ふと思ったのでメモ

・よく「自己肯定感」という言葉を目にするけど、どうも違和感があり、まとめてみる
・自己肯定感が高い、低いかを単純に測る事を先に持って来ると、間違った認識のままの自己肯定感という、「不自然な自意識過剰状態」を継続してしまい、果てには鬱になったり、騙されてしまうケースが散見されてしまうので、自分としては「自己肯定感」という言葉は使わないようにしている


・子供の頃から「適切な自意識」をしっかり持つ事が大事
・「適切な自意識」とはどうやって説明しようと思ってAIに聞いた答えが近かったので、こう仮定する
・「適切な自意識」を持つことが出来ずに年齢を重ねてしまうと、自分や家族、周囲に迷惑をかけてしまい、果てには小さな摩擦が大きなトラブルに育ってしまって取り返しがつかない事になりがちである
・大人になってから巻き返す為には、理解しようとする事、理解できているかを推し量る第三者的な目、もしくは実際に第三者に見てもらう
・「こう思ったので、こうに違いない」ではなく、多面的に考える癖を身につけておくことが「適切な自意識の第一歩」だと認識しておく

スキルシェアの時代だなと思う。


最近来るお仕事といえば、拘束時間少なめで、目的が定まっていて
一人では難しい、期日までに仕上げるには誰かの手を借りる。


で、こちら側が持っているスキルや経験が役に立つ時、ごく短い契約を交わすような、いわば“能力のUber Eats”みたいなものだ。

 

これがとても小気味よく、サクっと仕事ができてかつ良い信頼関係が出来上がって業界や業種に囚われない、とても自由なスタイルで目的を共有して作業する事の楽しさがある。現場に行くタイプもあれば、現場に行かず、会わずに完了するものもある。

 

この時代ならではの新しい価値観

10分程度でぼやっと書いて行ける言葉
夏の暑さがだいぶ和らいできた9月。
500文字くらいなら、書くにも読むにも丁度良いかもしれない事と
画像は極力使わずにテキストだけで完成できる読み物をつくれるようになっておこう。
思った事、考えた事をメモのように残しておく。
連続性は特にない
でも、このテキストの群れを読み繋いでいくと、ぼやっと像が浮かび上がるような、そんなものを作りたいと思った。



最近、色々な媒体で作っている文章や記事が好評で、ちょいちょい問い合わせを頂いていて、これも普段やっている

“文章術”トレーニングの賜だなあと思います。

せっかくなので、ここでちょっとしたコツを書きたいと思います。普段僕がやっているトレーニングです。

 

Twitterでもよくあるのですが、せっかく良い話をしているので、もうちょっとその話、詳しく聞いてみたいなあ…と思う事があります。

 

TwitterやLINEなどのコミュニケーションツールが一般的になった反面、長文によるコミュニケーションの機会が少なくなってしまった事で、実は文章力、構成力が低下してしまっている事がしばしば。

 

普段からある程度の長文を書けるようになるクセ付けをしよう。という投稿を以前しています。

 

 

 

 

ちょっと慣れてきたら、この事を意識して書くようにしてみると良いかもしれません。

・読み手を意識する

・口語体、文語体を使い分ける。口語体は短文向き、文語体は長文向き

・テキストの装飾機能は極力使用せず、見出しなどは段落や記号を使用してパーツごとに分ける事で、読みやすさを上げる

・伝えたい事はなるべくシンプルに。予め主題を決めるか、文章を書いた最後に、まとめとしてタイトルをつける

・文字数カウントは常にチェックする

 

ある程度慣れてくると、同時に読み手側も慣れてきて、

「次書いてくれるのはいつ?」という状態が生まれて来たら成功の第一歩。

 

人間の知的好奇心の初段階はインプットし、理解をするという事で一種の快感を得る事ができます。

 

直接の会話をしなくても、華美なビジュアルを駆使せずとも、充分なコミュニケーションが取れるようになる。という事に繋がるわけです。

 

ここまでの文字数で、500文字以上、1000文字以内。

読み手側は5分以内で終了する、ちょうどいい文章になったのではないでしょうか。

#わたしが最近始めたこと

 

子供の頃によく見た風景を大人になってから改めて見ると、あの時は大きくて広かったと思っていた場所が、とても小さかったという事にびっくりする。

 

原風景というものだ。自分の生まれ育ちに関連する場所が廃墟になっていて、それを映像で空から眺めるのは心の風景が映し出されるものだなと改めて思う。

 

諸行無常。という世の理がよく現れて、廃墟が心を掴むという事がよくわかった、そんな出来事だった。