私はずーーーっとくれくれ人間でした。


愛をくれくれー!

賞賛をくれくれー!

認めてくれくれー!

察してくれくれー!

分かってくれくれー!



あれもちょうだい!

これもちょうだい!


と私から誰かに何かを与えることもなく

ただ私の目の前に現れる大切な人たちに


私を

愛すること

認めること

理解すること


無償の愛を与えてと

義務のように押し付けていました。


私はもう、その無償の愛とやらを感じなければ生きていられない、生きている価値がない、誰かの賞賛がなければひとりの足では立っていることができない状態でした。


家族から、愛を感じることができない言動がある度、私はいつも怒っていました。


他者からの賞賛がないと自分を認められない。

でもそんな自分を認められなくて、
無力な自分と向き合いたくなくて。


だから、こんなに苦しく辛く寂しい気持ちになる要因となった夫や家族の言動を責める。

こんなに私を苦しめないで。
苦しめる行動をしないで。


心がいつもほしいほしいと叫び


相手が私を傷付けないか悲しませないかをただ監視し続ける日々。


相手が私を認め、愛を与える行動をしてくれなければ私は決して幸せになれないと信じていた。

そうでなければ幸福感は私の中に生まれなかった。


夫の行動ひとつで幸福感が溢れたり
夫の行動ひとつでドン底に落ちたり


もう本当に私という人間の感情全てが夫の言動に委ねられている状態。

私の感情は私の物なのにね

でも私の感情を自分でコントロールできるってことをそもそも知らなかったし、術も分からなかった。

その感覚が私には全く分からない世界だった。

今までは、
私の全ての人生は母のものだったから。

母の喜ぶことをする、絶対に悲しませてはいけない、それだけが人生の目標だった。

母が悲しそうにしているだけで、自分が悪いことをした、なんとか母を元気にしなくてはと母の感情に私の全精神を注いでいた。

私の感情は母の喜怒哀楽と全てリンクしていた。

母が笑ってさえいれば、私の人生もうそれだけで良かった。

母さえ笑っていれば、私はもう何もいらなかった。

でも、母はいつも辛そうだった。
(当時の私には少なからずそう見えた)


母がどうしたら幸せになるのか、

それだけを考えてそれだけに力を注いできた29年間だった。


自分で自分を満足させたり、喜ばせたり、認めたり、そんな感覚を持つことのなかった29年。


もう、私は私の人生を生きていく。

寂しいけれど

悲しいけれど

私から親を離れをしよう。


だって本当は苦しいんだもん

だって本当は嫌だったんだもん

だってこのままじゃ私は私のことが大嫌いなままだから。



離れたくないけど

寂しいけど


私は私を大切に大切にするために

母との関係を絶つ決断をした。


人生で初めて母が悲しんでも構わない。
私は私を大切にする!

と思うことができた日。

そんな行動をはじめて起こした日


私は自分を愛するために母を傷つけたっていい
という勇気を出した日



そんな決断をした日から

私はこんな事がしたかったんだ
私はこんな事が好きだったんだ

と言うことを沢山知りました。


夫を愛する喜びも知ることができた。


私は29年間
生きる目標として掲げてきた
『母を幸せにする』
を手放した時


今までの人生では味わうことの出来なかった
喜びや幸せを感じられた。

目の前に広がる愛に沢山気がつく事ができた。



人生で一番怖かったこと恐れていたこと

母を悲しませること



子供の頃に決めてしまったその人生の目的は
大人になり歪んでしまっていた。


そんな歪みを夫が身をもって教えてくれた。



私の人生を応援する事が生きがいだと言ってくれる夫。


いつも本当にありがとう。


感謝!!


《2015年6月記事再掲載》


2月より電話カウンセリングが通話料無料でご利用いただけるようになりました(*^^*)