前回の続きになります


殉教の心理などなかった

道元禅師は


「今、この瞬間に何を考え

何をするのか

それを行いに移す

あるいは考えるために

例えば"座禅'の業をするのか」と


いうような事だったと考えられてます



これをキリシタン達に

そのまま当てはめて

すぐに異なった思想に

引き戻すと

いうことは出来ないかもしれません


「人間の生き方」の思想を

先ず「人倫」「道徳」を足がかりに

キリシタンにも

及ぼしていこうという


徳川家康の指導方針は

順調としては間違っていません




最も将軍秀忠の治世以外は

キリシタン教化に

この様な精神的

あるいは心の対応はしないで


肉体への処罰というもので

見せしめの策がとられました


これは家康の真意と

仏教の真のことわりを

全く理解していなかった

証拠といえるでしょう



From Itsuki