今日はこの夏(?)三回目の休暇を取ったので、久しぶりにアップ。

竹島をめぐって日韓関係はすっかり冷え込んでしまったようだが、実はその間に世界中をある韓国のポップスターの曲が大ヒットしている。日本では「何故か」報道されていないのだが、かなり面白いミュージックビデオなので実に惜しい。

これはYoutubeの再生回数を示すチャートである。いかに急激に伸びているかすぐに分かる。

$Tokyo Calling


曲は、ソウルの江南(ガンナム)という、高級な地域に住む人々をパロディにしたもので、東京で言えば田園調布に、ちょっと若さを加える為に港区を足したような感じの場所だろうか。


どれだけアメリカでヒットになっているか。アメリカ人の友人によれば、アーティストのPsyはSaturday Night Live、Ellen Degeneresといった主要なコメディ番組に加え、CNNにも登場している。さらには大リーグの試合でも回と回の間で流し、僕が行ったビジネススクールの卒業生パーティーでもかかるほど、爆発的に人気を博しているのである。ほとんどの日本人が知らぬ間に。

で、これがビデオ↓





このビデオはまさに「viral」(伝染病のように伝播し、世界中のあちこちで人々が踊っている様子がたくさんyoutubeにアップされている。高度3000mを超えているマチュピチュでも踊っているビデオをみた。

そして。今日は大統領選の共和党候補、ミット・ロムニーがGangnam風に風刺された。かなりの出来映えである↓



世界中が熱狂しているのに、その熱狂に加われない日本人を残念に思う。日本人は元々友達がすぐない民族である。孤立するのは得策ではない。日本に生まれたからには日本人であることの良さを満喫することができるのだが、世界に生まれたのも事実なのだから、それを満喫しない手はない。



それと、まったく話題は変わるのだが。。。。日本もアメリカくらい政治をみんなで笑えたらずいぶんこの国もよくなるのに、と思う。中に溜め込んでいるから鬱積したような、陰気な雰囲気になってしまうのだ。笑うことによってずいぶん前に進むことができる、と思う。そもそも、キャラが立っている政治家は多いし。


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追伸:これが全米でも有名なショー、"Ellen Degeneres"に出た時のビデオ。彼、なかなかのエンタテイナーだね。




久しぶりの投稿につづき、久しぶりにちょっと考えたことを。



今日、夕食にパスタを作っていて、一所懸命にal denteに拘る自分がいることに気づく。


パスタ自体、イタリアの高校時代からずっと作っている。


でも、高校のころはal denteなんて言葉を意識しないでガツガツと、おいしいおいしいとなんでも食べていた。


特にイタリア人を中心にまずいまずいと文句を言っていた、Agipという石油会社のケータリングサービスが作っていた給食のパスタも、昼、夜といつも同じようなものが出されるにも関わらず、モグモグと美味しく食べていた。



でも、今はal denteに拘っている。外食していても、パスタを頼むとal denteかどうか気になっている自分がいる。



なぜだろうか。昔は気にならなかったのに、今気になるのは。



パスタだけではない。料理全般に、おいしいものを食べたい、と以前より強く思うようになった。以前は、とにかく量が食べられればいい、と。


今は量と質の両方が大事^^;



年代的なものもあるだろうけれども、この現象は、食べるなら美味しいものを、という思いは特に僕に限ったものではなくて、おそらく多くの人に起きていることだろう。どうせ食べるならおいしいものを食べたいと。



しかしそこで思うのだが、僕は昔の方が食以外のものに関心が多く行っていたような気がするのだ。もちろん異性のことだったり、或いは運動だったり、日本の将来だったり、自分の将来だったり、勉強だったり読書だったり。いろいろな方面にエネルギーがバチバチと飛んでいた。


もしかすると今はそういう方面へのエネルギーが少し減って、それが食、という極めて内面的な充足に向かっているのはないか、と考えると少し怖い。そういうことなのだろうか。グルメと自分の進歩はトレードオフの関係にあるのだろうか。


何の根拠もないイメージだが、いつも自分にハングリーな人は、食に拘ることが少ない気が、ふと、する。そういう人の方が、食べることに結構無頓着なイメージがある。食べることよりも大事なことも幾らでもあるから。


そう考えると、食に向かっているかもしれない自分のエネルギーはなんだろう、とふと思うのだ。



日本全体でも、なんとなく昔よりもグルメなものに対する関心は高まっているように思う。成熟した豊かな社会になった証だと思えればいいけれども、ハングリーさ、貪欲さを失った国民性の証左だとしたら?



