しばらくぶりの
「長崎 皓台寺誌」からです
当時仏教の立ち位置とは
対象的に
町の人々の中に入っていった
キリスト教は
爆発的に
信者数を増やしていきました
それに対して仏教は
徳川幕府体制確立のために
「禁教」を言い訳に
仏教の隆盛を留守にしたのです
ここにも仏教の盲点がありました
当時の長崎奉行の長谷川藤広は
よくいえば硬軟取り混ぜる
物わかりのいい人物です
幕府の命令だった対外貿易の
コントロールと
それとセットになるともされる
キリスト教拡大への
歯止めをかける役割も果たしました
(↓踏み絵)
そこで考えたのがキリシタン弾圧を
ほどほどにして
仏教隆盛に努力をする事です
「皓台寺」の住職である
亀翁や良鶴の時の様に
仏教隆盛を声にしながら
誰頼ることも無く
ただ仏教の衰退を目にしていた
日本人の日本人たる良さ
(↓長崎奉行所)
仏教から来ていたはずの
日本人的人倫の沈滞を
憂いの目で見ている僧侶も
この頃を知る僧侶さえも
修験者たちも
この時期の奉行所の
「計らい」も知ったとしても
自分たちの仏教を広げる
苦労は残しましたが
その苦労を
誇張するだけだったみたいです
(↓再現された長崎奉行所)
From Itsuki