伊藤ようすけオフィシャルブログ Powered by Ameba
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~㉓

結局、支持母体のないまま本番を迎えることになった僕が、選挙期間中にやっていたことは大きく3つだ。一つはこのFacebookをはじめ、Twitter、ブログなどネットを利用して自身の主張の発信をすること。二つ目は、ありがたいことに応援をかってでてくれた衆議院議員の方々や元々の知人を頼って全国各地を回り、ミニ集会に出席すること。そして三つ目は時間を見つけては街頭に立つことだ。他にもスタッフが中心となって、公職選挙法で許されている有権者に対する15万枚のハガキの送付や、新聞の折り込みチラシなども実施した。

これで10万票を目標にしていたのだがら、選挙のプロから見ればちゃんちゃらおかしく映るかもしれない。でも当時の僕はこれで果たして結果がでるのかと憂うよりも(前回の選挙で、ネットだけで4万票近くの票を獲得できたという自信も心の片隅にあったのは事実だ)、目の前のスケジュールをこなしていくことで精一杯だった。

さて、今回は元地方議員の知人K氏から誘いを受け、福島県を訪れた時の話だ。
「自民党から出馬しているF議員が、一日中連れまわしてくれて一緒に10本ほどの街頭演説ができる。併せて、決起集会も実施するので、予定が合えば福島まで来ないか?」との誘いをK氏から受けたのは6月中旬のことだった。
F議員は当時の法務大臣。そんな大物議員が一日行動を共にしてくれるなんて、まさに願ったりかなったりの話だ。おそらく強力な支持団体も多数お持ちだろうから、場合によっては・・・なんていう身勝手な皮算用ももちろん働く。僕が二つ返事でその誘いに乗ったのは言うまでもない。
そして迎えた当日、朝8時。
最初の街頭演説場所である役所前に出向くと、既に50人ほどの人が集まっていた。
さすがは大臣だと感心していると、遠くからウグイス嬢の声が聞こえてくる。
「朝早くからお騒がせしており、大変申し訳ございません。自民党公認のFでございます。この後8時15分より〇〇役所前にて、街頭演説を実施いたします。皆様、お忙しい中とは思いますが、是非お集まりいただくよう何卒、何卒お願いいたします」
やがてウグイス嬢の声と共に、F氏を乗せた街宣車が役所前に到着。
車から颯爽と降り立ったF氏には、気品と貫禄が漂っていた。さすがは現職の大臣だ。早速自ら歩み寄って、集まった人たちに握手を求め始めた。最近では時間を短縮するためにハイタッチで済ませようとする候補者も多数みかけるが、あれで票につながるのは大物だけ。握手して、できれば写真も撮って、はじめて一票につながる。これが僕の2回の選挙を通じて得た実感だ。
F氏はタスキをかけ、待ち構えていた僕にも近づいてきて、力強く手を差し出した。
「伊藤君だよね。Kさんから色々聞いてます。今日は一日、一緒に頑張ろうね」
「貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございます。よろしくお願いします」
心強かった。厳しい選挙戦が続く中での寛容な態度に、感激もした。何度もいうが現職の大臣だ。しかも今回は僕側にしかメリットがないのだから、もっと横柄な態度をとられても仕方のないところだ。
ほどなくして、F候補の演説が始まった。
聴衆はじっと聞き入って、時折うなずいている。感触は悪くない。
最後のくだりになって、いきなり僕の名前が飛び出した。
「・・・・そして比例区には同じ自民党の仲間、今日ここに足を運んでくれている伊藤洋介、伊藤洋介候補の名前を投票用紙に書いていただくよう何卒よろしくお願いいたします」
びっくりしてあわてて頭を下げながら、僕の気持ちは一気に高揚していた。大臣がここまではっきり言ってくれるとは思っていなかったからだ。
ありがたかった。福島まで来た甲斐があった。
そしてそのまま僕の演説に突入。当然、普段にもまして、力がこもった。

ところが、次の演説場所に向かう車中でことは起こった。
発端は同行してくれていたK氏にかかってきた電話だ。
話している氏の表情がどんどん固くなっていく。よからぬ事態が起きたことは容易に想像がついた。
電話を切り、氏は小さくため息をつく。
「伊藤さん、ごめん。F先生と一緒に回れなくなった・・・」
「えっ、どういう意味?」
「さっきの演説場所に学会の人がいたらしいの。それで、F先生の演説の内容に抗議が入ったらしくて・・・」
「なんて?」
「比例区は公明党に入れることになってるはずだって。だからこそ、福島県は学会をあげてF先生を応援しているのに、比例区は伊藤洋介にとは何事かって、かんかんらしいのよ」
自公政権の中、とりわけ国政選挙において互いの党が選挙協力
をしていることは皆さまもご承知の通り。
衆議院選挙の場合、もちろん選挙区にはよるが、獲得する票の2割近くを創価学会員の票が占めるとも言われている。
自民党の候補者にとって、今や創価学会の選挙協力は必要不可欠であり、彼らを怒らすなんて行為は決してあってはならないのだ。
「いや、事情はわかるけどさあ。今急に言われてもなあ。今日一日はどうすればいい?今から東京帰っても、どうせ夕方近くになるし、だったら福島で票につながることやりたいよな」
「だよね、どうしようか・・・」
K氏は黙って考えこんでしまった。ここから比較的人の集まる会津若松までは車で約2時間。ところがその道中の周囲はほとんどが山と田んぼ、畑で囲まれているのだ。
もちろん家はあるものの、移動の車が街宣車ではなく氏の持ち物のため、マイク、スピーカーが完備されていない。
したがって、道中に選挙活動することは物理的に難しいのだ。
「どっちにしても、夕方の会津での決起集会には出た方がいいと思うの。1500人くらいが来るらしいし」
「・・・・そうだよな。・・・・まっ、ここで止まってても時間の無駄だし。車走らせながら考えよう」
そう決めた我々はとりあえず車を出した。そして、会津に向かう道すがら、歩いている人、あるいは農作業を続けている人を見つけては車を止め、走り寄ってはビラを渡す、究極のどぶ板
選挙を行ったのだった。もちろん最大限の効率を考慮しなければならない選挙期間中には、あってはならない時間の使い方だ。
そして、夕方。会津での決起集会に向かった我々に更なる壁が立ちはだかっていた。
あろうことか、F議員の関係者によって、会場への入場を拒まれたのである。
入り口付近で、男性二人が近づいてきていきなりこう怒鳴られた。
「ちょっと、伊藤さん、さっきこちらから連絡入れましたでしょ。ここの会場にも学会の方もたくさんお見えなんですから。いいですか、福島の自公支持者の投票先は選挙区はF先生、比例は公明党、そうはっきり決まってるんです。邪魔しないでください!」
「街頭演説はできないとの連絡は受けましたけど、この集会については何も言われていません。このために僕は今日、東京から来てるんですから。中へ入れてくださいよ」
「だったら、そのタスキはずしてもらえますか?タスキはずしたら、入っていただいても結構ですけど」
タスキをはずして、周囲の人からどこの誰だかかわらないまま
出席したところで、有効な選挙運動につながるわけもない。
言いたいことは山ほどあったが、かといってF候補に迷惑をかけるわけにもいかず、僕はもう退散するしかなかった。

帰りの新幹線。
一日を振り返りながら、改めて選挙の実態を目の当たりにし、選挙期間中初めて、今後の行く末を案じずにはいられなかった。

㉔に続く

 

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