いや、そんなことは分からない。


とにかく言えるのは今日のパスタはal denteではなかったことだけだ。













ふと、読者の方から更新が全然ない!というメールを頂いたので、もう読者の方なんていくら残っていらっしゃるのか甚だ疑問でもあるのだけれど、ちょっと近況報告をば。



ちゃんと生きております。元気にやっております!日本におります!


なんとなく更新する機会を逸してしまっていたのですが、簡単に最近の出来事を書くと。。。



NYCから持ってきたSpecializedのマウンテンバイクで山を走ったり。。。



Tokyo Calling


GWは北海道de一人ゴルフ三昧(@旬のうに丼三昧)に行ったり、


Tokyo Calling

(ちなみにものすごく田舎のゴルフ場でした。一日3ラウンドして昼飯と練習40球つけて11000円、みたいな)



海の日のあたりではアメリカ時代の台湾人友人を頼りに生まれて初めて台北旅行にでかけたり(ディンタイフォンの小龍包と牛肉麺は絶品!)、


Tokyo Calling

それから最近は趣味としてトレールランニングをはじめたり(写真は新しく買ったギヤたち。この時は高尾山→陣場山16キロを3時間半で走破)


Tokyo Calling

そして先々週末は初めて富士山を、一番きついコースといわれる御殿場登山口(旧二合目、標高は1450m)から日帰り登山しました。



Tokyo Calling


(そして、頂上で軽い登山病になりました。。。汗。。。)



とまあ、そんな感じで元気にやっております。リアルタイムでアップできなかったのが残念ですが。。。きっとまたの機会ということで(!?)


暑い夏が続いておりますが、皆様のお体にはくれぐれも気をつけてお過ごしください!




今日は日本の財政問題について。財政危機が騒がれているけれども、よく実感が沸かないという人の為の記事。Facebookでも最近はこうしたカード型の投稿が多いので、それに倣ってちょっとつくってみたのがこれ↓




Tokyo Calling



若干合計が合わない(これは一般会計と特別会計の間で若干いりくりがある為)けれども、これでなんとなく実感が沸くだろうか。


先ず、収入より支出が遥かに大きい。年収400万円で900万円の人と同じ暮らしぶり。そして、その年の自分の収入よりその年の借入の方が多い、というのも常人の感覚ではありえない。


これはフローの話であるが、ストックの方ではこれまでの累積の借金残高が7000万円。これに地方の長期債務を合わせると9000万円になる。


マスコミがよく、「国の借金900兆円!」と騒いでいるのがこれ。でも、累積の借金の金額だけ取り上げて騒ぐのはおかしいと思う。


バランスシートの議論は右側だけみていても仕方なくて、左側も見ないと意味がない。この例で言えば、年収423万円の世帯が9000万円の借金をしているのは確かに大きい気はするけれども、もしも1億円を超えるような立派な家を資産をその借金の見合いに持っているのであれば、別に借金の金額自体は問題ないからだ。多分そんな立派な資産は持っていないと思うけど。でも話が拡散してしまうのでとにかく借金の絶対額については以上で議論は取り敢えずおしまい。


ということで、僕が最大の問題だと思うのは、この毎年の赤字体質。ビジネス流に言えば単年度P/Lの赤字である。これが続いていていいわけがない。


どんな再生の仕事だって、それがJALだろうが日産であろうが国鉄であろうがGMであろうg、先ずは出血を止めることである。それも毎年毎年、歳出にメスが入ることなく借金が増えているのである。


だから、今国会では、歳出削減の話をしなければいけないのに、金額に換算すればわずかでしかない消費税(税収)の話ばかりして、支出をどう減らすかという当たり前の話が全然されないのはおかしい。ちなみに上の表でいえば、消費税を8%にすることによって得られる8兆円は、80万円収支が改善する程度の話に過ぎない。そこで議論が紛糾しているのだ。


