私がしむどうを見始めたのは、雅紀に深く堕ちた2007年からだから、気付けばかれこれ12年も欠かさずこの番組を見続けている事になります。
番組自体は、さらにその数年前から始まっていて。レギュラーメンバーが入れ替わる中で、園長、まみちゃんと共に最初から変わらず番組の「顔」としての役割を務め続けてきただけでも、偉業だと思います。
そんなしむどうの長い歴史の中でも。
私の知らない頃の雅紀は、動物の知識もほとんど持ってなくて。たまに発言すれば、とんでもない天然炸裂
で。それがチャームポイントの、番組のお飾りアイドルみたいな立ち位置だったんだ…って。過去映像を探して辿ってみた時に、そんな印象を受けたのを記憶しています。
そして、私がリアルにしむどうを見始めた最初の頃は、まだ「見習い飼育員」として、国内外の動物園にロケに出向き。猛獣、珍獣、可愛い動物の飼育員体験を通して、いろんな動物との触れ合いを、バラエティ色豊かに伝えてくれていて。
この頃の企画が始まる時かと思うけれど。ロケに出て自分のコーナーを持つ事に対して、志村園長から貴重な教えをいただいたのよね。良くも悪くも、視聴者の評価はスタッフに対してではなく、自分に返ってくるから。だから、年齢だとかキャリアは関係なく。自分が思ったこと、やりたい事をちゃんとスタッフと話して納得できたものを作りなさいと。
雅紀が、単独でバラエティのレギュラーになるって決まった時、にのちゃんがすごく心配したのは、きっと雅紀の自分よりひとの気持ちを優先させるような気遣いだったり、人見知りで控えめなところだったりを心配してのことだったんじゃないかなぁって。勝手に想像したりするけれど。
しむどうの中だけでも。お飾りのようなひな壇に座って天然発言で和ませる立ち位置だった雅紀が。自らロケに出たいって申し出て。きっと試行錯誤しながら、飼育員見習いとしての立ち位置を確立していって。
雅紀ドットコムで、それまでのどちらかといえば受け身的なキャラから、雅紀が発想を膨らませて動物を楽しませるシステムを作り上げるっていう、自発的な立ち位置での企画になり。
その後…単独冠番組の誕生やドラマ、映画…多忙を極めて、きっとロケにも行く事ができなくなったんだろう、雅紀のコーナー自体がほぼない時期を経て。
このトリミング企画が、本当に雅紀の人となりを1番表しているんじゃないかって思える。そんな企画を持てた事。その姿を見られる事が、何よりの宝物だと。
昨夜のしむどうの多頭崩壊の現場での雅紀の立ち居振る舞い。そして、飼育放置された毛玉だらけの、しかも男性を極端に怖がり牙を剥いて威嚇しまくる犬を扱う姿を通して。
芸能人として。アイドルとして。ひとりのオトコとしての格好良さだけでない。
ひととしての格好良さを、これでもかと見せつけられた。ヤラれた〜〜
あんなひと、本当に他に居ない。絶対居ない。
私たち。本当に、なんてスゴいひとを好きになったんだろうね。
どんなに飼い慣らされてる動物だっていつ野生の本能をひとに向けるかわからない。ましてや、ひとの温もりを知らない。どう出てくるかわからない。そんな犬に対しても。雅紀の人間力が伝わるんだという事を目の当たりにした気がします。
怖がらないように、充分気遣いながら。常に声をかけながら。
でも。格段と手際よく作業を進められるようになってたね。細心の注意を払いながらも、できる限り手際よくする事が、ストレスや恐怖を最小限に済ませる事に繋がるって。経験から学んだんだね。
今回の犬が小型犬だった事もあるけれど。あんなに暴れまくる中で、捕まえては躊躇なくシャンプーする姿を見ていて、そんな風に感じました。
きっと。怖がり逃げ回る中でも、触れる手の温もりと感触から人柄そのものが伝わるんだなぁって。
綺麗にして貰ったワンちやんたちは、必ず。もれなく雅紀に懐いて寄って行くもの。
警戒心の塊みたいだった子が、どの子もどの子も。
それが何よりの証拠だよね。
雅紀が番組通して関わる部分は、きっとほんのひと握りで、氷山の一角で。自分の立場からできる事って、本当に限られた事だけなんだろうけれど。
それでも。
この企画が立ち上がった時の冒頭で語ってた「この仕事をしているからこそ、自分にも何か伝える事ができるんじゃないか」って想い。
それは、本当に確実に。伝わっていると心から思う。雅紀にしかできない形で、現状を伝える事が叶ってると思う。
改めて。
相葉雅紀。スゴいひとを好きになったね。私たち。
仕事してきます。私は私にしかできない事を、日々模索しながら。励んできます。
では、また。