おはようございます。
今日も「歴女シリーズ」でお話したいと思います
ちょっと有名?なお話し・・・
日本三大あだ討ちのひとつ
「曽我物語」
祐親の同族の工藤祐経は、領地の相続について、祐親を恨んでいた。
祐親が近隣の豪族を集めて、奥野の捲野を催した際に、工藤は祐親の暗殺を企てる。
祐親の帰路を狙い、弓の名手三郎大見小藤太に暗殺を依頼する。
工藤と小藤太の2人は赤沢山麓の椎の木3本に身を隠し、祐親と河津三郎祐泰の帰途を待ちうけ遠矢にかけ、河津三郎を射殺した
祐親は難を逃れたが、河津三郎を失って、悲痛の思いをさせられた。
やがて、祐泰の遺児、五郎と十郎は曽我太郎祐信の養子となり、武芸を練習する
建久4年、頼朝が裾野で捲野をおこなった際に、降りしきる五月雨の中、工藤祐経の陣に討入し首尾を取り父の仇をとった
この事件が、「曽我物語」として今日まで語り続けられる
河津三郎祐泰は、剛力無双を誇り、相撲が得意であった
現在の相撲の決まり手である「河津掛」は河津三郎祐泰の得意技から来ているといわれる
河津三郎祐泰は「相撲中興の祖」といわれ、今でも角力界で崇められている