歳出削減については公務員の人件費などが議論されているけれども、他にやり方はいくらだってある筈である。農業補助金の見直し、医療制度の見直し。アメリカだって防衛予算を見直しているのだ。タブーはない筈である。省庁を再編するとか、地方交付金を減らすとか、消防と警察を一体化するとか、地方に消防や警察の仕事を委譲するとか。パートから年金保険料を取るとか、議員報酬を削減するとか、スズメの涙みたいな議論をしている状況ではないと思う。


因みに、現在緊縮財政を巡って激しい議論が続いてるアメリカと日本を比較すると以下の通り。分かりやすいように、やはりゼロをたくさんとって、収入の数字を日本と揃えてみた。


感想は、お任せします!




Tokyo Calling










毎週末走っているのは以前書いた通りであるが、これが結構ハードな運動になってきている。


タイム的に22分から23分台がコンスタントに出るようになったのはいいが、毎回肺も足も限界で走っているので、正直いうと少し億劫なのも事実である(生来の怠け癖も之あり)。そういえばアメリカに住んでいたときも、NYCのセントラルパークにしてもサンタモニカのビーチにしても、やっぱり結構まじめに限界レベルで走っていた記憶。


ところが、先日友人と話していた時に、週に二度は運動しないとあまり効果がない、なぜならば運動した後の新陳代謝は3日くらいで元に戻ってしまうので、すぐに次の運動をしないと新陳代謝の高原状態をキープできない、と言われ、さよか、ふむ。まぁ一理はある気がする、かと言って週に二回も自分を追い込んで走りたくない、どうしたものかと一人思いを巡らせていた。


そこで考えついたのがこれ。週末はタイムを意識して走るにしても、週中の一回はタイムを気にせず、純粋に走ることを楽しめばいいと。それなら持続可能だ。


ということで、今日夜に皇居を走ってきた。


すると、これがたのしい!。タイムを気にしないで走るとこんなに楽しいものかと、どんなに追い抜かれようと、周りの景色を見たり、考え事をしたり、はたまた鼻歌を歌ってみたり。足取りも軽く、走った後のかる~い疲労感もたまらなく気持ちいい。


タイムは28分丁度くらいで、いつもより5分以上遅いけれども、楽しさは何倍も。不思議だけど、こっちの方が体によさそうである。



消費増税やら一体改革やらで国会は賑わっているが、白けているのは僕だけではないだろう。


まるで浮世離れした議論。どうしてこんな政治家ばかり選んでしまっただろう。。。。



なんて話ではただの愚痴になってしまうので、少し建設的に。



昨年、「たばこ増税」の議論があったのを皆さんは覚えていらっしゃるだろうか。補正予算を作るための財源としてたばこ増税の話が俄かに持ち上がり、そして消えた。


新聞にはたばこ増税をした場合の世帯あたりの負担と、たばこ増税をしない場合の世帯あたり負担などが記事になって、この際嗜好品であるたばこの増税は仕方ないだろうなぁ、と僕は思っていた。


しかし、結局たばこ増税は起きなかった。僕は政治家ではないので真相は知らないが、民主党が自民党の強力な支持基盤の一つであるたばこ農家(特に福島に多いらしいが)に配慮をしたから、という政治解説を当時読んだ記憶がある。



さて、皆さま。野田首相が格段の配慮をしたこの「たばこ農家」、というのは一体何人いるのかご存知だろうか。僕も当時は知らなかったのだが、その解はEconomist誌10/22/2011号に載っていた。


10800名。しかも高齢者が多く、そのうち4100名が、今年限りで引退予定とのこと。多少の誤差はあるにせよ、1万人といえば日本の人口の0.01%である。その為に、国民的議論もなく、国民のほぼ全員が負担を負ったということが少しショックである。


1万人に自民党が配慮し、それに民主党までもが配慮するという構図は、しかしある意味この国の政治を象徴していると思う。もちろんどこの国にもパーフェクトな政治など存在しないことは分かっているのだが、農業にせよ、漁業にせよ、公共工事にせよ、自分の支持基盤への利益誘導と調整が仕事の中心となってしまった日本の政治体制が残念でならない。これでは新しい日本を築こうと思っても何も変えたくない既得権益の人たちにつぶされてしまう。


