こうした長崎での信仰の強さを

一応考えて見ないと


長崎での仏教の興隆と

その拡幅についての

判断は出来は不可能です 


ここで洪泰寺または皓台寺の

建立の初期の使命と



建立の重大さというものの

意義を掘り出したいと思います


そして歴史的環境を概説として

こうした状況で

必然的に起こってくる


当然の成り行きについては

考察にしたいと思います



ここでひとつの結論です

「今日皓台寺があるのは

キリシタンのおかげである」とさえ

逆説的に思われるのです


それだけ皓台寺が果たした

役割と将来の使命についての

新しい期待が湧き上がってくるのです


皓台寺の境内の様々な木々は

これまでもこれからも

長崎の歴史と町と寺と人と


その心の移り変わりを

見続けて

そびえていくのでしょうから


皓台寺誌 終わり


From Itsuki