別居したばかりの頃、

私はこれから自分がどうなりたいのか?
夫とどんな関係を築いていきたいのか?

全くわからない状態でした。



ただ分かっていたことは

・DVがある生活を続けていていては良くない。
・暴力があることを分かっていながらその生活を受け入れ続ける妻ではだめだ。
・DVのある生活からなんとか脱しなければならない。


ということ。


自分が夫を愛しているか愛していないか?とか
自分はこれからどんな夫婦関係になりたいのか?とか

そんなことを考える余裕などひとつもなく、


当時はただ、このDVから脱しなければならない!
という気持ちでいっぱいでした。


これは被害者として『脱しなければ』と言っているのではなく、
DVが成立している以上私も共犯者なのだということに気がついたからそう感じたのです。


いくらDVを止めさせたいと思っても、そこから脱する行動を私がしていなければ、少なからず私はDVがあることを容認していることと同じなのです。


夫婦揃って子どもに児童虐待をしているようなもの。

それを知って私は愕然としたのです。

私は共犯者。


大げさに聞こえるかもしれませんが
そうなんです。

DVは児童虐待だとはっきり言われました。


手をあげる夫の存在を容認し、結婚生活を続けることを選択するということは、子どもへの虐待を認めることと同じ。

それがいくら夫を憎んでいても、恨んでいても、同じです。

離れられない私がいる限り、それは共犯なんです。


かなりハードな響きになってしまいますが、要はそういったことなんです。


だからいくら暴力を止めてほしいと、
妻が泣き、叫び、悩み、うつになったとしても

離れるという選択を出来ない私は
自分を守るためだけに子どもを犠牲に差し出しているということ。


もうね、この事実に気がついたとき
本当に愕然としました。


結局は私は私を守りたかっただけなんだと。


そんなことに気がついた時、
私はようやく別居する決断をしました。


悩んで迷ってもがいて苦しんで
ようやく気がつきました。


私は被害者じゃなかった!!



そこからの決意と決断は強いものでした。


私は私を傷つけることを、私が容認してはならない。


傷つける夫を許さないのではなく
傷つけられることを私が許してはならない


傷つける夫は変わらなくても
傷つけられないように全力で努めなければならない。


例え私のその行動で、
夫が怒っても、夫婦関係が壊れかけても、子どもが悲しんでも、家を失っても。


まずは、私は私を大切にするための行動をとらなくてはいけない。


そう思ったのです。



本当の意味での
『自分を大切にする』を感じられた時でした。


私以外の家族がなにひとつ変わらなくても私は私を尊重し、大切にしてあげることはできるのです。


私はそこから人生の流れが変わってきたように感じます。

まずは私を大切にする行動をすること。


夫や家族は変わらない、けれど
そんな時、私は私をどう大切にしよう?
と問いかけてみてください。


たくさんたくさん自分に向き合うことが大切だと思いますよ。

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ーー


今回の記事で当初書こうと思っていた内容と途中から違う内容になってまいました(^_^;)

でも今回書いたこともとても大切な内容です^ ^
参考になさってくださいね。


自分の心や体を邪険に扱うということは
夫や子どもを邪険に扱うことよりも遥かに、たくさんの人を傷つけています。


今回書けなかったこと、次回の記事でアップしますね。
『別居中私は結婚生活を続けたいのだということに気がつき腑に落ちるまでの道のり』についてのお話です。



今日も最後まで読んでいただきありがとうございました♡




今日もご自愛くださいね♡♡




≪2015年11月記事再アップ≫



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