それまで徹底していた

キリシタンの妨害が

徹底しなかっのは

もちろん僧侶側の策略でもありました


僧侶側は町には

「一寺一社」考えに基づくもので

現在の世界遺産の

栃木県の「日光東照宮」も

そうした考えから


一社にもうひとつ足して

「二社一宮」として

「日光東照宮」ともうひとつ

「日光山輪王寺」が建てられてます




話しが逸れましたが

こうした思いから

「長崎 諏訪神社」の対に


回廊形式の本格的で整然とした

お寺「皓台寺」が

ここに誕生したのです

ここまで長い道のりでした


さて「皓台寺誌」によると

皓台寺開山 亀翁良鶴は

石原山の下に庵室を設けたとあります

さて"'石原山の下'と

具体的にどのなのでしょうか




「皓台寺誌」等の史料から読み取ると

現在の長崎奉行所跡から

長崎駅へと放射状に伸びている

路地に並んでいるお

筑後町のお寺通りの何れか


叉は皓台寺がある

長崎寺町通りの

何処からしいですが


筑後町のお寺通りには

皓台寺末寺の永昌寺があります



永昌寺の通りには
唐寺の聖福寺もあります

当時の僧侶は個人の広い屋敷を
借りるか
与えられるかすると
まず庵室木造瓦葺きの小さな
僧侶の住まいを
結ぶ(住む)のが多くありました

恐らく亀翁もそうしたのでしょう
その亀翁ですが
文献等の史料に乏しい人物です

ーつづくー



(↑皓台寺 山門)