自分のことを認める。



それができなくて、苦しんでいる…というか、

自分のことを認めるのが辛くてもがいているけれども、

認めても、認められなくてもがいてもどちらも辛いことには変わりありません。


あきらめずにやり続ける

自分の目標や夢が実現するためには、

これが私にとっては当たり前のことで、

地球が丸いのと同じように真実の1つだと思っていました。


でも、私は時間の概念をおろそかにしたことに気づきました。

あきらめずにやり続けて、自分の目標や夢は確かに実現できるでしょう。

でもそれをいつまでにできるかで、その目標や夢が、

目標や夢でなくなってしまいます。


人生にはタイムリミットもあります。

適齢期というのもあります。

営業であれば、締めや期限、納期があります。


その中でできないことは、自分ができないことを

認めてあきらめることも必要です。

その目標や夢をあきらめて、別の目標や夢を追うことだってできるのです。 

なのに、私はそれが今できない。

今の目標や夢を実現できないと認めてあきらめて、

別の目標や夢を追うことができないのです。


自分を認めるのが怖いのです。

できないと認めてあきらめると、

仮に別の目標や夢に向かってもできなかった自分が

つきまとうのが怖いのです。


それができなかったからと言って、

自分の全部を否定するのはどうかしている、と言われます。

確かにそうです。

でも否定してしまいます。

自分の時間と思いを全部使ってやってきたことだけに、

それができないということは、

自分の知っている自分の全部がダメと言われているのと同じです。


これでもあきらめないということは、きっと何かある。

今の自分は、自分のことが認めるのがイヤでもがいているだけでしょ。

現実逃避でしょ。

絶対抜け出せるドアがあるはず。

でもたくさんの私以上の優秀な人もあきらめていった。

それ以下の自分ができるのか。

毎日、頭をよぎります。


今までは自分の知っている自分の全部を投入してダメでした。

今は自分の知らない自分…というか、

今までやってきたことのないことを使って目標に挑戦しています。

そのために、1日のスケジュールをコマに分けて徹底的に自己管理します。

絶対何があろうとも笑うようにします。


人間は簡単に変われないかもしれません。

もしかしたらこれは、執着していることを

手放すための経験なのかもしれません。

自分のことを認められないから、

認めるための訓練なのかもしれません。


私の悪あがきにつきあってくださる先輩方がいらっしゃいます。

せめてその御恩を返すまではタイムリミット内にしたいです。


こんな自分のために自分がもう頑張れなくても、

人のためだったらまだ力は出るはず。