しかし文句を言ってもこれもある意味仕方がないと思う。なぜならばそういう選挙制度になっているのだから。広大なアメリカでさえ100名しかいない上院議員が、この狭い国土で500名近くの衆議院議員がいて、地方に厚めに選出され、さらに地方も国からの交付金に依存しているのだから、議員さんは当たり前の行動をしているだけ、とも言える。


これから日本がどんどん老齢化していけば、今度は老齢者に利益誘導をすることになろう。それも仕方ない。そういうインセンティブが働く仕事なのだから。それが民主主義でもある。歪んでなければ。


そう、歪んでなければ。だから住所によって一票の格差が違うという問題は絶対にいただけない。司法の最高機関である最高裁も違憲と重い判断を示しているのに、政治間はグズグズと何も決めず先延ばししている、というのは文字通り憲法違反であり、看過されるものではない筈である。


これについて、司法の立場でどう考えられているのか、とある弁護士の方から今日お話を聞く機会があった。



違憲であると判決を出したところで政治家が動かないことに業を煮やしているのは司法も同じ。一番効力があるのは、違憲判決と同時に選挙を無効にしてしまうことであるが、それをやってしまうと次の選挙までの期間は日本に国会議員がいなくなって困ってしまう、という問題がある。そこでそこまでの判断を踏み込まずに違憲判断をしたらばこの政治家たちの体たらく。


そこで、司法界では、次に違憲判決を出すときには、いついつまでに是正せよ、と期限つきの判決を出すことも考えられているのだとか。


どこまで本気なのか、どこまでが司法界としての意見なのかは知らない。しかし久しぶりに聞いた、気持ちのこもった、当たり前で力強い意見だった。胸がスーとする気がした。



おかしなことは長くは続かない。シンプルに考えればもっとよくなる。シンプルに考えよう、日本。



手始めに、野田総理。年金財源の試算結果を公表して下さい。日本(と世界)のために。













4.5%。


足元の、日本の季節調整済み完全失業率である(震災の影響がある東北3県除く)。


これは高いのだろうか。低いのだろうか。ということで、リーマンショックの前、2000年からの約12年分の失業率データをザッと俯瞰してみる。すると、


最悪が5.5% (2002年8月、2009年7月)


最善で3.6%' (2007年6月、7月)



であることが分かった。因みに同時期の米国の季節調整済失業率が:


最悪で10.0% (2009年10月)


最善で3.8% (2000年4月)


であることに比べるとかなり緩やかな動静であるが、それでも日本の失業率もそれなりに変化はしている。そして、失業率を変化させるそのドライバーが何か、ちょっと調べたくなった。



景気がよくなると、失業率はよくなるのだろうか。どのくらい敏感に反応するのだろうか。


その疑問に答える為、日銀短観(DI)と失業率の相関を調べて見た。日銀短観のデータは失業率と同様、2000年まで遡り、それぞれの時点でのDIと失業率を散布図にプロットして分析してみた。


この結果が下表の通り(数値はR2。1に近い方が高い相関関係が認められる):



Tokyo Calling


大企業とは従業員1000人、中堅とは300~999人、中小とは300人以下の企業を指すのであるが、意外なほど、相関が見られたことに少し驚き。


この表から、二点の考察が浮かび上がると思う。


先ず、失業率とより大きな相関がみられるのは日銀短観の「実績」ではなく、3ヶ月先の「予想」であった。まあ、考えてみれば当たり前の話なのであるが、今が景気が良いいからと企業はバンバン人を採用するわけではない。先が忙しいと思うからこそ人を採用する、という話である。当たり前ですね。


そして、二点目の考察は、短観の動向と失業率の動向で最も相関を示すのは(僕が勝手に想像していた)大規模製造業ではなく、大規模非製造業である、という点である。



というか、寧ろ大規模製造業は全セグメントの中で日銀短観とは最も低い相関係数を示していることに驚いた。失業率との関係で言えば、大規模非製造業と大規模製造業は両極に位置しているのである。大企業は日銀短観などにあまり左右されず、特に日本企業は安定した採用を毎年続ける傾向が高いから、とも考えられるけれども、同じ大規模大企業でも製造業と非製造業では失業率との相関については大きな差が出ているということには正直驚いた。


これを表したのが下表(X軸の日付がおかしいが2000年1月から2011年12月まで毎月プロット)。(クリックして拡大)



