昨日の続きに近いですが、
様々感じることを綴っておきたいと思います。
日本という国は、
生まれるからずっと
何かと比べて優秀であること
を求められている
学校では良い成績を取ること、
会社では稼げること、
常に獲物(のようなもの)を捕獲すること
何か常に条件があり、それをクリアすること
そして、男女性別関係なしに、それを求められること
ただ生きているだけではダメと感じさせること…
(という概念がしみ込んで)
先日、水の講座を受け
衝撃だったのは、
水道水(世界一の塩素量)と浄水を飲み比べ
大人の男性のほとんどが、区別がつかない
とのこと!
男性は割と味にうるさくない、のかもしれない…
女性はというと、
割と味の違いが分かるのではないかと思います
なぜって、子どもを産み育てる性だから
変な味(腐っている、毒が入っている)に敏感
気が付かないと、子どもの命にかかわります
細かな環境の変化にも氣がつきやすいと感じます
(もし匂いや味が分かりにくい場合は、
添加物や合成香料などで五感が麻痺させられている、かも)
男女は、生物としての役割が大きく違う
ので、現代社会の「同一であれ!」は
本来無理がある、かも。
ご先祖さま男性は、
狩猟をしたり外での活動で、
いちいち細かな所に気が付いてしまうと活動しにくいので
割と大雑把な感性を持ちながら、行動力と集中力、
遠くを見通す力、エネルギーを持った性。
ご先祖さま女性は、
子どもや周りの仲間たちと
協力と調和しながら、
細かなことも氣がつく感性
居るだけで回りをほんわかさせる性。
と脳の違いからも、そうかなぁ~
と妄想^^
で、現代は、
女性も外で働き、家で子育て、家事、自分磨き、
などなど、忙しい毎日。
社会のモデルは男性的であること。
男性的な生き方が正しく、
しっかりしなければならず、
優秀であらねばならない、という概念。
そんな忙しい中で、
知らぬ間に、身体が疲れ、
知らぬ間に、精神が疲れ、
女性の方が肩凝りが多かったり、
精神的に壊れる人が多いのは
その今いる環境や、
ずっと当たり前に感じていた観念・概念が、
知らず知らずのうちに大きく影響を与え、
感性が高い分、壊れやすい
のではないかな、と思っています。
女性は太陽
と言われますが、
太陽は、忙しく何かをするでもなく
太陽は、ただ「ある」だけで
明るさをもたらし、成長させ、
暖かさやエネルギーを生み、
太陽が出ているだけで、
心がほんわか、おおらかな氣分に
なんの条件もなく、照らす存在。
もともとの日本はこういう生き方が
よし、だったのでは?
おおらかに生きる社会になったとき、
精神的なやまいも減ると思います。