり前」が「普通」じゃなくったっていいじゃない。自分の「あたりまえ」が崩れていくこと。「普通こうだよね?」の、「普通」が普通では無いと気付かされること。人と人が関わる時。特に、何の脈絡もなく不意に出会う人。その2人に共通する「普通」なんて、「普通、生きている人は心臓が動いているよね」くらいかもしれない。「普通」と思っていることも「私はこう思う」というスタンスに意識してみてはどうだろうか。食い違った「普通」は、どちらが正か誤かという事はない。フラットな心で。そうしたら、徐々に2人の「普通」ができてくるだろうから。