Tokyo Calling

青線(大企業非製造業)の方が緑線(大企業製造業)よりも失業率(赤線)の動きにより連動していることがお分かりになるのだろうか。


次に、各産業セグメントにおける雇用者数の実態を見る。総務省統計局から取ってきたデータが次の表。(クリックして拡大)



Tokyo Calling




今更な話かもしれないが、これで浮かび上がってきたのは、そもそも日本は製造業よりも非製造業の方が雇用者が多いという実態である。 全体で言えば、日本で製造業に従事しているのは3割弱、一方非製造業に従事しているのは7割強。そして、製造・非製造を問わず中小企業への依存率が高い。



ある意味、非製造業の方が製造業の倍近く雇用しているのだから、失業率との相関も非製造業が高いのもある意味当たり前からもしれない。しかし、失業率との相関が高いのは非製造業、という事実をひっくり返すものではない。


そしてセグメント別にみると非製造業の中小企業による雇用者多いことに、今更ながら驚いてしまった。日頃からメディアでは「ものづくり日本の復活」が叫ばれ、それを支える町工場の話が連日のように流されるけれども、こと失業率との相関でいえば、非製造業の方が相関が高い、ということである。特に大企業の。



そういう意味では、先日の記事の続きみたいになってしまうけれども、製造業を引き続き大事にするにせよ、超円高時代、高齢化時代。そろそろ「製造業以外」の産業育成、そして起業を奨励するような政策も考えてもいいのではないだろうか。


iPhoneとビデオカメラ、そして風船で宇宙探検をしようという、ニューヨーク郊外に住むある親子の冒険です。映像にも息を飲んでしまいましたが、人間の力の凄さに感動してしまいました。

解説では当局からの承認も得て実施した、とありますが、日本でも一般人が同じ実験を申請して承認を得られるのかどうか、ちょっと気になるところではあります。とにかくあっぱれ!



昔から何度か書いていることだが、僕は食べるのが好きな人を見ることが好きだ。


それに気づいたのはいつだろうか。一人で海外にいることが多かっただろうか。16才で欧州を一人バッグパッキング旅行をしたときに、自分にはできなかった、堂々と高級そうなレストランに入って一人で食事をしている、自分より年上の人たちを見てそう思ったのだろうか。その思いは、ニューヨークで更に強くした。有名なグランドセントラルのオイスターバーに行くと、出張者と思わしき中年以上の男たちが、黙々と生牡蠣を食べているシーンがとても好きだった。


で、今日、外出先でランチ時間になり、インドカレーの店に入ってみた。


しばし悩んだ挙句、チキンとナスという本日のカレーに、ナンとミニサラダをつけた、920円のセットを頼んでみた。


味はよかったが量が少なく、それを不満に思いながらお会計をしに席を立つと、隣の隣の人が目に入った。


僕と同じカウンター席なのだが、このかなり大柄な男は狭いカウンターの幅一杯に広がった銀色のプレートにこれまた所狭しと広げられた二種類のカレー、そして僕は選ばなければならなかったナンとサフランライスが両方乗っかっていた。そして、この大柄男は一心不乱に料理に取り組んでいた。


思わず写真を撮りたくなるような微笑ましい光景。食べている間は食べることしか考えていないような、体全体で食べているような、そんなオーラを出していた。そういう瞬間、人は輝いていると、やはり思う。


特に最近、太っている人の食べるシーンが好きで(注:デブフェチでもデブ専でもありません)、この間も飲んだ後に深夜にラーメン屋に行くと、かなりの巨漢の男が美味しそうにラーメンを平らげていたシーンが微笑ましくて気になってしかなかった。


で、それがなんでそうなのか、今日カレーを食べる男を見てわかった気がする。やっぱり好きなことをやってる時って、人って自然に輝いているのだ。


だから、好きなことをやろうと思う。


みなさま(っていうか、残っている数少ない読者の皆様)、あけましておめでとうございます。


しばらくサボっていましたが、まあ仕事もそれなりに忙しく、まあそれ以外にもいろいろあったりでなかなか手がつかずにおりました。こんなルーズな僕ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



さて、またミシュランで星の数ベースでが東京が一位になった。東京だけでなく、大阪、京都、神戸まで上位ランクイン。素晴らしい!日本人の料理センス、味覚のよさが世界中に証明された!


