同じ「不登校」の子の親だったのに、「学校に行けるようになった!」「就職した!」など、脱・不登校の話を聞くと、素直に喜べずに焦りを覚えてしまう。

それはまるで独身時代に「結婚するの」と言う友達に、いつまでも独身の自分が素直におめでとうと言えない事と似ているだろうか。


どちらの場合も、そんな風に思う自分を惨めに感じてしまうかもしれない。


惨めに感じてしまっても、仕方がないんじゃないかな。
そう感じるのが普通なんじゃないかな。
そう感じた自分を、責める必要なんかない。
きっとそれでも「おめでとう!よかったね!」って言えたんだろうから。
立派だったよ。


それで?どんな感じなんだろうか。
我が子の最近の様子は。


部屋に閉じこもって出てこない?
それとも、
遊び歩いてばかりでロクに会話も出来ていない?


私の息子は、高校中退後、二人の弟に「ニート」「無職」と呼ばれる状態が続いております。

息子本人は自分で規則正しく生活しようとしているし、夕ご飯を家族揃って食べる時間を大切にしてかれているし、一緒に買い物や外食に行くことへのハードルも随分低くなりました。家事も言えば手伝ってくれるし、よく笑うし、話もたくさんしてくれます。

復学や就職という、ステージが変わる様な変化は無いけれど、変わらないステージの中でも動きが変わってきています。

「買い物に行くの、随分平気そうになったね」
「大きな進歩だね」

そんな会話を2人でしながら。
変化を確認し合いました。



周りの子と我が子を比べてしまう時もあるかもしれないけれど、比べる時間を長引かせたり、深く考えたりしない事をおすすめします。

それよりも、そんな事よりも、我が子の変化に気付いてあげたい。
我が子の頑張りを認めてあげましょう。

他人と比べてどう思ったかと言うのは、親の感情。
親自身がそう感じるのは嫌だからと、我が子に押し付けるのはエゴだよ。

そもそも、我が子を親が恥じていたら…その子供はどんな気持ちになるでしょう?

我が子の進歩ばかりを見ることなく、親自身の心の持ち様を俯瞰して感じてみてください。

学校に行かなくても、仕事をしなくても、勉強が出来なくても、わがままでも、我が子でしょ?

そして「我が子」とは言うものの「我」の所有物では無いのです。
親と対等な1人の人間。
親のエゴでコントロールしようとする事なかれ。

愛情表現を間違えないで。


笑って生きていればそれでいい。


私のベースはそれなんです。