先日も取り上げましたが、まだ枝野氏は自説に固執しているようなので、徹底的に攻撃したいと思います:





「東電は普通企業と違う」=債権放棄批判に反論―枝野官房長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110519-00000064-jij-pol



”枝野幸男官房長官は19日午前の記者会見で、東京電力の債権放棄を金融機関に求めた自らの発言に批判が出ていることについて「国としても一定の支援を行う限りにおいては、(東電が)普通の民間企業と違うのは当然だ。国民的な理解が得られなければ東電を支援することはできない」と反論した。

 枝野氏の発言に対しては、金融機関や財界などが「民間の関係に政府が直接口を出すのはいかがなものか」「統制国家ではない」などと批判している。”



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東電(だけではなく、独占的事業を行っている電力会社はすべて)が普通の企業とは異なる、ということには異論はないでしょう。しかし、普通の企業でないから、といって直ちに貸付金融機関が債権放棄をしなくてはならない、とはなりません。ここらへん、当たり前の論理が分からなくなっているようですね。



さらに、以前にも見た、原賠法の問題があります。いったい、今回の事態を東電の過失事故と捉えるのか、あるいは電力会社の賠償責任を求めない天災と捉えるのか?これについて、未だ整理がつかないまま、曖昧な議論を続ける官房長官に不信感を抱かざるを得ません。



現実的には、東電(及び監督上の責任を含めた国も)の過失部分はあると思われますが、天災要素もある以上、中間的な処理とならざるを得ないでしょう。この限りで、東電に対して徹底的な経営刷新を求める必然性は当然あります。



しかし、それだから、といって一足飛びに貸し出し金融機関に責任を押し付ける態度は不当です。



ちなみに、でいえば、法的には貸出者責任(レンダーズ・ライアビリティー、lender's liability)という言葉があります。



▽日本における貸出者責任については未だ議論が十分でなく、私が知る限りで判例上も認められたケース(というか、論点になったケース)も殆ど無いと思われます。文献として一応挙げておくと:


『融資契約の法的性質と金融機関の融資義務についての一考察』 東京大学大学院 大橋輝久氏

http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~jjweb/research/MAR2005/36105.pdf



いつものように新しい法概念の発祥地である米国の事例を見ると、貸出金融機関も一般的には環境汚染の有責者と認められ、そこから除外されるためには一定の要件を満たす必要があります。


例えば:


http://www.epa.gov/brownfields/aai/lenders_factsheet.pdf



そもそも貸出金融機関が環境汚染等の責任を問われるのは、貸し手としての社会的・契約的責任として借入企業の不法行為の予見可能性と防止責任が認められる場合であって(基本的には一般的な不法行為責任の議論として為される)、今回の東電の事例とは全く異なります。



こうしたことも知らずに、自説に固執して、自らの政治的責任を棚に上げて、貸出金融機関に責任を押し付けようとする枝野氏の姿勢は政治家としては元より、人間としての無責任さを問わなくてはなりません。