と手放しで喜びたいところだけれども、ちょっと気になることがあったので、今日はそれについてちょっと語ってみたい。


去年東京に帰ってきて、一番びっくりしていることのひとつは、夥しい程のレストランの数である。


ニューヨークもレストランは多いけれども、せいぜいビルの一階や地下、がんばって二階に入っていることはあるけれども、日本みたいに地下から9階まで全部飲食店、ということはない。ところ狭しと累々と並ぶレストランのサインは壮観で、日本独特の風景としてよく外国で写真や映像として紹介される所以である。


実際、たとえば東京23区を例にとって、レストランはいくつあるのだろうかと気になって調べてみた。


正確な数はわからなかったが、どうやら最低8万はあるらしい(Frommers http://www.frommers.com/destinations/tokyo/0085010028.html )。これはこちらのリンクでも同じような数字が示されている(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7840.html


(ちなみに、日本全体では2006年の数値で72万店(http://www.fb-soken.com/page801-1.htm )、2010年は60万店くらいまで落ち込んだらしい(http://ymkjp.blogspot.com/2011/09/19842010.html 。これはアメリカの96万と比較される。人口を考えればやっぱり日本は多いhttp://www.restaurant.org/research/facts/ ))



これをたとえば、ニューヨークと比較する。(http://www.nycgo.com/articles/nyc-statistics-page


レストランの数は23500である(NYC市)。NYC市の人口は820万であり、これは東京23区の人口900万と比較される。


ということは、人口比で東京23区は圧倒的にレストランの数が多い、ということになる。



なるほど。



でも、ここで疑問が沸く。


日本人ってそんなに外食好きの国民だっただろうか。たとえば香港人の外食好きは有名だけれども、日本人はそういう評判はあまり聞いたことがない。確かに同僚や会社と酒を飲む文化はあるけれど、一人当たりアルコール消費量が世界トップクラス、という話も聞いたことがない。



ということで、その疑問を解決すべく日本人のエンゲル係数を調べてみた(2006年)。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0212.html


これを見ると、エンゲル係数については日本はアメリカよりは高いものの、外食費比率自体は6.1%対4.6%とアメリカよりも低い。というよりも、外食比率に限って言うと突出しているスペイン(18.1%)、アイルランド(14.0%)、ギリシャ(11.7%)、英国(10.5%)と比べるとだいぶ低く、こうした先進国の中ではどちらかというと低い。



では、なぜこんなに飲食店が多いのだろうか。


以下、僕の仮説である。



飲食店という業態は、参入障壁が最も低いビジネスのひとつである。やる気と若干の資本さえあれば、お店を開くことは可能である(すぐにつぶれる可能性は大いにあるにしても)。


だから、起業しようという人は、若者であれ、脱サラであるにしても、飲食業に向きやすいのではないだろうか。


言い換えれば、他の業態での起業がしにくいのではないだろうか。資金の出し手はいないし、なかなか取引はしてもらえないし、安定しない職場ではよい人材も採用しにくいし。


ということで、勢い飲食店が増えるのだ。しかし、外食市場という全体のパイは右肩下がりなので、競争は激しくなる。値下げ競争も激しいのは周知の通りであるが、品質をめぐる競争も激しく、こうして世界でも冠たる存在のグルメ都市ができた、という仮説。日本人はもともと一所懸命地道に改善を続けているのは得意な国民なので、料理でもそれが花開き、イタリアンはどこに行ってもアルデンテが当たり前、ラーメンだってどこに言ってもほぼおいしく、パンや洋菓子だってアメリカやヨーロッパを凌駕する腕前が当たり前になった。うがった見方かもしれない。でもそんな気もしないだろうか。


グルメにとっては大変うれしいことであるが、一方で、もし僕の仮説が正しいとすれば、その起業エネルギーはほんの少しだけ違う分野にも振り向けたら、日本はもっともっと豊かな国になるのではないだろうか、と考えてみたりした、というわけ。




話はまったく変わるが、今日の皇居ランで22分32秒を記録。社会人になってからはベストタイムではなかろうか。今年はよい年にします。絶対。今年もどうぞよろしくお願いします。