現在、重たいお尻を上げつつ求職中なんだけどね。
某派遣会社、いろいろ求人情報送ってくるんだけど、申し込みすると今のところ全て選考に落ちましたってメールが来る。
一応、私の経歴みておすすめする求人だってことなんだけど。
片っ端から選考が落ちるのってどういうこと?
もちろん、年齢もあると思うけど。
派遣社員としてはブランクあるしね。
50歳を過ぎると余程スキルや経験がない限り、条件の良い仕事は回ってこないって、昔言われた事ある。
確かにそうだ。
今、身をもって体験中。
凹むよね。
普通に。
これでも、精一杯大切な人の為に生きてきて、いろんな事を考えながらお仕事してきたんだけど。
今の日本の一般的な考え方からすると、私は戦力外な人間なんだなって。
まあ、わかっていたなら、なぜこの日に備えてスキルアップしてこなかったんだってね。
そこを責められると反論出来ない。
その日がよければ、又は大切な人の役に立てればって、仕事を変えたり休職したり、自分のキャリアをしっかり成長させなかったのは私の落ち度。
キャリアとは「轍」である。
と、キャリア系のスクールに通っていた時に、講師から学んだ。
自分の人生を振り返ったとき、生まれた時から今までの経験や仕事や人との出会いが、全て自分の素晴らしいキャリア。
でも、仕事に活かせる経験や体験や資格など。
私にはあっただろうか?
私は私を置き去りにして、自分の人生を見つめるのが怖くて、他人の世話に逃げていたのではないだろうか?
例えば
社会人になる最初のスタートの時に、私はどれだけ自分の未来に想いを馳せられたであろうか?
残念なことに、学生時代からメンタル若干病んでいたので、社会に出る事が恐怖でしかなかった。
そんな私に自分の未来のビジョンは何もなくて、相談できる大人も無く、流されるままに職に就いた。
そして、現在、積もり積もった逃げ癖が、このような状況を招いているのかなと、かなり悲観的な気持ちになっている。
(ちょっと自分に厳しい表現をしてみた)
ただ、このまま、悲観的な世界に引きこもって、絵に描いたような50代の悲惨な人生を送りたいのだろうか?
チキンな私だが、そこは受け入れたくない。
悔しいと思う気持ちは残っているのだから。
人生、100年時代と言われて、私はまだ半分しか生きていない。
医学もどんどん進歩してる。
多分、余程うっかりなことがなければ、私はまだ生き続けるだろう。
だから、もがく。
まだ、何かできるよね。
これからスタートできることあるよね。
古い50代の価値観、固定観念をぶっ壊したい。
そんな私らしい力が欲しい。
来年の今頃、このブログを読み返した時に、私はもがいてもがいて泣きながら戦ってたけど、今は笑って私らしい立ち位置で生きてるよって、未来の私は私に言えたらいいな。
と、言うか、決めよう。
「私は私らしく生きてるよ。あの時に悔しかった想いを力と知恵に変えて笑っているよ」
って、言う。