海上自衛隊を過ぎてしばらく走ると、音戸の瀬戸に到着します。
しかし、その直前で左に曲がり峠を上ると高烏台というところがあります
烏は鳥ではなく「からす」です。
約200mUPですが、来るまでは上るつもりは無かったのですが、なぜか
懐かしくて上ってしまいました。
遠くの海を見ると高さがわかると思います。
しかし、その直前で左に曲がり峠を上ると高烏台というところがあります
烏は鳥ではなく「からす」です。
約200mUPですが、来るまでは上るつもりは無かったのですが、なぜか
懐かしくて上ってしまいました。
遠くの海を見ると高さがわかると思います。
遠くに音戸の瀬戸、音戸大橋が見えます。
ほら、ズームすると見えるでしょう
音戸の瀬戸は昔は陸続きだったそうで、1165年に海峡にする工事をしたとの
事です。
その時に指揮をしていたのが、平清盛。
工事が遅れ、日が沈むと工事が出来ないため、扇で太陽を扇いだら再び太陽が
昇り、工事を続けることが出来たと言う逸話が残っています。
これがそのときの平清盛です。
事です。
その時に指揮をしていたのが、平清盛。
工事が遅れ、日が沈むと工事が出来ないため、扇で太陽を扇いだら再び太陽が
昇り、工事を続けることが出来たと言う逸話が残っています。
これがそのときの平清盛です。
何と、1165年の7月10日にそれが起きたとの事です。
日にちまで記録に残っているとは驚きです。
日にちまで記録に残っているとは驚きです。
久しぶりに平清盛像に会いました。
今日はとても天気がよく、四国まで見えそうです。
ここは戦時中は高射砲が設置されており、広島に空襲に向かう米軍の飛行機を
打ち落とそうと、戦っていたところです。
今でも弾薬庫がそのまま残っています。
打ち落とそうと、戦っていたところです。
今でも弾薬庫がそのまま残っています。
昔、友人とここでビデオを撮っていたら、実際にここで高射砲を撃っていたという
人と出会い、貴重なお話を聞いたことがあります。
人と出会い、貴重なお話を聞いたことがあります。
よく見るとここの公園は戦時中の建造物を残しながら作られているようです。
こちらは、宿舎だと思います。
壁だけがしっかりと今も残っています。
ここに寝泊りしていた人は、どんな景色をこの高台で見たのでしょうか。
ここに寝泊りしていた人は、どんな景色をこの高台で見たのでしょうか。