仏教に弘法大師空海が平安時代に開いた
真言宗というのがあります
ある高名な師から”真言”について
こんな事を聞きました
”どんな正しい教えであっても
使う言葉を間違えると
それは間違った教えになる”
これは情報を重視し
伝達機能が発達したが
”コミュニケーション”そのものの
『濃度』が薄くなっていると感じる
現代にとって示唆に富んでいるのではないか
コンテンツが合理的で、正しければ
どんな言い方をしても良い、 とか
人は分かってくれる(分かるべき)
というのは機能しない、というのを
”真言”は示唆していると思います
こんな、コミュニケーション濃度の薄い時代では
伝える時の言葉の選び方に
もっと注意を図らねがならないんですよね
真言宗が ”言”という字を使ったのは
深い感じがします